将棋世界2001年7月号、佐藤紳哉四段(当時)の「将棋カウンセリング」より。
「もう、わしの教えることは何もない。さあ、行くんだ」
老人の声の後押しを受けて青年は大きく深呼吸をして歩き出した。向かう先は、黒く不気味にそびえ立つ城。そう、町の平和を取り戻す為、青年は戦いに行くのだ。
―思えばこの町は、とても平和だった。人々の笑い声、祭りのはやし、子供たちの歌声、鳥のさえずり……。
その生活が一変したのは、あいつら、そう、大魔王がやってきてからだ。あいつらは、文化遺産であった城を、黒く塗りなおし、そこを要塞として住みつくと、森林伐採、動物虐待をはじめ人身売買にいたるまで、あらゆる悪事を繰り返した。その大魔王の支配から逃れる方法、それは恐らく一つだけだろう。将棋で大魔王に勝つ事である。将棋の腕に自信を持つ大魔王は、自分が負かされる事があれば、この町から出て行くと公言しているのだ。
オレは大魔王を倒すことだけを考えて毎日修行を積んできた。そして今日、ついにその日はやってきたのだ。
ただ、大魔王と指すには試験があるという。それは、次々待ち受ける手下の化け物たちが出す将棋の質問で、正確に答えられないと、大魔王と指すことさえ許されないという。それどころか恐らく、生きては帰ってこられないだろう。
Q.終盤、どう指す?
本の問題でわからないところがあり、書きました。1図で、答えは▲3七桂。△同金なら▲6一馬で先手勝ちですが、これを△同銀不成と取り、▲6一馬だと△1七譜以下詰まされてしまいます。△3七同銀不成と取ったときは先手に勝ちがないと思います。どのように先手が指したら有利になるか教えて下さい。
(広島県 Iさん)
A.攻めがだめなら…
最初に現れた化け物は、カエルを大きくしたようなやつだった。ただし、目が3つあって、手足がやけに長い。
「ぐふぇふぇ、どうだ、この質問に答えられるかな?」
オレは、うろたえた。最初の質問から、思っていた以上に難しい。だけど、こんなところでやられるわけにはいかない。落ち着け、落ち着くんだ。オレは、冷静に先手玉と後手玉の危険度を確認することにした。まずは先手玉。△3七同銀不成と取られた局面。△1七歩▲同玉△2八銀不成▲1八玉△2六桂▲同歩△1七歩▲2七玉△3七金までの詰めろだ。対して後手玉。▲7二飛成△同金▲7四桂や▲7一銀などの王手もまったく効果がない。どうも詰まないことがわかった。しかし、それがわかったことで、余計慌てた。どうすればいいんだ……。考えれば考えるほど頭が混乱する。
「ぐふぇふぇ、意気込んでやってきた割には大したことないな、もうすぐ時間だ」
どんなに考えても、一向に後手玉の詰み筋は見えない。オレはこの後、この化け物にどうされるのかと思うと恐怖で一瞬、気が遠くなった。
そのとき、頭にふと、恩師のじいさんが浮かんだ。オレが小さい頃、町で一番の実力者といわれていた父親が城へ挑戦に行き帰らぬ人となった。その父親が城へ行く直前、オレはその老人のもとに預けられ、将棋のイロハを、その老人に叩き込まれた。
「攻めてだめなときは、勇気を出して守るんじゃ」
朦朧とした頭のなかでじいさんの言葉がこだました。
「ぐふぇふぇ、さあ時間だ。答えは何だ」
はっと我に返り、オレは恐る恐る「▲1七角」を示した。この手は▲7一銀以下の詰めろにもなっている。しかし一つ嫌な手があった。
「ぐふぇふぇ、△2六桂だ」
そう、この王手の切り返しがあるのだ。▲同角なら後手玉は詰めろだが△同歩で困る。オレは、勇気を持って受けに回ることにした。「▲2六同歩(2図)」。これで先手玉に詰めろが続かないという読みだ。△同銀成は詰めろだが、▲同角△同歩の瞬間に詰めろが消えるので、▲6一馬として勝ちだ。
「ぐふぇふぇ、意外とやるな」
やった、正解だ。しかし、喜んでいる暇はない。オレは気を引き締めて、先へと進んだ。
(つづく)
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将棋世界2001年8月号、佐藤紳哉四段(当時)の「将棋カウンセリング」より。
(前回のあらすじ)青年は、大魔王を倒すため城へ乗り込んだ。その、行く手を阻むのは、化け物たちの将棋の質問だった。間違えると、生きては帰れない。
Q.九段への昇段規定について
ずばり、どうやったら八段から九段になれるのですか?
