駒が片付けられた盤上をじっと見つめていた郷田真隆棋聖(当時)

将棋世界1999年1月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。

 B級1、2組の順位戦に加え、A級順位戦の羽生四冠対森内八段戦もあるという豪華メニューの日である。控え室も久しぶりに研究陣が厚く、にぎやかだった。ただ、残念ながらジョークが少なく、こぼれ話も出ない。秋だからではないだろうが、物言えば唇寒し、をみんな決め込んでいる。

 例によって夜の部から話をはじめるが、午後10時ごろだったか、2階の自動販売機のところで、田丸八段といっしょになった。彼は一言「となりは劇画みたいなことやってるな」と呟いた。そういう当人の将棋も、劣らず劇的で控え室の話題をさらっていたのである。

 その郷田棋聖対田丸八段のとなりは、森(雞)九段対田中(寅)九段戦。言う通り、序盤から奇妙な戦いになっていた。

(中略)

  話が飛んだが、田丸八段が2階でお茶を買って盤の前に座ったとき、盤上は10図のようになっていた。型破りの将棋だが、ここから田丸流の強襲が始まる。

郷田田丸1

10図以下の指し手
▲4五桂△同歩▲6二角成△4六歩▲5三馬△2二玉▲2四歩△同歩▲6四馬(11図)

 ▲4五歩では手緩いというわけで、▲4五桂とやった。そうなれば一瀉千里、11図まで大振り替えとなる。こんなのを見せられては継ぎ盤の研究も力が入る。

 青野九段と大野六段が対して駒を動かし、神谷、先崎両君が横から口をはさむ。

 11図のところでの評判は、郷田よしであった。そう見られるのは郷田の信用もあるだろう。

 私は対局室を一回りすることにした。午後11時ごろになると、さすがに半分以上の対局が終わっている。この日はベテランの健闘が目立ち、大内九段、児玉七段が勝っていた。石田九段、真部八段もまだ終わっていない。森対田中戦は田中勝ち。「最後に寄せを逃した」と、森九段がボヤきながら感想戦をやっている。

 注目の羽生対森内戦は、11時前に千日手になり、これから指し直し局が始まろうとしている。そういえば森内八段は和服で来ている。気合いを入れたわけだ。一方羽生四冠の調子も気になる。最近はまずまずのようだが、谷川不調を見ては、心穏やかではないだろう。もっとも、藤井快進撃は、竜王戦決勝で羽生四冠を破ったときから始まった。

郷田田丸2

11図以下の指し手
△4五角▲6七歩△同歩成▲同銀△7四金▲2三歩△1三玉▲6二飛△6四金▲3二飛成△6六歩▲5六銀左(12図)

 継ぎ盤の検討は白熱してきた。

 まず、△4五角の王手に対し、▲6七歩の合駒は、感覚が変だと言う。常識は角筋をさけて、▲8八玉である。しかし非常識はうまく行ったときの得が大きい。ハイリスク・ハイリターンの理屈だ。ここで、△6七同歩成▲同銀と頑張ったのが後に決め手を生んだ。

 △7四金は予想された手。その次の、▲2三歩も、一本は打つだろうと言われていた。タイミングがいいかわるいか、と言っていると、▲2三歩△1三玉とやったと伝えられた。

 見たとたん先崎君が叫んだ。

「△1三玉と逃げられちゃ、田丸さんもあきらめなきゃいけませんね。こう逃げられたら、たいがい負けるんですよ」

 神谷、大野両君が、ふんという顔。わかったような口を利かれるのはシャクだと、意地になって田丸側を応援するが、なかなか勝ち筋が出ない。

 △1三玉と逃げた形が、わかりやすい勝ち筋、というのは、いずれ▲6二飛から▲3二飛成と金を取られたとき、銀、角がない限り、絶対に詰まない形になるからである。郷田ほどの者がこういう形で誤るはずがない、と思われた。ところが―。

