東海のトラック野郎

藤井聡太四段の大師匠(師匠の杉本昌隆七段の師匠)、故・板谷進九段が四段になった頃のエピソード。

将棋世界1981年10月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 ”東海の若旦那”板谷がまだ四段になったばかりのころだった。付き合いのいい板谷は友人の弟が東京の大学に出て行くというので、惜別をこめて、その青年と呑んだ。夜中の12時はとうに回っていた。酒の勢いもある。「これから引っ越しをやろうか?」と板谷。―これが彼の気の良さだが、自分は酔っているという気にならないところが、少々あさはかだ。ただ、その青年があまり呑まない男だったのがよかった。

「ええ、これから東京まで行きましょう!」

 すぐに小型トラックを用意してきた。もう勢いである。二人は荷物を積んで旧東海道をとばした。といっても、まだ東名高速などできていない時代、「デコボコですごい道だった。でも朝の10時には東京に着いていたよ」という板谷の自慢顔が、またおかしい。

 その帰り、また「一人では寂しいから」とおせっかいなことをしでかす。連盟に行って「だれか、帰りのトラックに乗らないか?」と誘ったのだ。ただ板谷は、トラックということをかくして”クライスラー”といったようだが―。

 好奇心旺盛な若者の、米長、大内、剱持ら6、7人がこれに乗った。「熱海にくり出そう」というのだ。むろん、みな荷台にザコ寝である。「着いたとき、剱持さんは真っ青な顔で”ひどい震動だった”と嘆いていました」というのは板谷流のブラックユーモア。この往復、板谷は24時間もトラックに乗りづめだったという。

(以下略)

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板谷進九段の四段時代は1962年10月~1964年3月なので、この話は1963年の3月頃と思われる。

「東海の若大将」という愛称がピッタリな展開だ。

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昭和30年代のこの頃の熱海は新婚旅行のメッカ。

新婚旅行のメッカに男だけ7~8人でトラックで行くのもなかなか豪快だが、それだけメジャーな観光地だったということだろう。

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昭和30年代、ある映画スターが銀座で飲んでいる時に急に朝日を見たくなって、「おい、これから朝日を見に行くぞ」と言って、一緒にいたスタッフや店の従業員大勢をタクシーやハイヤーに分乗させ、熱海まで疾走した。もちろん、タクシー代などは映画スター持ち。

話の展開は全く異なるが、そのような話を思い出した。

昔の本で読んだ記憶があるので話は定かではないが、映画スターは小林旭さんだったか石原裕次郎さんだったと思う。

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昨日の「藤井聡太四段 炎の七番勝負」藤井聡太四段-増田康宏四段戦、藤井聡太四段の終盤の▲9七玉と▲1二歩にビックリしたり驚いたり。感動的な手だった。

進境著しい増田康宏四段にあのように勝ったということは、この七番勝負で藤井聡太四段の勝ち越しも有り得るような感じがしてきた。