将棋世界1982年11月号、能智映さんの「第23期王位戦七番勝負終わる 内藤、4-2でタイトル奪取!」より。
ここで劇的な第6局の話に戻る。
両対局者とも「前夜祭はうるさいから、ないほうがいい」というので、将棋会館への入室は自由ですといった。
9時前に中原が入った。いつものとおりウイスキーの水割りを2、3杯あけて、「失礼します」と自室に消えた。それにタイミングを合わせるように内藤が現れる。この人は呑む。グイグイやった。「今回は呑まんようにしてるんや」と戦前には話していたが、呑みに呑んだ。「さあ、あしたがあるわ!」と立ち上がったときに時計を見たら、2時をすぎていた。気持ちのいい、対局前夜であった。
中原の包み込んでくれるような暖かさもいい。内藤の鋭い中にも思いやりのあるさわやかさもたまらない。
9月20日、対局開始を見るとき、そんな気がした。
(中略)
昼食の注文を聞くため対局室に入ると、内藤は即座に「カツ重」。すると中原も笑いながら「私もカツといきますか」。この二人、仲がいいのか、いつも食事の注文は同じものだ。しかも、「みんなと一緒に食べます」と談笑しながら食べてくれるのも気が楽だ。
(中略)
夕食は「天ぷら定食」。それを見た中原「えっ、これだけなの」と聞いて、おかしなことを言った。「対局者だけでも、もっとたべさせてくれないかなあ!」。これには一同吹き出した。
対局者は適度に呑み、わたしらは少々呑見すぎて(?)三々五々自室にもどる。
二日目の朝、内藤はまた食堂に現れなかった。そして、前日の手順を並べ終えたあとに「トマトジュースを一杯もらえんかなあ」と注文。「能智さんは朝めしを喰うて、昼めしをパスするからいかんのや。わたしみたいに朝めしをパスして昼めしをちゃんと喰ったほうが体にはいいはずや」とお説教じみたことをいって笑う。
(中略)
昼食の注文に、内藤は「チャーシューメンにオムレツや」。それを聞いた中原「わたしはチャーシューメンに揚げ焼売」。また内藤「わたしも、オムレツはやめて揚げ焼売にしとこ」。―いつも同じになってしまうのである。そして、また関係者といっしょに食べたが、ともに食べ終わるとさっと自室に消えた。いよいよ緊迫してきたか。
1時半再開。ここで珍しい人が現れた。
「ウイスキーのお湯割りを一杯いただこうか」とかいって、レストランで将棋界の将来などについてゆったりとしかも延々と話しはじめる。―「ワシは名人に香を引いた男じゃ!」。ご存知、升田幸三九段だ。
「ワシが見とると、感想を聞かれるから困るんじゃ」とかいいながらも、盛んにモニターテレビを見ている。そして「おっ!」とかいったか。
(中略)
夕食時、二人はまたいっしょに鰻重を食べた。さあ、最後の攻防戦だ。
(以下略)
—————
この対局は東京将棋会館で行われている。
—————
私はチャーシューメンもオムレツも好きだが、「チャーシューメンとオムレツ」という取り合わせは全く思いつかない。
この七番勝負は両対局者が頼むメニューが全く同じであることが多かったが、さすがの中原誠王位も同意はできなかったか、「わたしはチャーシューメンに揚げ焼売」と独自の道を行く。
しかし、なぜ普通の焼売ではなく揚げ焼売としたのかは、謎な部分だ。
よくよく考えてみると、私は揚げ焼売を今までに食べたことがないかもしれない。
ちなみに、現在、将棋会館に出前を行っている紫金飯店の出前メニューには、焼き餃子、春巻はあっても、焼売は含まれていない。
—————
中原誠十六世名人は本局で敗れ、王位を失い、無冠となってしまう。
1968年に初タイトル(棋聖)を獲得して以来、1970年に一時期無冠だったことはあり、無冠は12年ぶりのこと。
しかし、中原十六世名人は、この年の十段戦で十段位を奪還、さらには棋聖、翌期に王座、翌々期に名人と怒涛の復活をとげる。
無冠になって、それが転機となって不調を脱出したという形だ。