升田幸三実力制第四代名人「普通の手というのは何ですか。僕には分からん」

近代将棋1991年6月号(升田幸三実力制第四代名人追悼特集)、東公平さんの「偉大な棋士を偲ぶ」より。

 天才、鬼才、反骨、悲運、毒舌、新手の創造者―升田さんにつけられた”冠詞”は数多かったけれど、なんかちがうな、という気もする。むろん、人間が人間を評するのだから百人百様の見方があって当然だが、私の知る限り、ということは三十代で三冠王になる少し前からの升田さんは、短期間とはいえ最強者として将棋界に君臨し、言いたい放題威張り、良い家庭を築き、日本の一流人の交際してもてはやされていた。

 晩年に毒舌の反動(誤解も多かった)がきて多くの棋士や関係者に疎んじられ、敬遠されるなど、さびしく、不本意な日々が続いていたのは事実だが、ご本人がテレビなどで「もう一度生まれて来たら、やっぱり将棋指しになる。二歳三歳から修行を積んで、今度は名人に角を引いて指すのが夢」と語っているように、トータルでは悔いのない将棋人生を楽しんだ人だと私は思う。

 本誌の読者には棋界通が多いはずなので、あまり知られていないエピソードを綴って偉大な棋士を偲びたい。

「天才について」

 将棋の才能とは何だろうか。広島県の山奥に育った升田少年は、川に泳ぐ魚を手づかみにする遊びに熱中したそうだ。「場所によっては無理だが、コツがわかって、教えてくれた大人よりうまくなったね」と聞いた。

 南芳一さんは奨励会員のころ、前師の賀集正三さんに「池の鯉をつかんでみろ」と言われたそうだが、集中力という一つの才能は、やはり訓練によって”超人”の域にまで高められるもののようである。

 こんな話もある。升田少年は電線に止まったスズメの大群が、パッと一せいに飛びたつのを見て、その数が分かった。これは多分、頭の中に、静止した映像として写真のように焼きつける「残像能力」が人並み優れて発達していたのだと思う。野球の天才打者は「ボールが一瞬止まって見える」と言う。

 十手、二十手先の局面が映像として頭の中に見える人とそうでない人の差は、歴然と棋力の違いに表れるはずだ。

「最善手」について

 升田さんに解説を聞いた折、「ここで普通は銀を引くと思うんですが」と言って、すかさず「普通の手というのは何ですか。僕には分からん」と反問され、ハッとしたことがあった。「読まない能力」と説明されるように名人級の棋士には、やたら手の多い(と凡人には見える)局面であっても、指すべき手とダメな手は、直感で見分けがつく。

 升田さんは「僕には最善手しか見えん」と言いたかったのだ。

 右の話と矛盾するようだけれど、升田さんは人真似がうまかった。ある局面を説明するのに、「大山君ならこう指すだろうな。花ちゃん(花村元司九段)なら、しょんない、しょんない、いうてこう指すかも知らん。荒巻さん(三之八段)なら、こういうきたない手つきで、こんな手指しよるだろう」

 木村義雄十四世名人の形態模写などは絶品だった。「えらそうにそっくり返って、タバコをこう持って、フーッ・・・」

 と、煙を天井へ吹き上げる仕草。升田さんは噺家になっていても名人だったに違いないと思った。鋭い観察眼と、恐ろしいまでの記憶力の持ち主だったし、話術がまた天才的で、口述筆記をする時でも、省略部分を少し補うだけでそのまま文章になった。

「新手」について

 升田さんは「新手一生」というスローガンを揚げ、数々の新戦法を編み出した人である。が、思い返してみると、自分から「これは新手だ」と自慢したことは滅多になかった。

 むしろ他の棋士が「こりゃ新手だ」「すごい構想だ」と賞賛したのであって、新聞というメディアの特性上、記者たちが新手、新手と断定的に書きたてた例が多かった。

 私も「新手」を多発した記者の一人であるは、もともと半人前ながら”将棋指し”の一人だったし、将棋史や古棋譜に、半分は仕事、半分は趣味で興味を持ち続けて来た。

 だから、将棋という非常に制約の多いゲームにおいて、まるっきりの新手というものはめったに生まれないと思っている。どんな天才だって、先人の残した棋譜を学ばずして高段に達することは不可能である。

 「升田の新手」は文句なしにすばらしく、おもしろかったけれど、先生自身も言っておられた通り、必ず何か、ヒントになる原型があったのだ。それは伊藤宗看(七世)名人や天野宗歩七段らであったり、無名の低段棋士やアマチュア強豪であったりした。

 僭越ながら、故人を、将棋史上随一の戦略家と呼ばせていただく。

 偉大な棋士・升田さんは、古き革袋に新しき酒を、なみなみと盛って私たちを楽しませ、啓発してくださった。心から、ありがとうございましたと申し上げる。

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升田幸三実力制第四代名人が全幅の信頼を置いていた東公平さんによる追悼文。

「普通の手というのは何ですか。僕には分からん」という言葉は、たしかにハッとさせられる。

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ある局面での「大山君ならこう指すだろうな。花ちゃん(花村元司九段)なら、しょんない、しょんない、いうてこう指すかも知らん。荒巻さん(三之八段)なら、こういうきたない手つきで、こんな手指しよるだろう」、絶対に聞いてみたい解説だ。

升田幸三九段(当時)は対局中に、「大野流の攻め方やな」と自分が指したばかりの手に解説をつけたりするようなこともしている。

ゼニになる将棋(中編)

また、以前にも紹介したが、升田九段がNHK杯戦の解説をしたとき、大山康晴名人の攻め手を見て、「僕ならこうやる」と、升田流と大山流の棋風の違いを如実に示すようなこともあった。

升田流と大山流

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現代においては、趣旨は異なるが、将棋世界に連載中の「イメージと読みの将棋観」が「◯◯ならこう指す、△△だったらこう指す、◇◇だとこう指す」にやや近いのだと思う。

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升田幸三実力制第四代名人が数多く描かれている東公平さんの著作。

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升田式石田流の時代―最強将棋塾DX (東公平コレクション) 升田式石田流の時代―最強将棋塾DX (東公平コレクション)
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名人は幻を見た―東公平コレクション〈2〉 (最強将棋塾DX) 名人は幻を見た―東公平コレクション〈2〉 (最強将棋塾DX)
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