 様子を見てきた人が、▲5六銀左、つまり12図まで進んでいると教えてくれた。一同呆然。これは終わりである。先手に銀が入ってしまう。

 △6四金と馬を取ったのが軽率だった。先に△6六歩と打つべきで、そのとき▲3二飛成なら、△6七歩成▲同金△6四金で後手勝ち。だから、▲3二飛成の前に▲6五馬と取り、△同金▲3二飛成とする。そこで先手玉が詰むかどうかだが、どちらとも言えない。田丸八段はぎりぎりの所をよく読んでいたのである。

郷田田丸3

12図以下の指し手
△5六同銀▲同銀△同角▲8八玉△1五歩▲2二歩成△同銀▲2四飛△7九銀▲同玉△7八銀▲同金(13図)まで、田丸八段の勝ち。

 上はいわゆる、指してみただけ、の手順。△5六同角と取ったとき、今度は後手が、金がないので泣く、局面になった。

 感想を聞こうと大広間に入ると、中央の間で石田九段対富岡七段戦が秒読みになっている。田丸八段は、興奮さめやらぬ、という感じで、早口で何かしゃべっている。石田九段が「ちょっと静かに願います」と言ったが気がつかない。

 感想戦は、さっき言った、△6四金と馬を取る手で△6六歩と打ち、以下▲3二飛成のとき、先手玉が詰むかどうかをやっているようだった。見ていると、なかなか詰まない。

 また石田九段の「お静かに」の声がした。今度は気がつき、田丸八段はそっと席を外した。駒が片付けられた盤上をじっと見つめて郷田棋聖はしばらく動かないでいた。黙っている。そうした姿に、無念さが最もよくあらわれる。やはり五強の一人だと思った。

 石田九段は人声を気にしていたわけではなかった。口ぐせみたいなものである。その証拠に秒を読まれながらも、指し手はしっかりしており、きっちり受け切って勝った。途中詰みを逃したが、それはご愛敬というものだ。 控え室に戻ると、若手諸君は終電に合わせて帰っていた。羽生対森内戦はまだ中盤。最後まで見とどける気力はなく、田中、青野両君と出た。このまま帰るのもなんだからと、青山通りの方へ歩き、穴倉のようなバーに入った。

 腰を落ちつけてみると「田丸さんが一番勝っておもしろくなったね」なんていう話が聞こえる。もう当落が気になる時節になったのだ。

 そして考えてみると、今日勝った両人は、1敗と2敗。B級1組の、現在1位と2位である。とんでもない人といっしょになってしまった。その上、二人は、今度の商品券配布制度が実施されると、3枚、4枚ともらえる、とか言ってニヤニヤしている。やがて、暮と来春に家族で金沢に行く、と仕合せそうな話ばかり出る。

 圏外の私は周囲に目をそらすと、若いカップルに混じって、ホステス風の女性をともなったご年配も何人かいた。世の中不況と騒がれているが、どんな時世でも人さまざまである。

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郷田真隆棋聖(当時)は田丸昇八段(当時)戦に敗れて順位戦B級1組で5勝2敗(3位)となったが、その後4連勝してA級昇級を決めている。(もう一人の昇級は田中寅彦九段)

A級順位戦の羽生善治四冠-森内俊之八段(当時)戦は森内八段が勝っている。

その結果、羽生四冠は1勝4敗。「羽生四冠の調子も気になる」と書かれているのには、そのような背景がある。

この期の羽生四冠は3勝5敗で終わるが、それでも4位というすごい年だった。

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それにしても、いろいろな棋士が登場する日の「新・対局日誌」。何気ない一日なのに、フルコースを食べたようなとても豪華な感じがする。

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最後の穴倉のようなバーのシーンが印象的だ。

この頃がどういう時代だったかと思い出してみると、頭の中に次の曲が流れてきた。

人との別れがあって個人的には辛いことがあった時期で、その頃に猛烈に流行っていた。