羽生善治四段(当時)の驚異の金銀損の攻め

将棋世界1986年5月号、羽生善治四段(当時)の第8回若駒戦決勝〔対 神崎健二二段〕自戦記「ラッキーな優勝!」より。

○最後の出場○

 若駒戦の出場は2回目、前回は1回戦負けだったので今度こそがんばりたいと思った。1回戦から苦戦の連続ながら決勝まで勝ち残ることが出来た。関東の代表として恥ずかしくない将棋を指したいと思い、大阪に向かった。

(中略)

○早くも作戦負け?○

 関西の代表は神崎二段、前々回の優勝者である。もちろん今回が初顔合わせ、棋風も全く解らない。

 ▲7八金の所、▲6八玉から▲7八玉と一手得する作戦で来ると思っていた。それならば矢倉中飛車か急戦矢倉にするつもりだった。▲3五歩と突かれて、普通▲2六歩の形が▲2七歩になっているので少しおかしいことに気がついた。しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ。

1図以下の指し手
△同歩▲同角△4五歩▲6八角△5三銀▲4六歩△4四銀右▲4八飛△3四銀▲3五歩△同銀右▲4五歩(2図)

○飛先不突き矢倉の優秀性○

 ▲6八角の所で▲2六角と反対の方に引かれるほうがいやだった。こういうことができるのも飛先不突き矢倉の優秀な所だと思う。

 と言っても▲6八角は悪い手ではない。△3四銀まではよくある形と思ったが飛先不突きの利点で▲3五歩と打たれることに気がついた。

 ▲2六歩の形ならば△同銀右▲4五歩△3六歩▲4六銀△2六銀でこちらが良い。2図は手の広い局面なので長考に入った。

2図以下の指し手
△3六歩▲4六銀△6四角▲3五銀△3七歩成▲4九飛△4七歩▲6五歩△7三角▲4四歩△4八歩成▲4三歩成△同銀▲4四歩△5二銀(3図)

○金銀損○

2図で考えた変化は3通り。1つめの変化は△3六歩▲4六銀△5三角、2つめの変化は△6四角▲3六歩△同銀、3つめが本譜の手順。

 1つめは押さえ込んでいきたい将棋なので本筋だとは思うが、じっと▲7九玉(変化2図)と寄られて▲5五歩や▲3五銀△同銀▲4四銀など、玉型が良くなれば思い切った攻めが出来るのでとても受け切る自信がなかった。

 2つめの手順は▲同銀△1九角成▲4六角△同馬▲同飛(変化3図)で次に▲4四歩△4二金引に▲6一角が厳しい。なお▲4六角のところ▲4四歩△4二金引の交換を入れると、△4五歩▲4八飛△1四角でこちらが面白い。

 本譜の手順も銀損になるので自信がなかったが、この順が一番逆転の可能性があると思った。▲4四歩に手を抜いたのは勢いで、△3三金寄では負かされそうな予感がした。2度目の▲4四歩は小さなミスで、ここは▲6四歩△同角▲4四歩△5二銀▲6五銀△4九と▲6四銀△同歩▲7九玉△5九と▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化4図)ではっきりしていた。角をにげずに▲3七桂がいい手で角をにげると2段目から飛車を打たれて歩切れのために困ってしまう。

 3図で昼食休憩。

3図以下の指し手
▲3四銀△4九と▲7九玉△5九と▲4三金△4二歩▲3二金△同玉▲8八玉△6九と▲5七角△4七と▲6六角△3八飛(4図)

○望外の好転○

 昼食休憩中にはひどい将棋になってしまったと思っていたが先手の玉型が悪いので、苦しいながらも大変だった。

 △5九とは自慢の一手で、放っておくと△6九と▲同玉△3九飛で一枚使わなければならない。次の▲4三金が敗着になった。ここは▲8八玉△6九と▲3七桂△6八と▲同金引(変化5図)で桂馬を取れば▲3三歩△同桂▲4三金で攻めが続く。

