将棋世界1995年6月号、羽生善治六冠の第53期名人戦〔羽生善治名人-森下卓八段〕第1局自戦記「将棋に負けて勝負に勝つ」より。
4月に入り、暖かく、桜の花が咲く時期がやって来ました。
そして、将棋界ではこの季節は新しい年度の始まり、名人戦の開幕を意味しています。
昨年、名人戦に参加し、今回は初防衛戦ということになります。
挑戦者として名乗りを上げたのは森下卓八段。
初参加、激戦のA級で7勝2敗の成績を収め、プレーオフで中原誠永世十段を破っての登場です。
好手にバランスのとれた棋風で、矢倉を得意としています。
私とはつい最近、棋王戦五番勝負で戦いました。
今までに公式戦では20局以上、非公式、研究会などを含めばかなりの数になるので、お互いに棋風は熟知しています。
しかし、二日制では持ち時間が9時間ともなれば、また、今までとは異なった印象を持つかもしれません。
対局場は京都、国際会議場の側にある宝ヶ池プリンスホテル。
私は以前、一度対局をしたことがありますが、名人戦が行われるのは今回が2回目だそうです。
ホテルのとなりに茶室があり、そこで対局は行われました。
(中略)
1図は現代矢倉の最新形とも言える形で、今までは△6四角が圧倒的に多かったのですが、最近ではこの△8五歩が急増しています。
ここまでは同じ形になることが多いのですが、ここから一気に選択肢が広がります。
1図では▲1六歩、▲3五歩、▲4六銀、▲6八角などが有力でどれも一局の将棋です。
まだ未解決の形なので、一手一手を自分の力で考えて行かなければならないので、自然と長考が多くなります。
私もこの局面で昼食休憩をはさんで99分の長考をして次の一手を着手しました。どれもこれも難しいとしか言いようがありません。
(中略)
森下八段は結局、△6四歩と指しました。こうなってみると、7四銀がそっぽに行っている印象を受けます。
4図以下の指し手
▲6三銀成△2二玉▲4四歩△同金▲6四角△同角▲同成銀△8六歩▲同銀△3六歩(5図)正着を逃す
遊んでいる銀を活用しようと▲6三銀成と指しましたが、これが疑問手。
正着は▲6五歩で、△8六歩なら▲同歩、△2二玉なら▲4四歩△同金▲4五歩△4三金引▲6四歩、△7三歩なら▲6三銀成といった要領で指すべきでした。
本譜はタイミング良く△2二玉と指されて困りました。
後手からいつでも△3六歩があるので、先手は忙しいのです。
(中略)
そして、待望の△3六歩です。
この局面で二日目の夕食休憩となったのですが、形勢が不利なのをはっきりと自覚しました。
5図以下の指し手
▲2五桂△同銀▲8三角△3七歩成▲9二角成△同香▲4一飛△3五角▲5三成銀△6四角(6図)勝負手不発
5図では▲5三角が第一感だったのですが、△3五金▲7一角成△3七歩成▲8一馬△4二飛でうまくいきません。
そこで、▲2五桂~▲8三角は苦心の勝負手、△8二飛なら▲6一角成で銀取りとなります。
しかし、そうなるわけがなく、△3七歩成と手厚いと金を作り、飛車角交換後、△3五角が味の良い一手。▲5三成銀とようやく遊んでいた成銀を活用することが出来ましたが、△6四角がうまい受けの一手です。
どうやらこれで先手の勝負手は不発に終わったようです。
6図以下の指し手
▲4五歩△3四金▲4三成銀△同金▲同飛成△3二銀▲5二竜△2八と▲3六歩△同銀▲5四竜△4六角右▲3四竜△1八と▲4二金△3一歩(7図)一手負けの形だが……
▲4五歩~▲4三成銀で後手玉に迫ったように見えますが、△同金~△3二銀で相変わらず後手陣はしっかりしています。
▲5二竜と一息ついた所で、森下八段は△2八とといよいよ局面を決めにきました。
▲4三金は△3一歩で効果がないので、▲3六歩~▲5四竜ですが、以下、一本道で7図となって、先手の一手負けがはっきりしたようです。
7図以下の指し手
▲3五竜△同角▲5五角△4四歩▲3四金△7九銀▲7七玉△4八飛▲8五銀△7八飛成▲同玉△6八飛▲7七玉△8三桂▲7五歩(8図)大逆転
この局面で形作りをするなら、▲3二金△同歩▲4二金△7九銀で投了となるわけですが、この日はもう少し指してみる気になりました。
しかし、森下八段の正確な指し手によって形勢は開いてしまいました。
そして、最後の最後、決め手と思えた△8三桂が失着、8図の▲7五歩で一気に逆転してしまいました。
ここでは△9五金(変化図)と指しておけばこちらが投了でした。
将棋に負けて勝負に勝ったと言える一局でした。
8図以下の指し手
△5四金▲3五金△5五金▲6八金△8八角▲8六玉(投了図)
まで、115手で羽生の勝ち。
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この時の名人戦第1局は、最終盤の劇的な逆転で有名な一局。
また、名人戦60周年を記念して名人戦フェスティバルが全国11箇所で開催され、棋士、女流棋士、将棋連盟の職員が総出で数人ずつに分かれて各地で大盤解説を行っていた。
当時の近代将棋によると、
毎日新聞の担当記者の加古明光さんは、「ずいぶん、タイトル戦を見ているが、こんな劇的な終局を経験したことがない」と語り、
立会人の有吉道夫九段は、「こんな大逆転は、昭和27年の木村-升田戦以来だ」と驚嘆している。
各地の大盤解説会では、終局が遅くなったため、「森下八段の勝ち」と断言して終わっている所ばかりだったが、結果を聞いて多くの棋士が「まさかそんなことが……」とショックを受けたという。
また、本局では、二日目の夕方から将棋盤のところに小さな虫がいっぱい集まってきて虫が盤上を跳ねるほどまでになり、急遽、隙間を紙で目張りをして、ぬれ雑巾で畳をふいたというような凄いこともあった。
このような、10年に1度あるかないかのような大変なことが起きていたのだが、羽生善治名人の自戦記では、
そして、最後の最後、決め手と思えた△8三桂が失着、8図の▲7五歩で一気に逆転してしまいました。
ここでは△9五金(変化図)と指しておけばこちらが投了でした。
将棋に負けて勝負に勝ったと言える一局でした。
と触れられているだけ。
負けが決まっていた将棋を勝ってしまったという思い、森下卓八段への気遣い、ということもあるのだと思うが、とてもさりげない表現だ。
この自戦記のクールさと、ビックリだったり大騒ぎになっていたりの棋士や関係者の熱気のギャップがとても面白い。