「2手目△3二金は志が低い」と語っていた森下卓八段(当時)に2手目△3二金 を指した羽生善治名人

将棋世界1995年7月号、野口健二さんの第53期名人戦〔森下卓八段-羽生善治名人〕第4局観戦記「頂上へのアプローチ」より。

名人戦第4局。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

 対局場の銀波荘に着いたのは、1日目の昼食休憩の時だった。早速控え室へ行くと、主催紙・毎日新聞の山村記者がなにやら意味ありげな表情で「戦型はご存知ですか」。続けて「森下さんの四間飛車ですよ」。

「えっ」と思わず耳を疑ったが、この時即座に気づかなければいけなかった。羽生名人の2手目に、である。

(中略)

▲八段 森下卓  △名人 羽生善治

▲7六歩△3二金3▲6八飛24(1図)

羽生森下1

 2手目△3二金といえば、昨年の本誌9月号「昨日の夢、明日の夢」での森下八段の言葉を思い出さずにはいられない。

― 2手目△3二金は羽生さんもやりました。
森下「その一局やるっていうのが僕は嫌いなんです」
―みんな最善手がわからないから試している、ということはないですか。
森下「△3二金を試すんだったら、相手が振り飛車党のときに試すべきですよ。語弊があるかもしれませんけど、△3二金は志が低いと思うんですよ、プロとして」

 上の引用が一番過激な?部分だが、森下発言の趣旨は”プロは勝つことが第一だが、次に将棋の真理、すなわちその局面の最善を追求しなければならない。2手目△3二金は、本人が最善と思っているならかまわないが、相手の得意型を外す意味ならば、プロとして恥ずべき態度ではないか”ということである。

 実は、森下はこの3年間で5度、2手目に△3二金と指されている。相手は、中川、豊川、伊藤能、村山、島で、結果は森下の2勝3敗。

 一方の羽生は、昨年1月の棋聖戦第4局で2手目に△3二金と指し、谷川の中飛車に49手という短手数で敗れている。

 こういう事情が背景としてあるわけだが発表当時、いかにも森下らしい発言だと話題になったものである。

 △3二金に対して24分。森下はこの局面で最善と信じる四間飛車を選んだ。

(中略)

 それでは。なぜ羽生は2手目△3二金を指したのか。

 現実的な見方をすれば、やはり森下の得意とする矢倉を避けた、となるだろう。森下は、森下システムを指さなくなった昨年6月以降、矢倉戦では先後を問わず抜群の強さを誇っている。加えて第3局の後、棋聖戦で挑決進出、竜王戦1組でも谷川を破り、調子が上がってきている。また、第1、3局の矢倉戦では優位な戦いを展開して、内容的にはここまで2勝1敗ともいえる。

 4月、5月と名人戦以外の対局がつかず、実戦不足が懸念される羽生としては、定跡形を外した力将棋に誘導したかったのではないか、と推測しても全く見当違いというわけではないと思う。

 しかし、2手目△3二金を指したかった、ということが一番大きな理由ではないか。羽生は、自分独自の定跡を作っていきたい、と常々語っている。そのためにはリスクを負うことも仕方がないと。シリーズの流れを決する大事な本局に、敢えてこの作戦を採ったところに、羽生の強い意志が感じられないだろうか。

 いずれにせよ、二人の思いが形を成して現れるのは盤上においてのみ。お互いに慎重な指し手が続き、1日目の午前中はわずか13手しか進まない。

(中略)

 午後3時過ぎ、森下の師匠・故花村元司九段の夫人、京子さんが観戦にみえ、対局室へ。同席した副立会の塚田八段によると、森下は羽生に、花村先生の奥様ですよと紹介したとのこと。いかにも律儀な森下らしい気配りである。

(中略)

 既に残り時間が10分を切った森下を、秒読みの声が容赦なく急き立てる。

「森下さんは、この順を読んでなかった感じ。ここで時間がないのは辛い」

 と、対局室が映るモニターを見ながら小林八段。ここで森下は▲1六角という受けを考え、実際そう指せば結構大変だったようだが、勝負の流れは決していたのだろう。

(中略)

 感想戦そして打ち上げも終わった深夜、娯楽室でパソコンソフトを相手にチェスに興じる羽生の姿があった。そして同じ頃、森下は日浦六段や勝又四段と2手目△3二金を論じ合い、「将棋の最善手ではないが、勝負の最善手かもしれない」と語ったという。

 つまるところ、二人が目指している頂は同じなのだろう。羽生はジグザグに駆け上ろうとし、森下は最短ルートを着実に進む。その違いだけである。そして、遥か高みにまで到達しようと考えていることも間違いないと思う。

名人戦第4局。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。

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森下卓八段(当時)の名人戦での晴れ舞台を見にきた師匠の故・花村元司九段の奥様、そして、対局中に羽生善治名人に奥様を紹介する森下卓八段、どちらもとても感動的だ。

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羽生善治名人は、この1年前には竜王戦の対谷川浩司王将(当時)戦で、2手目△6二銀を指している。

1994年のインタビューで羽生名人は、「特に意識して定跡形ではない将棋を指しています。定跡をまねする側から作る側に回りたい」と語っている。

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2手目△3二金については、いろいろな物語がある。

森下卓八段(当時)が2手目△3二金について「志が低い」と語った記事→森下卓八段(当時)の情熱(前編)

2手目△3二金は、第1期竜王戦6組決勝で先崎学四段(当時)が佐藤康光四段(当時)に対して挑発的に指したのが始まりとされている。

振らぬなら、振らせてみよう(前編)

振らぬなら、振らせてみよう(後編)

浦野真彦六段(当時)の羽生善治五段(当時)に対する2手目△3二金。故・池崎和記さんの名文。

暗闇に消えた羽生善治五段

甘竹潤二さんの本局の新聞観戦記(1996年将棋ペンクラブ大賞観戦記部門佳作受賞作品)

名人戦、森下八段に対する羽生名人の二手目△3二金(前編)

名人戦、森下八段に対する羽生名人の二手目△3二金(後編)