山崎隆之五段(当時)「まだ花は咲いてないです。ぼくは。まだ花は咲いてません。手入れがちょっと悪かったかな」

将棋世界2003年10月号、炬口勝弘さんの「棋士たちの真情 花はこれから―山崎隆之五段」より。

「全部勝ちたい」

 勝負の世界に生きる者なら、誰しも思うことだろうが、ずばり言ってのける棋士というのもめずらしい。

 平成12年版の将棋年鑑で「21世紀に向けての抱負は?」とのアンケートに山崎五段はそう答えていた。

「進歩向上を目指す」(丸山忠久名人)

「いつも前向きに」(羽生善治四冠)

「40代、50代になっても活躍できる息の長い棋士に」(谷川浩司棋聖)

 などの回答の中で、きわめて異色だった。

 性格、性情もあろうが、ハイティーン棋士の、若さと力がみなぎっていた。それから3年。今、山崎五段は全部勝っている。大阪の”福島村”でインタビューしたとき(7月15日)も、前日、竜王戦本戦で、高野秀行四段に勝ち、連勝記録を19に伸ばしていた。止まるところを知らない快進撃中だった。

 いま、この原稿を書いている8月1日時点でも、依然土付かずで、記録更新中である。7月30日には竜王戦本戦で杉本昌隆六段を破り、歴代3位タイの22連勝を達成した。

「ここ1、2年で急に力をつけてきましたね。まだまだ強くなるんじゃないですか。先が楽しみです」

 敗れた杉本六段も、その成長ぶりに驚き、褒めていた。当の本人は、しかし依然としてカブトの緒をしめたままである。

「28連勝はすごいが、優勝ひとつしてないのはどういうことなの!?」

 毒舌で知られた故・芹沢博文九段が、空前絶後の28連勝という記録を打ち立てた神谷広志七段(当時五段)の祝賀会で言い放ったことが思い出される。あれは昭和の終わり、62年だったから、もう随分昔になるが。

「僕の連勝もみんな予選ですから。いろんな棋戦の予選が多いですから。勝ってる勝ってると言われますけど。プロの世界は、やっぱり勝率や勝数じゃなくて、どこで勝つかっていうのが力なんで、そういう意味では全然全然なんですよ。皆さんいろいろおっしゃってくれますが、ま、しかし、棋士の側から見たら、やっぱり上の方の人から見たらまだまだ全然、話にならないでしょう。いつか負けるとは思ってますよ。いつか負けると分かってるんですよ。ま、大事なとき、大事なところで、朝日オープン(今年、ベスト4で羽生に敗れた)、ああいうところで連勝ストップしないように。ええ、それは実力の世界なんで、自分が負けたら弱いんでしょうがないんですが」

(中略)

 好きな植物は、小さな花を咲かせる雑草だという。

「花は、どれもこれも綺麗といえば綺麗ですが、でもコンクリートの隙間から、ちっちゃい青い花咲かせてる雑草を見て、それが一番綺麗に見えたんですよ」

 多分それは、春、1センチにも満たない青紫色の美しい花を咲かせるオオイヌノフグリだったろうと思う。そんな雑草が好きというのに、正直驚かされた。

「格好いいなというか、コンクリートの中でどうやって生きているのか、ちょっと不思議でもあるし、よく生きていられるなと。雑草って結構強いじゃないですか。だから憧れがあるのかもしれません。自分にはない、自分はちょっと温室育ちだから、やっぱ雑草の強さにあこがれがあるって言うか……」

 園芸ブームのいま、町には華麗な花を咲かせる園芸種があふれている。にもかかわらず、可憐な花を咲かせる雑草がというのはちょっと渋いね、そう言おうとしたらちょっと照れながら、突然きっぱりと、

「まだ花は咲いてないです。ぼくは。まだ花は咲いてません。手入れがちょっと悪かったかな」

 かつてのデビュー当時の強気、過激さはすっかり影をひそめ、大人になったなと思った。春から土付かず、白星街道驀進中なのに、決して舞い上がらない。クールそのもの。抑制しているのか?どうもそうではなかった。心底、自分に腹を立てているのだった。

「この5年間、6年になりますが、正直何をやってきたのか、渡辺君(明五段)にも追い抜かれ、松尾さん(歩五段)にも追い抜かれ、どんどん後輩が出てきて、(苦笑しながら)僕は同じ位置にいて。何してるのかな」

