将棋世界2004年10月号、山岸浩史さんの「棋士たちの真情 中井広恵はサムライである:中井広恵女流王将・倉敷藤花」より。
なぜ好きなのか
史上最強の棋士は、中井広恵である。なぜなら彼女には、大山康晴や中原誠が果たせず、谷川浩司や羽生善治にもおそらく不可能な偉大な実績があるからだ。それは―妊娠中のタイトル奪取である(平成4年の女流名人位戦)。
長年そう力説してきたヒロエ信者でさえ、この現実は想像しなかった。
畠山鎮六段、青野照市九段を連破し、中原永世十段と激戦を演じた去年の記憶も生々しいNHK杯の今期初戦。中井はまたしても勝った。しかも、負かしにくいことではプロ筋から屈指の評価を得ている佐藤秀司六段に競り勝ったのだ。
7月4日の放送をご覧になった方は同じ思いを抱かれたはずだ。中井広恵は、もはや「女流」ではない。彼女が男に勝っても、もうニュースにはならない、と。
根っから判官びいきの私は「強いから」という理由で何かを好きになったことがない。中井のファンになったのも、そもそもは容姿の美しさからだった。かつて写真週刊誌の編集部にいた私は、企画が通っていないのに「美少女棋士のテニスウェア姿を激写!」なる記事の取材と称して当時17歳の中井を喫茶店に呼び出し、3時間の至福のときを過ごした。
ところが中井がタイトルを次々に獲得し、その将棋を見る機会はふえるにつれ、私のなかで変化があった。盤上での彼女の強さに魅せられるようになったのだ。
平成5年、中井が池田修一六段に勝ち、女流棋士が初めて男性棋士に勝ったと騒がれたとき、今度は月刊誌の正式な取材で中井にインタビューした。そこで彼女は男女の将棋の違いを、こういった。
「盤上では、男性は女っぽくて、女性は男っぽいんだそうです」
大ざっぱにいえば「女っぽい」は曲線的、「男っぽい」が直線的という意味だが、そういう中井自身は、女流棋士には珍しく、男の棋士に似た曲線的な将棋を指すと評されていたのだ。すでに結婚、出産も経験した中井の、からからと屈託のない笑顔を見ながら、私は少し混乱していた。中井の将棋が「女っぽい」とすれば、そんな将棋を指す中井自身は「男っぽい」ということか?私が好きな中井はいったい女なのか男なのか―。
日本中の将棋ファンを沸かせた対佐藤秀司六段戦を手がかりに、中井広恵に私がなぜ魅かれるのかを考えてみる。
これぞ中井将棋!
記念すべき一戦の実際の対局日を尋ねた私は、いきなり意表をつかれた。
「うーん、いつだったかなあ」
もそもそと手帳を探し出して広げたまま、中井は思案にくれてしまったのだ。
「6月の、たしか月曜日でした」
でも月曜日は4回ありますよ。
「どれだったかなあ。放送日からして28日ってことはないはずだけど……」
結局、思い出せないのだ。はい、あれは忘れもしない✕日でした、という答えを予想するほうがおかしいのか。
編集部に聞いてわかった対局日は6月14日。NHK杯トーナメント1回戦、佐藤秀司六段VS中井広恵女流王将倉敷藤花。佐藤六段の作戦は、中井が予想もしなかった一手損四間飛車穴熊だった。
決して動揺したわけではなかったが、「あっさり作戦負けでしたね。でも持ち時間が短い将棋だから悩んでいる暇もありませんでした(笑)」
快調に中井陣を圧迫する佐藤六段が、△2七歩(1図)と飛車を押さえ込みにいく。ここが本局のハイライトである。
▲1八飛が指されたとき、解説の島朗八段は首をかしげた。△3七成銀とされて、次に飛車が殺されてしまう。ここは▲2九飛ではなかったか、というのだ。
だが△3七成銀に▲5八飛を見た瞬間、島八段は大きな感嘆の声をあげた。
「ハァーッ!これはもう、中井さんにしか指せない順ですね」