(埼玉県 Oさん)
A.タイトル獲得の他に…
「この質問に答えられるかな?」
次に現れたのは、なめくじを大きくしたような化け物だった。ずる賢そうな目をしている。
オレは慌てた。将棋の技術の質問なら難しいものも覚悟していたが、こういった質問は想像していなかったからだ。なめくじは、してやったりという目でこちらを見てけっけっけと笑った。オレは今までの九段昇段者を必死に思い浮かべる。
数分後、もうこれ以上考えてもきりがない。一か八かで答えた。
「名人1期、竜王2期、タイトル3期のいずれかだ」
なめくじはまた笑った。
「けっけっけ、そこまでは合っている。しかし、それだけか?」
オレはその時、勝数による昇段規定もあったことを思い出した。
確か八段で250勝か300勝。これも迷っていてもしょうがない。
「それと、八段での勝数300……」と言いかけたその時だった。城の先のほうで、ううぉーーという獣の咆哮のような音が聞こえて、声がかき消された。
「けっけっけ、よく聞こえなかった。もう一度言え」
オレは、この瞬間なぜか、300は違うような気がしてとっさに言い換えた。
「八段での勝数250勝だ」
「けっけっけ正解だ。通してやろう」
運がよかった。あの時300と言ったのが聞こえていたら……。オレは、冷や汗をぬぐいながら先へ進んだ。
Q.後手の指し方教えて
1図のようになったら、後手はどう指すのか詳しく知りたいです。ぜひ教えてください。
(新潟県 Mさん)
A.うますぎる時は注意
次に現れたのは、体中毛むくじゃらの大男だった。顔まで毛に覆われているので目や口がどこにあるのかも分からない。「ううぉー、さあここでどう指す?」
どうやら先ほどの咆哮は、この大男によるものだったようだ。だけど、こいつ、なぜか懐かしい感じがする。
いけない、余計なことを考えている場合じゃない。オレは自分にそう言い聞かせ、必死に局面の把握に努めた。
▲6五角は、4三と8三への角成り込みが狙い。すんなりと成れれば先手が優勢になる。
「両取り逃げるべからずじゃ」とじいさんが言っていた。つまり後手としては、今が技をかけるチャンスといえる。
数分後、オレは面白い手が見えた。△2八歩と打つ手だ。▲同銀には△2五飛で両取り。また▲4三角成△2九歩成の変化は後手優勢だ。
オレは勇んで△2八歩を示そうとした。その時、またもじいさんの言葉が、頭をよぎった。
「うますぎる時は注意せよ。いい手が見えた時ほど腰をすえて考えるんじゃ」
オレはもう一度確認をすることにした。△2五飛の時に▲5五飛の切り返しがあることに気づいた。危ない、危ない。オレは今度こそはじっくり考え、次の手を示した。
「△3三角だ」
「ううぉー、▲7七銀ならどうする」
以下、△2八歩▲同銀△2五飛と進んだ。やった、決まった。△3三角の効果で、▲5五飛を打てない。
また、▲7七銀では▲5五歩の受けが気になったが、それでも△2五飛▲4三角成△2九飛成▲2一馬△5七桂で後手優勢だ。
「ううぉー、これはうまくやられた」
オレが安堵のため息をつくと、大男は意外なことを言った。
「強くなったな」
まさか……オレはとっさに返した。
「と、父さん?」
「そうだ、私は20年前、大魔王にやられてこんな姿にされてしまった」
「父さん……さっきなめくじの質問に間違えそうになった時、オレを助けてくれたんだね」
オレは、あふれる涙を止めることはできなかった。
「そんなことより、この先のことを考えるんだ。きっと苦しい戦いになる」
さまざまな感情が錯綜する中、オレは先へ進んだ。
(つづく)
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笑いあり涙ありの大冒険。
お父さんは特別としても、手下の怪物たちが「問題を解いたらその場所を通してやる」というルールをきちんと守っているところが、極悪に徹し切れていなくて可笑しい。
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それにしても、会話の中に譜号や戦法名が出てくると、どのような悪人の会話でも、脅迫に聞こえなくなるから不思議だ。
「どうしても▲5七銀左とやっていないとおっしゃるんですか。奥さん、それならこちらも法的手段をとらせていただきますがね。表沙汰になっちゃマズいんじゃないですか?」
「生きながら苦しめる方法なら俺もいくつか知っている。お前に角換わり腰掛け銀を試してやろうか」
「俺みたいな仕事してると、組とも警察とも付き合いがある。これ以上△5三銀型大野流三間飛車をやったら、何すっか分かんねえぞ!」
「冥土の土産に聞かせてやろう。あの時、あんたが▲7八飛と来ていたなら俺は△2六歩~△2五歩の玉頭攻めを狙うしかなかった。しかし、▲5八飛だった。あれがあんたの命取りだったな。この部屋はあと2分で爆発する。まあ、俺を恨まないでくれよ」
いや、前言撤回、やっぱり悪そうだ。