将棋世界2003年5月号、高橋呉郎さんの「棋士たちの真情 闘志いまだ健在ー田中寅彦九段」より。
そのころの田中は、親の敵でも討つように、いつも肩怒らせて対局室に入ってきた。対局中も闘志を面上にみなぎらせ、ときに相手をにらみつける。後年、羽生の”ハブにらみ”が名を馳せたが、どちらも経験した棋士は、「トラちゃんのほうが迫力がある」と軍配を上げる。
将棋はよく勝った。四段昇段後の7年間に4回、勝率1位を取っている。その勝率をもたらした戦法に、通称「イビアナ」居飛車アナグマがある。
田中は、この戦法の修正派を自認している。「元祖を名乗ったおぼえがないのに、自分が元祖と思い込んでいるアマチュアの人に訴えられた。裁判にまで引っ張り出されていい迷惑でした」と苦笑する。奨励会時代から指してはいたが、まだ、のめり込むほどではなかった。
「四段になった初手合で、佐藤大五郎(九段・引退)さんに居飛車アナグマで負けたんですが、威張られましてね。その威張り方が絶妙で頭にきた。この戦法で、絶対負かしてやるぞ、って。その翌々年、勝率1位になった年に、剱持(松二八段)さんに3回、居飛車アナグマで負かされた。『きみとは相性いいねえ。勝率1位なんだって?そうだろう、俺は強い人と読み筋が合う。ヨネちゃん(米長邦雄永世棋聖)も、マコちゃん(中原誠永世十段)も、カッちゃん(勝浦修九段)も、みんな、俺に負かされて強くなったんだよ、ハハハッ』……。剱持さんは羽生さんも負かしています。そんなこんなで、いよいよ、やめるわけにはいかなくなった」
振り飛車アナグマでさえ異端視された時代だから、イビアナに対する風当たりは強かった。
「四段のころ、中原さんにもいわれたことがあります。『優秀な戦法だけれど、終盤がおろそかになるんじゃないか』って。こんな将棋指していると、強くならないとか、いろいろ評論家が出てくるんですよ。そうなると、こっちは天邪鬼ですから、よけいやめられなくなる。それは、あなたの思想だ。俺は、俺の生き方でいく。プロとは、そういうものだと突っ張ったんです。けなされるは、負けるは、やってられるかってなもんでしたが、五段、いや六段のころかな、どうやら原型ができたような気がします」
(以下略)
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歴史的には居飛車穴熊は原田泰夫九段、その次に升田幸三実力制第四代名人がそれぞれ一局、その後、西村一義九段が複数局指しているが、やはり居飛車穴熊といえば田中寅彦九段。
居飛車穴熊にもし特許料というものが存在すれば、そのほとんどが田中寅彦九段に支払われることになるだろう。
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しかし、その居飛車穴熊も、「序盤のエジソン」と呼ばれる田中寅彦九段の優れた序盤感覚、創造性、そして負けん気の強さ、この三拍子が揃ったからこそ、完成されたことが分かる。
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そういう意味では、田中寅彦九段の負けん気を最大限に喚起した故・佐藤大五郎九段と故・剱持松二九段の振り飛車党の二人も、居飛車穴熊への貢献度が高かったことになる。
佐藤大五郎九段も剱持松二九段も、昔ながらの超個性派棋士。
佐藤大五郎九段の絶妙な威張り方というのはどのようなものだったのだろう。気になる。
剱持松二九段の「きみとは相性いいねえ。勝率1位なんだって?そうだろう」から始まる言葉も、いかにも剱持九段らしくて最高だ。
佐藤大五郎九段→豪傑列伝(2)
剱持松二九段
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居飛車穴熊の出現により、振り飛車受難の時代が始まった。
振り飛車の古き良き時代の終焉と言っても良いだろう。
居飛車党に転向する振り飛車党の棋士も多く出た。
この状況を打破したのが、1990年代中盤に登場する藤井システムだった。