将棋世界1985年4月号、加藤治郎名誉九段の「この面白い芝居からは、目が離せないねえ」(前編)」より。聞き書きは香太さん。
大山-升田戦ていうのは異邦人同士の戦いでね。二人は直接口を交わさず、立会人の我々を介して話をするんだ。面白かったのはお互いの性格が正直に出るところでね。
大山は相手が兄弟子だから、いつも低姿勢なわけだ。それで初めのうちはいいんだけれども、だんだん升田の方がね「この野郎、うわべは丁寧だけれども、腹の中では何思ってるんだかわからん」という気持ちが出てきてね、怒ってくるんだ。それで優勢な将棋をひっくり返されたことが随分あるんじゃないかな。
だから冷静さでは大山が一番じゃないかな。冷静さを長く保てる人が結局天下を長く保てるという気がするね。
その大山も山田(故・道美九段)戦なんかでは恐ることもあったね。山田はそれこそ勤皇の志士みたいな感じでね、大山をやっつけろと向かっていったわけです。今、加藤一二三が人の後ろから盤をのぞきますけれど、あれを初めてやったのが山田九段ですね。あれはね、トイレに行った帰りに、すぐに自分の席には座らず相手の後ろに立って盤を眺めたんだ。で、いかに温厚な大山でもその時はムッとしましたよ。なにしろ、後ろから自分のハゲ頭を見られるんだから(笑)。
これは確かに非礼なんだ。だけどそういったとこまで細かく規定する対局規定がないでしょ。例えば休憩中に動かず盤の前に座って、休憩時間をたっぷり利用して考えるなんてこともしょっちゅうあるからねえ。
昔、金先生(故・易二郎名誉九段)なんかは食事中の指し掛けの時間になるとね新聞紙をどっかから持ってきてね、盤の上に被せてたよ(笑)。相手にも見せないし、人にも見せないし、自分も見ないということでね。
米長なんかは、同じ民族でやっているものを、あまり細かい規則ずくめにしない方がいいっていうらしいけど。だけどこれから国際的にも発展させなきゃいけないんじゃないの。今度の棋聖戦をアメリカでやるっていうのも、アメリカで国際選手権をやるための景気づけの意味もあるっていうじゃない。
(中略)
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「この野郎、うわべは丁寧だけれども、腹の中では何思ってるんだかわからん」
一旦、このように思ってしまうと、その呪縛からはなかなか逃れることができなくなる。
そう思っても、実際には日常生活に影響を及ぼすことは少ないのだが、対局の相手で一日中目の前に座っていられると、かなりの影響が出てしまうという話。
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「今、加藤一二三が人の後ろから盤をのぞきますけれど、あれを初めてやったのが山田九段ですね」
ひふみんアイを一番最初にやったのが故・山田道美九段であることがわかる。
山田九段の場合は、対大山康晴十五世名人戦に限った盤外戦術として用いたと考えられる。
加藤一二三九段の場合は、純粋に指し手の追求という視点であり、山田流とは動機が異なる。
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昼食時の指し掛けも、厳密には封じ手制にすれば良いのだろうが、そうなると昼食開始時刻がバラバラになり、それよりも食事が冷めてしまう、麺がのびてしまうという不具合が大きい。
もっとも、食事直後に真剣に考えると消化が悪くなり、良い影響が出ないという説もある。
ただし、これは都市伝説の可能性もあり、真偽の程は定かでない。