名人と聖人報道

将棋ジャーナル1984年1月号、横田稔さんのアマプロ名人記念対局〔菱田正泰アマ名人-谷川浩司名人 角落ち〕観戦記「下手完勝」より。

 名人位を奪って以来、谷川さんは黒星続きのようだ。昨年の加藤一二三新名人のときもそうだったが、空前の取材攻勢がひとつの誘因ではあるのだろう。ただ昨年と少し違うのは、加藤名人がその人柄の欠点(といえるべきものかどうか)が興味本位に書かれたのに対し、谷川名人については、ちょっと過剰なくらいその人柄の好さが強調される報道が多いことである。

 もちろん浩司名人のふるまいの自然さや礼儀正しさに嘘はない。しかし、それはそれとして21歳の青年にとって将棋界の第一人者である「名人らしいふるまい」という要求とこの谷川「聖人報道」がときに不自由に感じることはないのだろうか。自分の作ったイメージに自分が振り回される苛立たしさ。

 こんなことをふと考えたのは、先日、たまたまNHKの少年向き番組に出ていた谷川名人が、インタビュアーが同年代の明るい女性であったせいか、いかにも21歳の若者らしい、はしゃいだしゃべり方をしていたのを見たせいである。もちろんこれは私の勝手な憶測であって当人には何の関係もないことかもしれないが、そのVTRには、どこからみても、どこにでもいる将棋が好きな普通の若者がいた。名人であることを忘れたような谷川さんの姿を初めて見たような気がしたからである。

(以下略)

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物事、適度なら良いが、過剰になると歪みが起きてくることが多い。

過剰なくらい人柄の好さが強調される聖人報道が、有名税あるいは名人税とでも言うべき仕方がないことなのかもしれないが、なかなか難しい問題だ。

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加藤一二三名人誕生時に書かれた興味本位な記事とは、対局時の奇行(頻繁な空咳、ひふみんアイ、中腰になるなど)について。

それが時代の変化とともに、加藤一二三九段の面白い個性としてポジティブに捉えられるようになってきたわけで、昭和に比べてギスギスした感情が蔓延している現代においては快挙と言えるだろう。

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1983年から1984年頃というと、私は、週刊新潮と週刊文春を毎週買い、サンケイ新聞をとっていた時代。

中学を卒業すると同時にそれまで熱心にやっていた将棋からは離れていた私だが、将棋に関する記事が出れば読むこともあった。

その記憶で言えば、加藤一二三名人の奇行の記事を週刊文春で読んだような感じがするが、谷川浩司名人の記事は覚えていない。

将棋には日本人平均よりも詳しい私でさえそうだったのだから、世の中全般もはもっとそうだったかもしれない。

人をほめる記事はなかなか読んでもらえず、記事の対象となっている人にとってネガティブなことが書かれている記事の方が皆の記憶に残る。

私が読者として自戒するところだ。