羽生善治四段(当時)の初めての順位戦

将棋世界1986年8月号、「第45期順位戦C級2組」より。

 49人の大世帯で始まったC級2組。5月の定時棋士総会で「順位戦改革特別委員会」が発足。順位戦制度が持つ問題点をここ1、2年で改革しようという動きが連盟内部に生じ、先の委員会発足となったわけである。

 当面の問題としては、他のクラスとの関連もあるのだが、増えすぎたC2をどうするか、直接関係してくるC2の棋士にとっては大変な問題であり、以前にも増して昇級しなければ、順位を上げなければ、という意識が強くなっていることは確かである。

(中略)

 そんなエポックを、これから迎えるだろう時に、従来通りのC級2組の順位戦が、6月30日、7月1日の両日にわけて行われた。これは〆切の関係で読者にお伝えできないのが残念であるが、なんといっても注目の的は、どんじり49位の羽生善治新四段。かつて加藤(一)、中原あるいは谷川がたどった道を歩むのかどうか。このクラス最大の話題となるであろう。

 年平均5~6人の新四段が誕生し、その都度、周囲から期待をかけられるが、大型新人と騒がれながらも、2年3年とこのクラスに居ると、並の四段といわれてしまう。

 十段リーグ活躍中の有森ですら、今年で3年目、

「他でいくら活躍しても順位戦で上に行かなきゃ意味がないです」。若手に限らず、これが本音であろう。

 本誌では、前期泣きの入った泉、そして有森、同じく関西の浦野、最後に半分期待をこめて羽生の4人を昇級候補としておく。

(以下略)

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将棋世界1986年9月号、「第45期順位戦C級2組」より。

 C級2組49名、大きくふくれ上がったこのクラスは一見同じ待遇を受けているようだが、実は21位を境として月々に受け取る手当には大きな差がある。

 C1組以上では一クラスの差は3割程度といわれているが、ここではもっと差がつき、手取りで倍以上違う者も出ているそうだ。

 これは5年前に降級点廃止、定年制発効という制度改定に伴ってのもので、待遇面では一クラス下がっても直接C1組に上がれる可能性がある、という夢を持たせてくれ、という下位の希望もあり、人数増加にC3組新設という方法をとらず、いわばC2、C3同居ともいうべきこのような変則的リーグが出来たわけである。

 しかし5年を経てみるとやはり人数等に不合理な面が目立ち、各界より順位戦制度全般の見直しを求める声もあって制度委員会の発足となった。

(中略)

 いずれにせよ変更時に一番問題になるのはC2組であることは間違いないので、皆今期中に昇ってしまいたいだろうし、昇級不可能な者も少しでも順位を上げようと目の色が違い、昨年までは目立っていた夕食休憩前の終局も、途中大ポカが生じた将棋を除いては見当たらなくなった。

 さてC2組も2局までが進行したが早くも明暗が分かれ始めた。

 そのうちで最年少棋士として期待を集めている天才羽生四段は関西遠征の第1局で固さからか途中金損の必敗形となったが、森五段の失着に救われて辛勝。一流の棋士に必要な運の良さを持つことを証明した。順位は最下位といえ、他棋戦を含めて連勝中の今、大いに注目しつづけたい素材である。

 他には2連勝者がまだ12名もいるのでしばらくは星の進行を待つよりないといった状況である。

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将棋世界1986年10月号、「第45期順位戦C級2組」より。

 休み番の数人を除いて、C2の3回戦が8月25、26日の両日東西の将棋会館で行われた。

 耳目を集めたのが、明治45年生まれ74歳の小堀清一九段と昭和45年生まれ15歳の羽生善治四段の、現役最年長と最年少の対局。孫ほども歳の差がある相手との対局はやりづらかろうと思うのがハタ目であるが、将棋一筋の小堀には眼中になく、将棋も若い。飛先も換え角交換しての腰掛銀という激しい内容のもの。劣勢になってからの小堀の頑張りがすごく、終了は午前0時33分。

 確実に寄せ切った羽生は3連勝。他棋戦もあわせるとこれで14連勝。まさに破竹の勢いである。この少年、日々に強くなっているという感じ。

将棋世界掲載の写真

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羽生善治四段(当時)の順位戦での初めての対戦相手は森信雄五段(当時)。

森信雄五段の弟子の村山聖三段(当時)は、この年の11月に四段になる。

必ずや村山三段にとっての好敵手となる羽生四段を、森信雄五段はどのような思いで感じ取っていただろう。

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この期の順位戦C級2組で羽生四段は8勝2敗で7位。C級1組へ昇級するのはこの1年先のこととなる。

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小堀清一九段-羽生善治四段戦は、敗れたものの小堀九段精魂の一局。

対局終了が午前0時33分。感想戦が午前8時まで続いた

小堀清一九段と羽生善治四冠

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羽生四段が誕生して間もなく、将棋世界では「天才少年激突三番勝負 羽生善治四段-阿部隆四段戦」という特別企画が組まれたが(羽生四段の2勝)、その後は特にクローズアップされることはなく、このような「棋戦の動き」のページで活躍が紹介されていた。

今から見ると、誌上での羽生四段に関する記事が意外なほど少なかったことが分かる。

本格的に羽生四段が誌面に登場し始めるのは、翌年の6月号「新人賞・羽生、タイトルホルダーに挑戦」から。