将棋世界1985年4月号、加藤治郎名誉九段の「この面白い芝居からは、目が離せないねえ」(前編)」より。聞き書きは香太さん。
そう、木村名人と言えば失敗談があってねえ。昔、木村名人が塚田八段(故・正夫名誉十段)に負けて、初めて名人を取られた時のこと。負けた人のことをどう慰めていいものか、近づけないでしょう、誰も。これは大山名人の時もそうだったらしいけど、慰められないですよ。これは。
それで、たまたまその時、どうしてみんな集まったのか分からないんだけど、坂口安吾に村松梢風、西村楽天とかが木村さんのところに集まってね、ボクもその時、居たんだけれど、村松梢風がね「木村さんも人格が立派になったから、こういうこともあるんだよな」というようなことを言ったんですよ。つまり人格が立派になったから将棋に負けてもねっていうことを言ったんで、ボクはその時、怒ったんですよ。
「人格が立派になるから将棋も強くならなきゃいけないんじゃないですか」ってね。だけど、それを言ったあとでハッと思ったね、バカだったなあと思った。
名人を取られた直後の木村さんに対して慰めようなんかないんですよ。それを村松梢風の言葉は最高の慰めの言葉だったんじゃないかな。それが気がつかないんだ、こっちは。若気の至りでね。
それで、その後村松梢風に会ったら、その時のことをお詫びしなくちゃいけないって思っているうちに……むこうが死んじゃったからねえ。
(以下略)
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木村義雄名人が塚田正夫八段(当時)に敗れて名人位を失冠したのが1947年、42歳の時のこと。
作家の坂口安吾は41歳、作家の村松梢風が58歳、漫談家の西村楽天が61歳、加藤治郎八段(当時)が37歳。
仮想の話だが、現在の年齢で言えば、久保利明王将(42歳)が失冠をして、作家の貴志祐介さん(58歳)が慰めの言葉をかけて、松尾歩八段(37歳)がその言葉に反発をした、というようなイメージ。
久保王将も貴志さんも関西なので、登場人物を3人とも関西に揃えるならば、松尾歩八段(37歳)のところに山崎隆之八段(36歳)が入る。
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会社ならば、精魂を込めて取り組んだ大商談を成約させることができなかったとしても、上司が「失敗はしたものの、この案件を通して君のスキルは確実に上がったし、人格的にも成長した。次に期待しているよ」と言えば、多少の慰めにはなる。
しかし、それが一人だけでやっている個人商店である場合、誰かにそのようなことを言われても慰めにも何にもならない。
棋士の場合も形態は個人商店と同様だが、個人商店なら翌日には新しい商談が舞い込んでくる可能性もあるが、棋士のタイトルの場合は1年後まで捲土重来のチャンスはない。
慰めようと思ったとしても、慰めようがないと思う。
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「人格が立派になるから将棋も強くならなきゃいけないんじゃないですか」が正しいかどうかは別として、「人格が立派になったから、こういうこともあるんだよな」は、友人として慰めを言う側から見たら精一杯の言葉だったのだろう。
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良い意味での鈍感力に優れた中原誠十六世名人でさえ、名人をはじめとするタイトルを全て失った後、精神的に余裕が生まれたのは3ヵ月後、別のタイトル戦で挑戦して2勝1敗となった頃のことだという。
失恋の場合が代表例だが、このようなことは時間が解決してくれるのを待つしかない。