佐藤康光二冠(当時)「羽生さんは一番謎めいた部分が多い棋士だということです」

将棋世界2002年12月号、日本経済新聞の松本治人さんの「第50期王座戦を振り返って」より。

 三冠対二冠の対決。事実上の棋界最強者決定戦と言われた今期王座戦は、接戦の予想を覆し羽生王座3連勝という圧倒的スコアの結果に終わった。羽生の力業である。

 戦前のインタビューで、羽生が話した佐藤の印象は「王将戦のとき佐藤さんが変わったとよく書かれたが、自分はそう思わない。指しているときの手応えは昔と同じ」―。相手の棋質は知り尽くしているという自信を、言外に匂わしている。今春の王将戦で負けたとはいえ、タイトル戦では7勝2敗だ。

 ただ、内容的に決して羽生好調とは言えないシリーズでもあった。王位戦に敗れた後であり、第1局を迎えたのは連日対局、連敗した直後だった。しかも佐藤が選択した矢倉の戦型に、かなり意表を突かれている(佐藤が随分研究してきていることを強く感じたと、後に明かした)。佐藤が勝っておかしくない展開だったが終盤見損じがあり、逆に羽生勝ちとなった。この初戦は一つの分水嶺であっただろう。五番勝負の先勝は想像以上に大きく、羽生は立ち直りのきっかけをしっかりつかんだ。

 絶妙の勝負術も見せている。王座戦は午前9時から始まり、夕食休憩の午後6時には相当険しい局面まで進んでいることが多い。将棋連盟で対局しているのと同じように指していると、ペースが狂うのである。羽生はこの夕食休憩の時間を巧みに活用している。第1局は中盤の勝負所で佐藤に手を渡して休憩とし、佐藤の迷いを誘った。再開後の第1手が佐藤の敗着となった。第2局は既に優勢だったが、自分の手番で休憩に入り、再開後に堅実な決め手を放った。最終局の勝負手である△5四桂は、やはり再開後の56手目である。

 上海対局の戦型も論議の的になった。プロ間で先手よしとされている局面に踏み込んだ理由は何なのか。終局後、気分転換に上海の街に出た佐藤は「結局羽生さんが、どの手を用意してきたのか分からなかった」と呟いた。東京でネット中継を観戦していたある若手棋士は「2勝2敗の後ならば、羽生さんはあの戦型にしなかったのではないか」と推理する。羽生は「中座飛車は結構指しているが、自分の将棋は信用されていないな」と苦笑する。△5四桂から詰みまでは研究しきれない局面であり、最後は力の勝負になるとの認識がある。

 羽生は対局前日、別行動をとり上海の街で一人散策を楽しんだ。繁栄と混沌と喧騒と欲望とを同時に発散する上海を歩くには体力がいる。しかし将棋界の巨人はさほどの疲労を感じなかったらしい。そして「最近はカド番の将棋を指すことが多くなった」と人ごとのように呟くのである。この日、対局場のホテルでは580人が参加して行われた「上海少年少女将棋王座戦」の決勝戦が行われている。そうした上海の変貌に何を見たか。

「shanghai」には「無理やり、成し遂げる」という動詞の意味もあるそうだ。羽生も最強の挑戦者を相手に、力ずくで3連勝した感がある。羽生VS佐藤。80局近く指しながら、お互いの形勢判断、読み筋の合わないことがしばしばあった。プロ同士では対局を重ねるに連れ、読み筋が合ってくるという。好例が羽生VS谷川で、それが「羽生-谷川戦に凡戦はない」という棋界の評価につながっていくのだろうが、羽生VS佐藤には、お互い自分の主張を譲らず正面衝突する豪快な魅力がある。

 対照的な二人でもある。曲線的な羽生に直線の佐藤。好奇心の塊の羽生に対し、佐藤は侠気が強い。佐藤が「100年後の将棋ファンに見せる棋譜をつくる」と豪語すれば、羽生は「未来の将棋ファンに羽生という棋士はこの程度だったかと見られるのは、以前はちょっとイヤだなと思っていたけど、今はそんな意識はない」と言う。

 佐藤語録に「タイトル戦に出ると香車一本強くなる」がある。今回はどうか?

「香車ほどではないけれど(苦笑)、収穫はありましたね……。羽生さんは一番謎めいた部分が多い棋士だということです」という答えが返ってきた。

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「一番謎めいた部分が多い棋士」。

この当時で羽生善治三冠と20年の付き合いがある佐藤康光二冠(当時)の言葉だから重みがある。ある意味では最大級の褒め言葉かもしれない。

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ここでの「謎めいた」とは少し違った意味になるが、見ただけで謎めいている人として思い浮かぶのは、亡くなった俳優の成田三樹夫さんと岸田森さん。

女性では若い頃の梶芽衣子さん。

今なら、遠藤憲一さんがそうかもしれない。

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上海は一度だけ行ったことがある。

西新宿が何十個も集まったような街という印象で、決して日本と似ているわけではないが、あまり海外に来たという実感が湧かなかった。

北京はもう少し海外っぽかった(中心部の町並みや中央機関の建物がテレビセットのように整然としていた。それと針葉樹)ので、これは上海の特性だと思う。

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上海から日本へ帰って、知人に勧められて井上陽水さんの「なぜか上海」を聞くようになった。

上海で旅情は感じられなかったが、「なぜか上海」を聞くと、上海に行った時のことが思い出され、日本にいながら旅情を感じてしまう。

音楽の力は大きい。