将棋世界1999年1月号、青野照市九段の第11期竜王戦七番勝負〔谷川浩司竜王-藤井猛七段〕第3局観戦記「悲観が過ぎたか」より。
それは谷川の、今までに見たことのない表情だった。イヤ、異様な光景と言ってもよいかもしれない。
9月14日、竜王戦挑戦者決定戦の第3局の終盤戦。控え室には大勢の棋士や、新聞社、観戦記者達が詰めかけていた。
「もうダメだね。どうやってもこれは逆転しないよ」
序盤から優勢に進めていた藤井だったが、羽生に逆転の目がないことが決定的になった時、控え室にいて挑戦者の行方を見守っていた谷川が、実に複雑な顔をしたのである。
谷川にしてみれば、当然羽生が出てくると思っていただろう。特に挑戦者決定戦の第1局を、羽生が勝った時は。
谷川にとって、どちらが出てきてほしいということはないだろうが、羽生と戦うのが一番自然と思っているところに、思いがけない相手が出てくるのは、妙に違和感があるのだと思う。
今年名人を取られた時も、こんな感じではなかったか。最初1勝3敗の出だしで、完全に圏外に去ったと思えた佐藤が羽生にかわって挑戦者となり、そしてその佐藤に谷川は敗れた。
谷川が、それを意識したかどうかは分からない。だが、羽生でなくて藤井が出てきたことを、歓迎していなかったことだけは確かだな、と私は感じた。
この七番勝負に限っては、案の定と言うべきだろうか。いきなり谷川は2連敗して、3局目を迎えた。勝ち負けは仕方ないが、内容があまり良くないのが気になる。
(以下略)
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谷川浩司九段は、1996年に羽生善治六冠から竜王位を、1997年に羽生五冠から名人位を奪取している。
羽生四冠(当時)にタイトル戦で苦杯を喫することが多かった谷川竜王名人(当時)としては、羽生四冠からの挑戦も退けて、それで初めて名実ともに羽生四冠に勝ったことになる、という思いだったのだろう。これは勝負師としての本能でもあると思う。
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昨日の名人戦第5局では、佐藤天彦八段が羽生善治名人に勝ち、佐藤天彦名人の誕生となった。
羽生世代以外の棋士が名人位に就くのは、1997年の谷川浩司名人以来。
逆に言えば、1998年(今日の青野照市九段の記事の頃)から18年間、羽生世代の棋士が名人に就いていたということになる。
そういう意味でも、佐藤天彦名人の誕生は快挙であるし、大きなニュースでもある。
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ただし、これで世代交代かと言うとそうでもなく、現在の10代~30代の棋士が半数以上のタイトルを複数年以上保持し続けるような状態となって、初めて世代交代だと言える。
羽生世代を含む40代以上の棋士の逆襲もまだまだあるだろう。
渡辺・佐藤(天)時代が来るのか、戦国時代が来るのか、羽生世代の時代が続くのか、これから数年が鍵を握っている。