 すでに数々の実績を残している。プロ3年目の平成12年度は絶好調で、新人王戦で優勝し、王位リーグ入りも果たした。全日本プロはベスト8、14年度には、早指し新鋭戦で優勝もしている。しかし、順位戦でいまだC2クラスに留まったままなのが不本意でならないのだ。インタビューの間、何度も”渡辺君”の名が出てきたが、後輩で、しかも年下の棋士に、順位で先を越された無念を噛み締めているようだった。

「だいぶ差を付けられたなと思いますね。渡辺君は結果を残してる。タイトルに届く位置まできている(この時点で、王座戦のタイトル挑戦者決定戦に進出していた)」

(中略)

 最年少棋士だった。ジャニーズ系の甘いマスクで、颯爽とデビューした。関西期待の星だった。

 四段昇段の祝賀会は、大阪のホテルで、春、兄弟子の故・村山聖九段のA級復帰と合同で催され、僕も出席したが、東高西低、沈滞気味の関西棋界に、久しぶりに活気が戻ってきたのをひしひしと感じたものだった。しかし、鬼才・村山は、その年の夏、29歳の若さで逝ってしまった。関西の期待は弟弟子に集中した。あれから5年、今再び期待が最高潮に達している。だのに、当人は至って冷静である。

「関西だと、村田君(智弘四段・22歳)がいま最年少で、ぼくは二番目、まだ若い。幸か不幸か……。でも関東へ行くと、もう名前挙げられないですからね。”若手”でくくられてしまいますからね。もう年です。(笑いながら)毛が薄くなってきたし。情けないです。5年間何をやってきたかと思うと、10年もこのままだと、僕は死んでますよ」

 山崎の名前が出る前に、いつも、定冠詞のように関西のが出るのが不本意とか。

「いえ、別にクレーム付けるわけではないんですが、ちょっと恥ずかしいんで、あまりにも。何かタイトル取ってるなら、関西代表でいいんですが」

 脱関西、というわけではないが、最近、「山崎君も、そろそろ東京に来るんじゃないの、もう東京に来るんでしょう!?」東京の若手棋士の間で、そんな噂が流れているのだとか。全く根も葉もない噂だが、電話口で、「関西でそんなに勝っててもしょうがない、みたいな感じで言われたこともありましたよ、腹立ましたけどね、正直。びっくりしました」

 競争社会である。競争相手が多いほど勝ち上がるのは大変だが、自らをより一層高めることができる。兄弟子・村山も途中から東京に移った。「タイトルを獲ったら戻ってくる」と言って、関西棋士・久保利明八段も、C1に上がって2年目に突如、競争相手を求めて東京へ移った。

 山崎五段に、東京へ行こうという気がなかったかどうか。

「勿論ありました。15歳の時、まだ奨励会だったし、ひとり暮らしする時に、東京に行くか、大阪に行くか、どっちにしようかと。東京かなと思ったんですが、最終的に、師匠が大阪の方がいいんじゃないかと。今なら東京でもよかったんですが、その頃はあまり信用がなくって、遊ぶんじゃないか。それで師匠の目の届く範囲にということで大阪に……」

(中略)

「何で東京に行かないんだ?」

 郷里や大阪のファンで、また棋士仲間でそんなことをいうひともいるそうだが、山崎五段に今のところ、そんな気はさらさらない。

(つづく)

将棋世界の同じ号に掲載された1998年の山崎隆之四段昇段・村山聖九段A級復帰祝賀会での写真。撮影は炬口勝弘さん。

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炬口勝弘さんが、山崎隆之五段(当時)が話す言葉をそのまま文章にしてくれているのが嬉しい。

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2013年のNHK杯戦で佐藤天彦七段-山崎隆之七段戦(段位は当時)を観戦した時のこと。

私の指し手などの質問に対し、山崎七段から返信のメールをいただいた。

決してまとまりのある文章ではなかったが、このインタビューでの言葉のように、気持ちがとてもよく伝わってきた。

思い浮かんだこと、考えていることが、その場その場で言葉にされるような文章。

教科書通りの文章にした場合の5割増しで気持ちが伝わってきたと言っても過言ではない。

勝負に向き合っている真摯な姿勢を強く感じた。

 

 

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