将棋世界2003年3月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
森下対三浦戦は、1図の形から、三浦八段が△7五歩と仕掛け、▲同歩△3五歩、という将棋になった。
一発△7五歩と突き捨てるのが、この形では筋のようである。いつだったか三浦八段が、「穴熊を攻めるには、7六へ歩を打ち、7七へ駒を打ち込むのが早い」と言っていたのを聞いたことがある。本局の△7五歩はその線にそったもの。
ここから三浦ペースになったらしい。後の経過を見て田中(寅)九段は「△7五歩をありがたいと取る森下将棋に、この戦型は向いていないんだよ」。
お説の通りで、森下八段はさっぱり力が出ない。やがて2図のように進み、先手不利が明らかになった。
2図以下の指し手
▲5四と△3八成桂▲2七飛△3七歩成▲1七飛△4八と左▲3九歩△4一飛▲9五歩△5九と左▲6四と△6九と寄(3図)▲5四とはいい味だが、△3八成桂から調子よくと金を2枚作られた。三浦八段はその2枚のと金を一目散に寄せる。
その間の森下八段の指し手は、どことなくちぐはぐだ。と金を引いても、すぐ銀を取らず、▲3九歩と打っても次に成桂を取らない。さらに急所の端を攻めても▲9四歩と取り込まない。
そうこうしているうちに、△6九と寄が来てしまった。3図の森下陣は、ためらい傷のあとを見ているようである。
(以下略)
—————-
この一局は、△7六歩が打たれることなく、三浦弘行八段(当時)の勝ちとなっている。
それほど差が開いてしまったということでもある。
—————-
「穴熊を攻めるには、7六へ歩を打ち、7七へ駒を打ち込むのが早い」は、非常に実戦的な三浦流格言と言っても良いだろう。
—————-
居飛車穴熊のオーソリティーである田中寅彦九段の「△7五歩をありがたいと取る森下将棋に、この戦型は向いていないんだよ」。
森下卓九段は歩得に非常なこだわりを持っている。
—————-
ためらい傷は自傷行為によるもの。
5四とも3九歩も9五歩も、敵の駒を攻める(責める)手なので自傷行為にはあたらないわけなのだが、「ためらい傷のあとを見ているようである」が、あまりにもピッタリで、非常に秀逸な表現となっている。