将棋世界2002年4月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
2月7日 深夜の激闘
順位戦8回戦の対先崎戦の前、藤井九段は「これが降級決定戦だ」ともらしたそうである。昨年、藤井は竜王位を失っている。つづけてA級を落ちては、超一流の格も失ってしまう。なんとしてもA級の地位だけは守らなければならない。
一方、先崎八段が酒を断ってまでして、この勝負に備えていたことが前号でお伝えした。であるから、これこそ本当の勝負将棋である。
しかし、考えてみると、藤井九段も先崎八段も、いちばん辛かったのは、1回前の第7回戦だったはずである。そこで藤井九段は佐藤(康)九段を、先崎八段は三浦八段をそれぞれ破り、ホッと一息ついた。ところが前途明るくなったところで、降級の怖さがさらに強まった。これは、将棋が優勢になったときの心理と同じだろう。
裏の大勝負では、羽生竜王対加藤(一)九段戦というのもある。もし羽生竜王が負けたりすると、万が一の恐れも出てくるというから驚いたものだ。
表の勝負は、森下八段対森内八段戦と谷川九段対佐藤(康)九段戦だが、後者は大阪で行われている。水垢離を取って精進している森下八段がここで並ぶことができるか。
と、これだけ話題に富んだ組み合わせが並べば、ファンの関心が高まるのは当然で、夕方になったころは、将棋会館2階の大盤解説場に続々とファンが集ってきて、何年ぶりかの活況になっていた。
そのころ、藤井対先崎戦は1図。堂々とした陣形である。中央に銀が向かい合ったところは気合い十分を感じさせる。
1図以下の指し手
△4五銀▲3七桂△5六銀▲同飛△4五歩▲3五歩△5五銀▲3六飛△6五歩▲3四歩△4四角▲3三歩成△6六歩▲同金△同銀▲4二と△6七歩▲6六飛△同角▲6七金△4八角成▲3五角△6九金▲8八銀打△6六歩▲6八金△同金▲同銀△5八馬(2図)いきなり長手順になって恐縮だが、激しい突っ張り合いを見ていただきたかった。この手順は流れが見所で、負けられぬ戦いだからといって萎縮することはない。逆に強気の応酬になる。ふるえがくるのは、形勢に差がついてからである。
この後そういった場面があらわれるので、そのときのために、脳のスタミナを蓄えておいてください。だから、2図までの手順などはあまり考えぬよう。
ただ、一つ言っておくと、2図近くの△6九金が好手で、ここからは藤井やや優勢となった。
それを意識したとたんに悪手が出た。
△5八馬でドラマの幕が開く。
2図以下の指し手
▲7一銀△同金▲同角成△同玉▲5一飛△8二玉▲5八飛成△6七金▲同銀△同歩成▲同竜△5九飛▲7九金△5八銀(3図)2図の△5八馬は藤井が「これだけはやってはいけない手」と反省した手だった。これで勝ちなら将棋なんて楽なものだ。先崎ともあろうものが、簡単に負ける手を指すはずがない、と考えるべきだった。
先崎八段は内心「ヤッタ!」と叫んだだろう。▲7一銀と打ち込み、以下角を切って、▲5一飛と王手馬取りがかかった。そして、▲5八飛成と馬を抜いては混戦である。
例年のように、特別に控え室が用意され、順位戦全局の継ぎ盤が作られているが、人気は本局に集中していた。
若手棋士達の議論が白熱したのは、▲7一銀と打たれたところで、△同金と取っては実戦のように馬を抜かれてマズいから、取らずに△8三玉と逃げたらどうか、というわけ。▲8二金や▲8二飛があるが、△9三玉あるいは△9四玉と逃げて、端の位が生きる。「藤井さんは、こういうのがうまいから読み筋だよ」の説も出た。藤井の信用はまだ落ちていない。
結論は△8三玉は後手負けらしい。局後藤井九段は「そんな危ない手は指せないよ」と言い、先崎八段も「逃げるなんて思いもしなかった」と言っていた。
3図以下の指し手
▲6八竜△5六角▲7八金打△同角成▲同竜△6七銀打▲8七竜△6九銀成▲3五角△7九成銀▲同銀△6八金▲7一角打△8三玉▲8八銀打△7九金▲同角(4図)力づくの混戦となった。先崎八段は▲6八竜と逃げたが、▲同竜△同飛成▲6九金打と固めるのが有力だった。
▲6八竜に△5六角と打たれては、いわゆる「食い付かれた形」になった。しかしまだまだ終わりそうにない。
(つづく)
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1図の振り飛車は、5五の位がとれていれば、ほぼ理想形。
「2図までの手順などはあまり考えぬよう」と書かれているが、解説が省かれているのが惜しいような、双方の強気の応酬。
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2図からの▲7一銀には、やはり玉を逃げたくなってしまう。
この形で逃げる手を一瞬も考えないのが、プロの感覚なのだろう。
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ここまででも十分に密度の高い濃厚な戦いであるが、この後、もっと濃い戦いが繰り広げられる。
それにしても、3図の6一の金がない高美濃囲い。
非常に安心感のない囲いになっている。
美濃囲いは6一(4九)の金が要であることが実感できる。