80年前の非常に斬新な観戦記

将棋世界1971年6月号、倉島竹二郎さんの「南海の巨匠(18)」より。

 私が大崎八段の対局を直接観戦したのは、第1期名人戦の第3局であった。

 名人戦は昭和10年6月16日に花田長太郎八段対金子金五郎八段戦を緒戦として開始された。が、その緒戦の時は私はまだ交渉中で東京日日新聞社には入社しておらず、この観戦記は大毎の将棋担当記者で関西将棋界の功労者であった故・樋口金信氏が書いた。そして、私は次の木見金治郎八段対金易二郎八段の将棋から観戦記を引き受けたのである。

 第3局の大崎八段の相手は、実力第一と噂をされた木村義雄八段だったが、当時の観戦記がどんな風なものであったか?参考までに冒頭の文章をお目にかけよう。

 

場所―東京の真只中とは思えないほど物静かな、築地有明館―大野屋支店の一室。

時―真夏にはいったばかりのある朝。

人物―大崎八段(負けじ魂で、かつて横紙破りと異名をとった将棋界の大先輩。血圧が高いためにいつも酒を飲んだように赤い顔をしている。日露戦争の勇士で、その時の負傷で右手が利かない。当年54歳)

木村八段(22歳で早くも八段の最高位に昇った不世出の天才で、世に常勝将軍と称されている。如何にも健康そうな小肥りで、絶えず微笑を浮かべ、憎らしいほどの落付を示している。当年32歳)

 その他、新聞記者、観戦記者、記録係等。

 親子ほど年の違う両八段が縁側の籐椅子に腰をかけて、これから運命を賭した対局が開始されようとは思えないほど打ちとけた様子で話している。

木村八段「大崎さん、血圧の方はどうですかな?」

大崎八段「近頃は大したことはないよ。それに君を負かしてやろうと、ここ数日江戸川へ釣りに出かけたり庭樹に水をやったりして、気を落付けて暮らしていたんだ。ウンと頑張ってみせるぞ。そう坊っちゃんに負けてもいられないからなァ」

木村八段「坊っちゃんはひどいね」

大崎八段「坊っちゃんだから坊っちゃんじゃないか。しかし俺は坊っちゃんが好きだ。君と指していると気持がよくて、力一パイ指せそうな気がする。ウマが合うのか、それとも惚れているのかな」

木村八段「益々困るね。大崎さんに惚れられちゃ、アハッハッ……」

新聞記者K「ときに、此処はどうですか?随分捜したのですが」

大崎八段「大変結構だ。ここならキッと良い将棋ができるよ。室もよしサービスもよし―」

木村八段「僕も同感だ」

新聞記者K「それで安心しました。大切な名人戦だけに何とかしてと思いましてね」

両八段「いや、どうも有難う」

観戦記者「では、ボツボツ始めていただきましょう」と、記録係の方を振返って「駒を振って―と金が出れば大崎さんの先手、歩なれば木村さん」

 記録係が駒を振ると全部と金が出て大崎八段の先手と決定。

 さすがに両八段の顔にサッと緊張の色が走って、すでに駒の並べられた盤に対座する。

 

 脚本まがいの妙な書き出し、今から思うと随分冗長な文章のようだが、こんなことを書いてまだタップリ余裕があったのだから、当時の観戦記の紙面の広さがうかがわれよう。それに、画期的な名人戦の開始によって、ファンの層も画期的に増加させようという新聞社のネライもあって、何彼につけて説明が必要だったのである。対局場の問題にしても今から見ると普通の話だが、そういう高級旅館でやったのはそれが最初で、前2局は丸の内蚕糸会館の7階であり、対局には不調和の上にいろいろの不便があった。今昔の感に耐えない。

(以下略)

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80年も前の観戦記なのに、とても新しく感じる。

将棋が初めての人でも面白く読めるように工夫された出だしと構成。

倉島竹二郎さんは、棋士が食事で何を食べたかのような対局風景を盛り込むなど、当時の観戦記に新しい息吹を送り込んだ観戦記者だ。

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築地有明館は日本旅館「有明館大野屋」のこと。現在の銀座大野ビル(東銀座の東劇ビルの隣)の場所にあったものと思われる。

丸の内蚕糸会館はニッポン放送本社の隣のビル。1983年に建て直されている。丸の内というよりも有楽町。

東京日日新聞社(現在の毎日新聞)の本社は京橋区尾張町(現在の銀座五丁目と六丁目付近)にあった。

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築地に華僑ビルという非常にレトロな建物があった。

昭和の初期に建てられたビルのようだった。

職場が近所にあったので、このビルの地下にあった「新蓬莱」という台湾料理店には昼食時に何度も行っていた。

昭和30年代の日活無国籍映画に出てくるような暗めの照明の店内。

藤村有弘さん演じる怪しげな華僑が奥から出てきても全く不思議ではない雰囲気だった。

ランチは、ビーフン(汁)、焼きビーフン、かくに定食(台湾風豚の角煮)、だけのメニューだったと思う。サイドメニューでちまき。

いつも焼きビーフンを頼んでいた。渋谷の「麗郷」の焼きビーフンも絶品だが、この店の焼きビーフンもとても良かった。

築地のレトロ建築「華僑ビル」(~東京レトロ散歩~)

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たまたま、名人戦が始まった昭和10年の東京の映像が見つかった。

カラーで見ると、それほど昔には感じられないのが不思議なところ。