板谷進八段(当時)「150、180だと!?そりゃ血圧の話だろう」

将棋世界2003年2月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。

 将棋会館に向かう途中の電車の中で、また学習塾の広告が目についた。

 またと言うのは、前回の11月29日のときもその広告を見たからだ。

 固い頭をやわらかく、とか謳って国語の問題が4問出題されている。これが難問で、横浜から渋谷までの40分、意地になって考えたが、1問も解けなかった。

 将棋会館に着き、控え室に高野三段がいたので、この話をし、あんな問題で能力をはかるのはおかしいよね、と言うと好青年だから年寄の八つ当たりに相手をしてくれた。ついでに、20年くらい昔に知った同じような問題を出した。彼も気も遣ってか「わかりませんねえ」と笑った。

 そういう事があり、この日再び問題を考えたがわからず、バカバカしくなってやめた。降りるとき答を知ろうと近寄って見たが解答は出てなかった。

 この日はA級順位戦が2局あり、控え室は昼間から賑やかだ。また高野君がいて将棋を並べていたので、例の話をすると、横に立っている森(雞)九段と有森七段が「どんな問題なの?」と言う。

 こういうこともあろうかと思い、問題を写しておいた。それを見せると、二人は2、3分眺め「これは解けないよ」とさじを投げた。頓知問題だから、パッとひらめかないと、いくら考えても無駄とわかっているのだ。若い頃の森九段なら、この手の問題は、5手詰より早く解いただろう。かつての天才も、頭が固くなったかな。

 しかし、将棋を並べていた奨励会の諸君は、チラッと見て簡単に解いた。編集部諸君も、また楽勝だった。

(中略)

 そこで余談を続ける。

北 □ 四 九

 上の図は高野三段に出した問題。私が解けなかったので、中学入試なのに、と笑われた(解答は記事末)。

 これを王位戦の中原対米長戦の観戦で北海道へ行った折、控え室で見せた。インテリばかりだが、誰も解けない。しばらくして解答を教えたが、それでもわからない人がほとんどだった。

 対局室に行き、記録の少年に問題を見せると、考慮中の米長八段がひょいとのぞき、うむ、と言って、そうか、とうなずいた。瞬間に解いたのである。私が、「凄いねえ」と感心すると、どれどれと中原王位も問題を眺めた。しばらくして、不機嫌な顔で紙を返した。解けなかったらしい。

 対局の邪魔をしてしまった、と席を立つと、解説役でその場にいた芹沢が追うように出て来て正解を言った。

 その後、何人かの棋士に出したが、ほとんどの棋士が解けた。高野君の話では、松尾五段は解けなかったそうだ。

 これでわかるように、解けた解けないは、頭のよしあしとまったく関係がない。

 この頃だったか、棋士の知能指数が話題になり、対局日誌に書いたことがある。

 ある棋士が、対局で負け、感想戦でもさんざんやられたとき、「これでも高校時代、知能指数では県で一番だったのに……」とボヤイた。

 この話が伝わると、武者野君だかが「私の知能指数は、東大は楽勝というレベルより上でしたよ」さらりと言った。彼の説では、120が東大合格レベルで、彼は130だったとか。

 やがて話が大きくなり、150は当たり前。森(雞)、真部は特別な秀才で、180はあった、ということになった。聞いていた血の気の多い板谷進は、「150、180だと!?そりゃ血圧の話か」と憤慨したものだった。

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たしかに、昔は電車の中に大手学習塾の広告が貼られ、中学入試問題などが解答なしで出されていたものだった。

学習塾ではないが、最も驚いたのは、予備校の「みすず学苑」の車内広告。最近はあまり驚かなくなったから、慣れというものは凄いことだと思う。

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河口俊彦七段の解答によると、追うように出てきた芹沢博文九段は「ブック」と正解を言って対局室に戻っていったという。

北 □ 四 九

は、北海道、本州、四国、九州という、日本を島単位で分けた並び方。□には本が入る。

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いつの「対局日誌」だったか、すぐには見つからないが、武者野勝巳六段(当時)の話を聞いて、真部一男八段(当時)が「僕は150だ」と言って、それを聞いた森雞二九段が「僕なんか180だ」。それを横で聞いていた板谷進八段(当時)が、「血圧の話と勘違いしてるんじゃないの」と笑った、といった展開だったと思う。

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以前、「棋士たちのボウリング大会」という記事で、

数値(スコア)の大きさが、

ゴルフ<知能指数<ボウリング が理想的だと書いたが、ここに血圧が入ってくるとどうなるのだろう。

ゴルフは100を切ればなかなか、ボウリングは150を超えればそこそこ。

超理想的には、

ゴルフ<血圧<知能指数<ボウリング

だろうか。