将棋世界1995年5月号、鈴木輝彦七段(当時)の「矢倉中飛車の美学」より。
3月17日のA級プレーオフをもって1年間の順位戦は幕を閉じた。正に悲喜交々といった所だが、正月からの2ヵ月、特に2月から3月初旬までの1ヵ月をこれ程長く感じた事もなかった。
と言うのも、終盤戦に連敗を続け、最終局には降級点が絡む事になってしまったからだ。
勝ち負けは兵家の常とはいえ、これ程露骨に関係した事はかつてなかった。B1から降級の時は正月前に大勢が決まり、すっきりしたものだった。
昇級とは違い、下に行く戦いは妙なもので、漠然とした不安感を持つようだ。
奨励会の頃から25年近くプロの世界で生きてきて、「勝負の結果は仕方がない」と割り切っているけれど、現実となれば、また別かもしれない。
そして、これが最後ではなく、始まりになるだろう事は容易に察しがつくのである。
こんな時に、棋士人生のよすがとなるような文章はないのだろうか。
トップ棋士の事は、あふれるように伝えられているが、並棋士の40、50代の心情を素直に吐露した文は残されていないような気がする。
周りも本人も書く気がしないのは判るが、後輩のためになると思うがどうだろうか。
私自身は文を書く機会もあるので、できるだけ40、50代の並棋士の気持ちを書き残していきたいと思う。
前述した降級の頃だから4年前の事になる。
この年、親族に不幸のあった棋士に米長先生が食事をふるまわれた事があった。河口、野本のお二人に、私は関係なかったが、成績は喪中のようなものだったからと想像する。
会も終わって、河口、野本の両先輩と喫茶店に入った。
その時、親しさもあって、二人に「決まってはいませんが、降級の夢を見ます」と正直に言った事があった。
河口さんは無言だったが、野本さんは私の顔を見て一言「まだ甘いね」と笑った。
確かに、私クラスがそんな愚痴を言うようでは甘いと言わざるを得ない。何しろ、野本さんは6年連続降級点の大記録を作りつつある時だったのだ。
そして、野本さんは如何にも大記録者らしい一言を言った。
「本当に落ちるのが怖くなると、昇級する夢を見るんだよ」と。
(以下略)
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社会人になってからのことだが、学生時代にやっていた家庭教師の教え子の家へ行かなければと思いながら、既に大遅刻をしていて焦っている夢を何度もみた。
最近はみることがなくなったが、あれは何だったのだろう。