成銀を自玉から遠ざけたあと、お荷物になりそうな飛車を、角と刺し違える。このきめ細かい曲線的な手順こそ、本局の勝因であり、中井将棋の真骨頂である。
「飛車を引こうか迷ったんですが、▲2九飛△3八角成▲7九飛と進むと、この飛車が働くことはもうありませんからね。意表をついた?そうですかねえ。だって引くか寄るかしかないでしょう(笑)」
飛角交換を境に後手の攻めは不思議なほど重くなっていった。佐藤六段はすっかり前傾姿勢になっている。あの将棋がなぜ、という気持ちが伝わってくる。
形勢が好転しても中井の表情はまったく変わらない。だが秒を読まれてあわて気味に突いた▲8四歩(2図)には、中井らしくない性急さを感じた。
島八段も「いい手に見えない」という。いずれは突くところだが、いま相手に歩を渡すと▲5三桂成とできなくなる(△5七歩が生じる)と。だが、この局面で中井はまったく別のことを考えていた。
「▲4九歩を打ちたかったんです。あとで△5七銀に▲6七金右と上がったときに竜の利きが自玉に直通するので、竜を二段目からそらしておきたいんです。でも△4九同竜~△1九竜と香を取られると、△8五香が厳しいので▲8四歩と突けなくなる。だから先に突いたんです」
聞いてみれば、じつに中井らしい組み立てだった。6手後に実現した▲4九歩に、島八段は感じ入った声でいった。
「やっぱり中井さん、こういう手が好きなんですねえ」
最終盤、佐藤六段はさすがの追い上げをみせた。それでも逆転を許さなかった将棋の基礎体力も、中井の勝因にあげるべきだろう。投了後、佐藤六段は宙を見上げたまま、島八段が加わって感想戦が始まるまで一言も発しなかったという。
この将棋、自分ではどう評価しますか。
「そうですね、甘い手もありましたが、私の棋風どおりには指せたかな、と」
中井さんの棋風とは?
「うーん、これといって特徴のない淡々とした将棋(笑)。慎重に指してるつもりでも、穴が開いてることも多いし」
誰の将棋に影響をうけたんでしょう。
「とくにこの人、というのはないんです。主人(植山悦行六段)ではありません。むしろあちらが、私と結婚して振り飛車党から居飛車党に転向しました(笑)」
これで対男性棋士は何勝目ですか。
「いやー、わかりません。そういうこと、気にしたことがないので。タイトルの数なんかも私、本当に気にしていないんです。ただ、いまよりも強くなりたいと思っているだけです」
正直、こうした優等生的発言も多いから中井の取材は難しい、と思った。私が中井ならすぐさま16勝目(59敗)、と手帳に記して悦に入りそうなものだ。
だが、ここからの話には驚かされた。
いつ死んでもいいように
どうしても聞きたいことがあります。囲碁将棋チャンネルの『将棋天国』という番組に出演されて、ホストの香田晋さんに「10年後の自分の姿を絵に描いてください」といわれたとき、中井さんは頭に輪がついた天使の絵を描いて「もうこの世にはいないかもしれない」とおっしゃっていましたね。あれはいったい、どういう意味ですか?いないと困るんですが。
「えっ、だって、10年後なんて、どうなってるかわからないじゃないですか。えっ、自分が生きてると思ってるんですか?10年後に」
編集部のT氏と私が目を丸くしていることに、逆に中井は驚いていた。
「だって、私は飛行機に乗ることが多いけど、いつ落ちても不思議じゃないし、車を運転していても、いつ事故に巻き込まれるかわからないし、いまこうしていてもテロが起きるかもしれない。だから私は、いつ死んでもいいように、つねに心の準備だけはしているつもりです。飛行機で地方に出かけるときはいつもより部屋をきれいにして(笑)、主人や娘たちに『あとはよろしく』といって」
まるでサムライですね。いつからそう考えるようになったんですか?
