先崎学八段(当時)「飛車を大きく捌くのが好きな棋士が、飛車のある角落ちよりも飛車のない飛車落ちのほうが得意というのは、将棋とは不思議なものである」

将棋世界2003年12月号、先崎学八段(当時)の「駒落ちのはなし」より。

 将棋指しは、駒落ちの上手に関して、おおまかにいえばふたつのタイプにわかれる。

 飛車落ち派と角落ち派である。飛車落ちと角落ちというのは兄弟分であるが、似て非なるもので、上手として指しこなすコツもまるで違う。まあプロであるのだからどちらも指しこなせるのだが、やはり得手不得手、好き好きがわかれるのである。

 飛車落ち派の代表は鈴木大介八段である。「角落ちよりも飛車落ちのほうが上手は勝ちやすい」などとよくいっている。どうも本気のようなので、飛車落ちの上手に相当の自信があるか、角落ちに自信がないかなのだろう。

 藤井猛九段も飛車落ち派である。本人は公言していないが、あきらかにそうだ。またこれは一局も見たことがないのだが、久保利明八段も飛車落ち派であろう。想像で書くが、彼は角落ちの上手は苦手に違いない。なにしろあの捌きの将棋ですからね。

 ベテランの棋士でいえば、鈴木君の師匠の大内延介九段なども飛車落ち派である。これも久保君と同じく豪快な捌きの棋風であるところからだろう。飛車を大きく捌くのが好きな棋士が、飛車のある角落ちよりも飛車のない飛車落ちのほうが得意というのは、将棋とは不思議なものである。

 ここまで棋士の名前を見て、もうお分かりでしょう。そう、飛車落ち派は振り飛車党の棋士に多いのである。たしかに飛車落ちの上手の陣は振り飛車の陣形に似ていなくもない。あるいは居飛車の将棋である角落ちは慣れがないということか。だとすれば、昔、内藤國雄九段が『続・血涙十番勝負』(講談社刊)で山口瞳氏相手に指したように、初手△2二飛!とすればいいと思うのだが。

 一方、角落ち派は大勢いる。これは角落ちのほうがハンデが小さいのだから当たり前である。その他大勢といってもよい。総じてベテラン、故人の棋士に角落ちの名手が多いのは、昔、朝日新聞上で行われたアマプロ熱血の角落ち戦の影響だろう。

 このA級棋士とトップアマ10人が対決する企画は、朝日新聞のいわゆる「名人戦問題」の余韻冷めやらぬ時期だったこともあり、プロ側もプライドをかけた本気の勝負をしたものだった。成績もプロのほうが押していたと思う。特に大山、中原、米長、加藤の四棋士は四強と呼ばれ、圧倒的な成績をほこっていた。同じ朝日の紙上での今のアマプロ戦の現状を見たら天国の大山先生は何というか。なにやらあの世から怒鳴り声が聞こえてきそうなのである。

 はなしを戻すが、角落ちの上手が得意な棋士は、角落ち派というよりは、駒落ちが得意な棋士ということになるのかもしれない。いまの時代でいえば、まずは前回書いた通り羽生である。他には森内俊之君も強い。特に角落ちの上手なんて、あの粘っこい棋風でやられたら下手は嫌になるだろう。同じような意味で中村修八段なども本気を出せば強いだろう。

 逆に苦手の代表は、佐藤康光棋聖と島朗八段。佐藤君の角落ちは、すぐに攻めて切れてしまう。島さんは、本質的に粘りの将棋なので、気合を入れれば実は強いのかもしれないが、そういう場面をまだ見たことがない。森下八段も同じタイプである。

 若手では……といいたいところだが、私は自分より下の世代の駒落ちはほとんど見たことがない。おそらく読者のみなさんもそうであろう。これは不幸なことである。よって、勝手にタイプを決めることにする。なにせ一局も見ないで決めるので、書かれた棋士の人、気を悪くしないでくれよ。

得意:丸山忠久、屋敷伸之、木村一基、渡辺明

苦手:北浜健介、行方尚史、堀口一史座、野月浩貴

 こんな感じである。まああまり深く考えないでください。

(以下略)

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振り飛車党の棋士は、厳密には正確な言い方ではないが、飛車よりも角を可愛がる傾向が強いと感じられる。

鈴木大介九段は、将棋の醍醐味は竜を切る時、と話していたことがある。

大内延介九段の怒涛の攻めも、竜をバチバチ切っていた印象が強い。

久保利明王将も八段時代、湯川博士さんの『振り飛車党列伝』で「飛車は割合、気軽に切りますが、角はけっこう計算します」と語っている。

中田功七段は、「飛車は切るため。なくてもいいんですよ。だからぼくは角落ちがダメ。飛車落ちは大好き」と言っている。

中田功五段(当時)「飛車は切るため。なくてもいいんですよ。だからぼくは角落ちがダメ。飛車落ちは大好き」

飛車落ちの玉の囲いは、江戸時代の振り飛車のような囲い。

振り飛車党の棋士が飛車落ち派というのは、非常に説得力がある話だ。

飛車を捌く、には飛車を切って他の駒と交換するという意味も含まれる。

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飛車を非常に大事にしたのが、振り飛車名人と呼ばれた大野源一九段だった。

とにかく、飛車を敵陣に成るか飛車交換をするか敵の飛車を取って敵陣に打つかの将棋だった。

「大野さんに勝つには、玉ではなく飛車を詰めれば良い」と冗談で言われていたほどの、飛車使いの名手だった。

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自分が下手の立場で、飛車落ちと角落ち、どちらが指しやすいか考えると、個人的には圧倒的に角落ちの方が好きだ。

例えば極端な例で1図。

1図から▲7四歩の攻撃が成り立つ。

▲7四歩△6三金(2図)は必然。

ここから、▲6四角△同金▲7三歩成(3図)と技が決まる。最低でも飛車交換にはなる。

しかし、8二に飛車がいなかったら△7五歩で全くつまらないことになってしまう。

敵の飛車がいてくれるからこそ攻めがいがあるというもので、相手の飛車がいないと攻め筋も減るし、振り飛車的な攻めのモチベーションが上がらなくなってしまう。

そのような意味もあって、私は飛車落ちよりも角落ちの方に好意を持っている。

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上手側も下手側も、飛車落ち派、角落ち派に分かれるものなのだろう。