名人戦の対局室に聞こえてきた大盤解説

藤沢桓夫さんの『将棋百話』(1974年)より。

 教室のような大きな将棋盤―いわゆる大盤は、今や将棋ファンになじみ深いものとなった。テレビ対局にも解説用に使用されているし、将棋愛好者の集会で、その時どきのタイトル戦の棋譜などを専門棋士に解説してもらうのに、大盤を仕様している所も少なくない。

 大盤も改良を加えられ、最近は駒が磁石で盤面に密着するようになっている。むかしは一つ一つの駒を盤面のクギに引っかける仕組みだったので、なかなか引っかからなかったり、駒を取り落としたり、手間も多かった。

 その当時から、タイトル戦が行われているその日に、主催新聞社が東京・大阪などの大都市の目抜きの街頭に大盤を置き、実況中継式に、専門棋士の解説を集まったファンたちに聴かせたりしたが、この大盤解説についての笑い話を一つ。

 大野源一八段は根が洒脱な人で、おまけに毒舌家で話が面白いことから、関西ではよく大盤解説に引っぱり出される。十年余り前、升田-大山の名人戦が京都祇園の中村楼で行われた時も、大野さんは南座前の空き地で大盤解説をやっていた。

 もともと口が悪いところへ、升田も大山も木見門での自分の弟弟子と来ているので、大野さんの言うことに遠慮がない。いつもの調子で「升田の阿呆がヘタな手を指したもんですわ」とか、「大山のバカが」とか、両棋士の指し手に面白おかしくケチをつけ、得意になって聴衆を笑わせていたところ、大野さんのその大声が、いかなる風の吹き回しか、とにかく風の流れに乗って、はるか数町離れた中村楼の大広間で盤を挟んでいる両対局者の耳に突如はっきりと伝わってきた。「大野さんやってる、やってる」と大山が言えば、「バカと阿呆がヘタな将棋を指しとるらしいのう」と升田が受け、両巨匠は顔を見合わせてワッハ・アッハと大笑いしたそうである。

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振り飛車名人・大野源一九段のことだから、

「大山はこんな辛気くさい手を指しおって、考えられませんなあ。僕ならこうです」

と、目の覚めるような軽妙な捌きの手を示したり、

「升田は入門した頃からポカが多かった。今も全然治っとらんですな」

などのような大盤解説だったのかもしれない。

絶対に聞いてみたい大盤解説だ。

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振飛車名人 大野源一九段

大野・升田・大山兄弟弟子(前編)

大野・升田・大山兄弟弟子(後編)