「ずっと前、物心つくころからじゃないですかね。両親もそういう人なんです。先のことはわからないから、考えてもしかたがない、と」
小学5年生で内弟子になるために稚内からひとりで上京したのも、先のことは考えないからできたことでしょうか。
「そうかもしれません。私は女性としては本当に現実的じゃないほうで、いまも預金通帳とかほとんど見ないし(笑)」
根本には、いま形があるものは長くは続かない、というおそれがあるようだ。
「年齢的にいつまで戦えるだろうという不安はあります。ふつうの人は齢をとれば地位も上がって楽になっていくのに、勝負の世界は逆ですからね。それから、若いときと違うのは自分の目標が目に見えなくなってくるんです。タイトルをめざして頑張っているうちはいいのですが、獲ってしまうと、もう実際に自分がどれだけ強くなってるかなんて、目に見えないからわからないでしょう。もしかしたら、勝っていても棋力は落ちているってこともあるかもしれないし。ファンの方には、たくさんタイトルを獲って男性棋士にも勝って、何の不満もなく見えるかもしれませんが、私自身にはつねにそうした不安があるんです」
中井が数字や記録に無頓着な理由が、ようやくわかった気がした。
「不安な反面、だからおそれずチャレンジしていくしかない、と開き直れるんですね。いままで思うようにやってきた。たまたま私が勝てたことで、女流棋界が男性棋士のレベルに近づくことに少しは貢献できたし、主人や子どもたちもいるから勝てなくなったらやめたっていい。だからいまは先のことは考えず、ただ強くなれるよう頑張ればいいと」
人が自分にとって本当に大切なことは何かと気づくのはおそらく、死期が近づいたときだろう。私など、そのときには手遅れで見苦しく取り乱す気がする。
中井は、つねに気づいている。自分にできること、必要なことが見えている。彼女の将棋が「女っぽい」―目に見える利に執着せず、現実に向きあって最善を尽くそうとするのは、彼女が「男っぽい」からではない。彼女が「士(さむらい)」だから、棋士そのものだからだったのだ。
そして後悔の塊のような私の目にその強さはいっそう美しく、まぶしく映る。
NHK杯で次に対戦する佐藤康光棋聖も、中井将棋に脅威を感じている。
「去年も当たりそうでしたが実現せず、ほっとしていたんですが(笑)。早指しであれだけ安定感がある将棋を指すのは男性棋士でも難しいですよ。▲1八飛~▲5八飛はすごい手順でした。男の棋士なら飛車を引く手しか考えないでしょう。穴熊相手に飛車は渡せないという固定観念がありますから。これは私も中井さんの将棋を勉強しなければ」
先崎学八段はこの歴史的一戦の解説を志願したそうですよ。
「それは純粋な動機からとは思えませんがね」
将棋をやってよかった
別れ際に、ふと思いついて尋ねた。
いま、男の棋士にあって女流棋士にはないものに、個人の実戦集と、個人名が冠された新手があります。中井さんはいまやその将棋が「中井流」として認知され、前者が出るのは時間の問題に思えますが、後者の可能性などはどうでしょう。
「新手ですか?うーん、私たちの場合はどうしても、いまある手を勉強することで精一杯になってしまうんですね。ただ去年の女流王将戦第2局で石橋(幸緒)さん相手に指した手が、そのあと王座戦で指されたんです。新手というほど大げさなものではないんですが」
昨年の王座戦、羽生王座VS渡辺明五段の第4局千日手指し直し局で渡辺五段が指した△6四桂(3図)がそれだ。
確かな実力の証しを求めている中井さんとしては、あるいは自分の勝利以上にうれしいことだったのでは?
「そうですね。自分の将棋が少し認められたような気はしました」
そう私には淡々と答えたのだが―。
インタビューを終えて数日後、中井は『鏡花水月』という本を出した。勝負師として、女性としての中井の心情を女性の聞き手がインタビューしたもので、羽生王座、シェフの三國清三氏らとの対談もある。書名は中井がいま好んで揮毫する言葉で、「鏡に映った花も水に映った月も、目には見えるけれど実際には手に取れない」という意味だそうだ。
その頁を繰っていて私は思わず微笑んでしまう一節に出会った。
棋士とはゴールのない、大変な職業だという話に続いて、こうある。
<でもね、身体中があったかくなるような出来事だってあるんですよ。
―教えて下さい。
昨年の女流王将戦で私と石橋さんが戦った一局の指し手が、あとで男性のタイトル戦に起用されたんです。
―本当ですか。
ええ。あれは、将棋をやって良かったなあって、本当に心から思えた出来事だったんです>
やっぱり、そうだったのだ。
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講談社の山岸浩史さんの伝説的な連載『盤上のトリビア』の番外編。
山岸さんは「趣味は中井広恵女流二冠の歓心を買うこと」と執筆者紹介欄に書かれるほどの中井広恵女流六段ファン。
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この翌年、中井女流六段の『鏡花水月』が将棋ペンクラブ大賞一般部門大賞および将棋ペンクラブ大賞、山岸さんの『盤上のトリビア』が将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作(現在の優秀賞)受賞となり、贈呈式で山岸さんは中井女流六段の隣に座ることになる。
山岸さんにとっては、座席的に至福の時だったと思う。
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鏡花水月、非常に綺麗な言葉だ。
テレビ朝日系『必殺仕事人』シリーズの主題歌も『鏡花水月』だが、こちらは2009年2月リリースと、中井女流六段の『鏡花水月』の方が5年ほど先に発表されている。
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今日の21時から『必殺仕事人 2018』が放送される。
私は『太陽にほえろ!』と『必殺シリーズ』で育った世代。
楽しみで仕方がない。