 本譜の手順は先手の角が6六の好位置に行ったのだが、△3八飛と打たれると銀が渡せないので攻め方に困る。

4図以下の指し手
▲2二銀△同玉▲4三歩成△5五歩▲3三金△同桂▲同と△3一玉▲6八桂△4四銀▲7五歩△5七と(5図)

○勝利を確信○

 ▲2二銀には△3四飛成でも勝ちだが、△同玉のほうが勝ちが早いと思い選んだ。△4四銀と要のと金を取りに行って、どうやら勝負あった感じ。

 しかし▲7五歩といやな所を突いてくる。ここで△3三銀ならば▲同銀成△同飛成▲7四歩でうるさい。次の△5七との意味は、▲同金ならば△6八と▲同銀△7六桂で寄り筋。▲同角ならば△3三銀▲同銀△同飛成▲7四歩で、角をにげた時に▲5五角を消しているのである。

 どうやらゴールが見えてきた。しかしどんなに良い将棋でも油断すると危ないので慎重に指した。

5図以下の指し手
▲2三銀成△3三銀▲同成銀△同飛成▲5七金△3八竜▲6七金寄△5八銀▲3三歩△6七銀成▲2三銀△7八成銀▲同玉△6八と▲同銀△7九金▲6七玉△7六金▲同玉△8五金▲6七玉△7六金打▲5七玉△6六金▲4六玉△2四角(投了図)
まで、106手にて羽生の勝ち。

○若駒戦のこと○

 若駒戦は奨励会の有段者が参加できる唯一の棋戦です。対局の少ない奨励会員にはとても励みになるので、これからも続けてほしいと思います。僕も初段の時に初めて若駒戦の対局通知をもらった時には、嬉しくて対局の日が待ち遠しかったことを覚えています。

 この将棋を振り返ってみますと、序盤に▲3五歩と仕掛けられて早くも苦しくしてしまいました。しかし中盤で金銀損しても、玉型の悪さをついて2枚のと金で飛車を取りに行ったのが結果的には良かったようでした。神崎二段としては角を6八に置いたまま、それを取らせて攻めれば良かったと思います。ただ神崎二段は角を取らせるのを考えていなかったそうで、その点ではとてもツイていたと思います。

 そして4図になっては完全に逆転しました。5図以下は割合にうまく寄せ切ることができました。しかし内容としてはイマイチという気がしました。もっともっと勉強して良い将棋を指したいと思います。

 この後表彰式で優勝カップをもらいましたが、それをもって帰って来るのが意外と大変で、何となく優勝したんだなあという気持ちになりました。

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2図から3図に至るまでの金銀損の攻め。

中盤に入ったばかりの局面での、驚くほどの踏み込みの良さと勇猛果敢さ。

たしかに金銀損ではあるが、と金が2枚できているので金銀と金2枚の交換と見ることもできる。なおかつ先手の飛車を殺せるわけで、非常に説得力のある指し方だ。

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「しかし僕は余り悲観していなかった。最近はこのような序盤ばかりだ」

と羽生善治四段(当時)が書いているように、この頃の羽生四段は、序盤は荒削りだったものの、豪腕の中終盤力で勝利を重ねていた。

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この羽生四段の自戦記は、将棋世界での初めての自戦記で、15歳の時に書かれたもの。

月並みな言葉ではあるが、15歳の文章とは思えないほどしっかりとしている。

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下の写真は、この対局が行われた頃の羽生四段。中学3年生。

貴公子然とした少年なのに、この対局で現れたような、野蛮と賞賛したくなるような強烈な攻撃を仕掛けてくるわけで、そのギャップがすごい。

この頃の別の棋戦での羽生善治四段(当時)。中学3年生。将棋世界1986年4月号掲載の写真。撮影は中野英伴さん。

 

 

 

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