将棋世界2002年11月号、野村隆さんの「編集後記」より。
中田功六段が編集部で原稿をお書きになっている。
そこにあの遅筆の大家、弟弟子・行方六段登場。
「世界も暴挙に出ましたね」。
仕事を終えた先崎八段も「考えても考えなくても原稿なんて同じなんだから。質より量、埋めりゃいんだから」と暖かいアドバイス。
「何だか書けそうな気がしてきた。1時間で終わらせて飲みにいこう…」
○日間お疲れさまでした。
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行方尚史六段(当時)の「世界も暴挙に出ましたね」は、「将棋世界も暴挙に出ましたね」の意味。
中田功六段(当時)も遅筆だったのだろう。
この時、中田功六段が書いていたのは、「旬の棋士の熱闘自戦記」という若手・中堅棋士による自戦記シリーズで、11月号に掲載する自戦記が中田功六段執筆によるものだった(第61期C級1組順位戦 対 長沼洋六段戦 「自分らしく」)。
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この自戦記が、笑いあり涙ありのペーソス漂う文章で、6年前にこのブログで取り上げている。
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それにしても、編集部の机で原稿を書いている最中に、行方尚史六段や先崎学八段(当時)が遊びに来れば、早く一緒に飲みに行きたくなるのが人情というもの。
1時間で原稿を終わらすなど無理な話であり、この日も途中で飲みに行ったのだろう。
とは言え、この文章からは、中田功六段が、
- 先崎八段、行方六段と3人で飲みに行った
- 後から文中に登場する先崎八段と2人で飲みに行った(行方六段は先崎八段が現れる前に編集部から立ち去っていた)
- 行方六段も先崎八段も編集部から立ち去って、結果的には別の棋士と飲みに行った
- 行方六段も先崎八段も編集部から立ち去って、一人で飲みに行った
- 「1時間で終わらせて飲みにいこう」と言ったものの、原稿がなかなか進まず、遅くまで編集部にいた
のいずれの行動だったかを断定することが難しい。
きっと、先崎八段、行方六段と3人で飲みに行った線が濃厚だと考えられるが、いずれにしても、悩みに悩んで日数のかかった労作であったからこそ、このような素晴らしい自戦記が生まれたのだと思う。
もちろん、悩みに悩んだから良い文章ができるかというと、そうとは限らないのが、現実的には難しい問題であるが。