将棋世界1995年12月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
王将戦
七冠達成へ向け、着々と防衛を重ねる羽生。対する6人は一筋縄では屈しない役者揃い。
羽生の夢を打ち砕く期待の一番星は森内。ここで黒星を与えておけば流れを自身に引き寄せることができる。森内、必死の思いで盤に向かったことだろう。
角換わりからの戦いは、森内の工夫が実り、徐々に優勢を拡大。史上最強の羽生も森内の丁寧な指し回しの前に大苦戦。そして遂に5図の局面では必敗となった。
図の形勢を細かく分析すると、先手の竜、飛車が守備に完璧。馬の存在は先手が生き生きしているのに対し、後手は”死にぞこない”。9対1の大差といっても過言ではない状況なのだ。△5七歩では羽生も投了を考えたことだろう。何の希望もない局面だからだ。ところが、ここから本当に恐ろしい大事件が起こった。
▲5六香△4三金引▲9二竜△4七馬▲6九金△5六馬▲8一竜△2五銀▲5七香△9六桂(6図)。
森内はおいしそうな馬には目もくれず、▲5六香で最短の勝ちを目指した。しかし次の▲9二竜が不幸にも大失着。△4七馬で羽生の馬が息を吹き返してしまった。さらに王手などとてもかからない玉に△9六桂が飛んできた。森内はすでに放心状態。それでも以下勝ちが残されていたが、過酷な秒読みの中では、大逆転を阻むのは至難だった。
それにしても羽生にとってこの勝利は大きい。七冠を達成するような事があれば、本局が重要視されることになるだろう。
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5図の△5七歩は、5三の地点に累を及ぼさないための受け一方の、普通なら泣きたい気持ちで打つような一手。
それならと、5七歩の裏側からの▲5六香で5三を狙い続ける森内俊之八段(当時)。
△4三金引に▲9二竜。次の▲5三香成△同金寄▲同馬を△同金と取ることができない。
しかし、この瞬間の△4七馬で、▲5六香が金縛りになってしまった。▲5三香成とすると△9二馬と竜を取られてしまう。
後手の馬が助かって、なおかつ打ったばかりの5六香を取られてしまうのは、先手にとっては精神的にもかなりダメージが大きい。
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「対する6人は一筋縄では屈しない役者揃い」とあるが、この時の王将戦挑戦者決定リーグは次のメンバー。
1位 羽生善治六冠
2位 郷田真隆六段
3位 中原誠永世十段
4位 村山聖八段
5位 有吉道夫九段
5位 森内俊之八段
5位 丸山忠久六段
羽生善治六冠(当時)が5勝1敗で挑戦者となり、谷川浩司王将(当時)を破って七冠王に輝くことになるが、もし、上記の対森内八段戦に敗れていたとしたら、
羽生善治六冠 4勝2敗
中原誠永世十段 4勝2敗
村山聖八段 4勝2敗
森内俊之八段 4勝2敗
リーグ戦で同率首位の棋士が複数出た場合は、原則として順位上位2名の棋士によるプレーオフとなるので、その場合は、羽生善治六冠-中原誠永世十段のプレーオフとなっていた。
もちろん、そのプレーオフに勝って挑戦者になっていたかもしれないが、そうではなかった確率も5割。
そういった意味では、泉正樹六段(当時)が書いている通り、この対森内八段戦は、羽生七冠達成に大きな意味を持つ一戦だったと言えるだろう。