控え室の行方尚史八段

今週月曜日の記事「観戦記者の深刻な悩み」で、

(NHK杯戦の)対局前の控え室で、何もしゃべっていない時でも動作に動きがあって面白いのが、三浦弘行九段と行方尚史八段と山崎隆之八段。

と書いたが、これだけでは説明不足となってしまうので、事例をもとに書いてみたい。

今日は行方尚史八段編。

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私が書いた観戦記、NHK将棋講座2013年3月号、第62回NHK杯将棋トーナメント3回戦 行方尚史八段-郷田真隆棋王戦「一手の怖さ」より。

 対局前の控え室。郷田はコーヒーを飲み終え、軽く目を閉じて呼吸を整えている。

 対局開始を待つ、一糸乱れぬその姿は”明鏡止水”の言葉を思わせた。

 一方、行方は、かばんから取り出した板チョコレートを2片ほどかじって、コーヒーを飲み、目を思い切り強く閉じる。自らに気合いを注入しているようだ。途中、何度か目を開け2杯目のコーヒーを飲み、再び目を閉じ腕を強く組むことを繰り返す。

 郷田の静と行方の動、本局の指し手にもそれが引き継がれた。

(以下略)

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この対局が行われたのは12月中旬の日の午後。

郷田真隆棋王(当時)が控え室の奥の席、行方尚史八段が同じ並びで入り口にやや近い席。

解説の橋本崇載八段は、郷田棋王と行方八段の間の位置で逆側の並びの席。

郷田棋王と行方八段と橋本八段を線で結べば、橋本八段を頂点とする二等辺三角形となる、ような位置関係ということだ。

この時は、雑談が交わされることはなく、非常に静かな控え室だった。

郷田棋王はコーヒーを飲み終えた後は、目を軽く閉じ、手は両膝の上に置き、瞑想。

この瞑想が、背筋の伸びた、かといって力が入りすぎていない、極めて自然な感じの瞑想。

”明鏡止水”は、全く感じたままの印象だ。

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一方の行方尚史八段。

決して落ち着きがない、というわけではないが、動きのある瞑想。

チョコレートは、欧米系菓子会社製の大きめの板チョコ。

メーカー名は判別できなかったが、ハーシーでなかったことは確かだと思う。ハーシーだったなら「ハッシー(橋本八段)の向かいでハーシーを食べる」などと私の頭の中で考えていたはずだから。

行方八段は板チョコを2片ほどかじって、板チョコを鞄の中に戻し、のどが渇いているかのようにコーヒーをゴクゴクと飲んだ。

冬だからということもあるだろうが、その組み合わせがとても美味しそうに感じられた。

家に帰ったら真似してみようと思った。

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そして、行方八段はコーヒーを飲んだあと、郷田棋王の瞑想に遅れを取るまいとばかりに、目を強く閉じ、腕も強く組み、瞑想を始めた。

20秒ぐらいすると、行方八段は目を開けコーヒーを飲み、そしてすぐに瞑想に戻る。

さらにその20秒後、行方八段は目を開けコーヒーを飲み、「すみません、コーヒーをもう一杯いただけますか」と語り、瞑想に戻る。

その数十秒後、コーヒーが来ると、行方八段は目を開け、コーヒーをゴクゴクと飲んで鞄から板チョコを取り出し、2片ほどかじって、板チョコを鞄の中に戻し、コーヒーを2~3口飲んだ。

そして、また瞑想に戻る。

また20秒後、行方八段は目を開け、コーヒーを飲み、瞑想に。

目を思い切り強く閉じて腕も強く組むその姿が、腕白な小学生が慣れない瞑想をしているようで、非常に行方八段らしく思えて好ましく感じられたものだった。

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この一局は行方八段が敗れる。

しかし、この頃の行方八段の勝率はすごく高く、1月には順位戦でA級復帰を決めているほど。

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対局終了後、行方八段は橋本八段を誘って飲みに行っている。

この2年後、行方八段と橋本八段はNHK杯戦準決勝で対決し、橋本八段が二歩を指してしまうこととなる。