2017年を振り返る(多く読まれた記事)

2017年、トップページ以外で多く読まれた記事TOP50。

  1. 先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
  2. 故・米長邦雄永世棋聖は言っていない「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
  3. 藤井聡太四段と僥倖と澤田真吾六段将棋
  4. 板谷進九段の夢と藤井聡太四段
  5. 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」
  6. 「藤井聡太四段 炎の七番勝負」と「羽生善治四段 タイトルホルダーに挑戦・五番勝負」
  7. 羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」
  8. 「封じ手事件」の真相
  9. 超スピード昇段
  10. 「皆の頭に浮かぶ人物、口には出さねど”あの男”。そう、他に誰がいるというのか」……神と呼ばれた伝説の匿名ネット棋士
  11. 羽生善治竜王(当時)「でかしていませんね」
  12. 加藤一二三十段(当時)「こんな強敵が目の前に現れるとは思わなかったな」
  13. 森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」
  14. 「森内君を連れて来てもいいですか?」
  15. 村山聖八段(当時)の急逝が将棋連盟に伝えられた日
  16. 羽生善治四段(当時)の初めての順位戦
  17. 谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
  18. 控え室が騒然となり悲鳴に近い声があちこちで起きた、羽生善治五冠(当時)の妙手
  19. 若島正さんの一手詰
  20. 羽生!という手
  21. 米長邦雄棋王(当時)「変人と奇人の対決です」
  22. 三浦弘行九段の冤罪事件について〔三浦弘行九段と日本将棋連盟の間で和解が成立〕
  23. 羽生善治七冠誕生の時と藤井聡太四段29連勝達成の時
  24. 羽生善治五冠(当時)「3ヵ月もあれば藤井システムの対策はできる。けれど藤井さんもまた3ヵ月の間に新しい作戦を用意してくる」
  25. 藤井猛九段「全然いいと思っていたんだけどな」、三浦弘行八段(当時)「エッ?どこでですか」
  26. 羽生善治竜王(当時)「八木下さんと出会わなかったら、将棋をつづけていなかったかもしれない」
  27. 「何故か羽生名人を応援する棋士が多かった」
  28. 先崎学八段(当時)「バカ野郎、棋士なんかやめちまえ!」
  29. 藤井猛九段「△4六飛なんていう手を読めるはずがないでしょ」
  30. 羽生善治王座(当時)「皆さんご協力お願いします(笑)」
  31. 藤井猛九段の僥倖
  32. 誰もが驚いた、藤井猛竜王(当時)の角桂交換の強襲
  33. 渡辺竜王と藤井九段が驚いた、驚異の羽生マジック
  34. 杉本昌隆六段(当時)「双方秒読み、延々続く泥仕合、相手が羽生、という極限状態の中で、自分の中に眠っていた何かが引き出されたのかもしれませんね」
  35. タイトル戦と血液型を分析する
  36. 点のある・ない論争
  37. 神谷広志五段(当時)「16連勝した時に、塚田君が本気で心配しているという話を聞いて、それなら塚田の泣く顔を見てやろうと思った」
  38. 羽生善治五段(当時)「そんなこと怖くて言えません」
  39. 「藤井猛九段に驚きの気配があらわれている」
  40. 「ファンがその表情を見たら、必敗と悲しんでいるように思うだろう。ところがそうでない。これがいつもの姿なのである」
  41. 羽生善治四段(当時)の驚異の金銀損の攻め
  42. 「こんな筋を考える人など三浦以外にいないが、やってみると一理も二理もある」
  43. 森信雄六段(当時)と山崎隆之少年
  44. 戦慄の大山マジック
  45. 羽生善治五冠(当時)の驚異の挑発大作戦
  46. 羽生善治四冠(当時)「先崎君がとても悲しみます(笑)」
  47. 羽生善治竜王の一冠から二冠への脱却、2017年と2004年の類似点
  48. 郷田真隆九段「佐藤君と付き合った方がいいよ」
  49. 羽生善治四段と森内俊之四段と先崎学四段の夕食休憩
  50. 菅井竜也王位、斎藤慎太郎七段、佐々木勇気六段、高見泰地五段、佐々木大地四段が小学生時代に出場した2004年全国小学生倉敷王将戦

 

それでは皆様、よいお年を。

 

 

二上達也九段「本誌面はすでに8月号なのだから、はたして読む人が残っているかどうかとバトルロイヤル風間氏が述べている」

将棋世界1999年8月号、バトルロイヤル風間さんの「月刊バトルロイヤル」より。

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将棋世界1999年9月号、二上達也九段の巻頭エッセイ「虚か実か」より。

 8月になれば15日、報道紙面をいろいろとにぎわす。

 先月7の月の事を書いたら本誌面はすでに8月号なのだから、はたして読む人が残っているかどうかとバトルロイヤル氏が述べている(8月号参照)。

 残念ながら筆者はそれに気付かず、バトル氏の読みに一本取られた形である。

 この発行日付を先にする習慣はいつ頃できたのかちょっと分からない。

 一時はどんどんエスカレートして2ヵ月ぐらい先の号を打っていた頃もあった。

 やはりそれは少々ひどいということが、現在の形になっている。

 まあ打ち明け話、競争誌との関係で、一日でも早く発行することが、直接の売上高につながる意図もあったようだ。

 また、正月号など、印刷所、取次店、さらに編集者も年末年始の休みに入るため、誌面作りは12月中頃までに終えていなければならない。

 現実の12月に新年の御挨拶もないものだが、おかしいおかしいと思いながら続いているのは妥協の産物だろう。

 あと何百年か経って、発行日を当てにして歴史検証をしようものなら不正確を生む元になりはしないか。

 まあ歴史は十年二十年、百年さらに千年単位で考察するから1ヵ月ぐらいのずれは問題にならないとは思う。

(以下略)

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バトルロイヤル風間さんの「1999年7の月の後の8月号なんて、かいても読む人が残ってるんだろうか……」は、ノストラダムスの大予言のこと。

将棋世界8月号の発売が7月3日だとして、7月になった途端に”恐怖の大王”が現れたら、たしかに読む人は一人もいなくなる。

とはいえ、時節がテーマの巻頭随筆の場合、7月号に7月のことを書いたほうが良いのか8月のことを書いたほうが良いのか、なかなか微妙なところではある。

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発行日付を先にするのは、本の“鮮度”をアピールすることが狙いで、出版社の独自裁量に任されているという。

[発売日]と[発行年月日](公益社団法人 全国出版協会)

つまり、その号が次の号が出るまで書店に置かれているとして、次の号が出る直前になっても「あっ、古い」と思われないようにするということだ。

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7月号と8月号ではあまり季節感に差は出づらいが、12月に発行される1月号だけは、たしかに新年の気分が満載なので、約束事とはいえ、やや早いかなという感じがする。

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その点、ネットのコンテンツはリアルタイムで季節感を出すことができる。

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などと書いているけれども、このブログの季節感の無さは昔からであり、明日も元旦らしくない内容になる予定です。

 

 

郷田真隆六段(当時)がSPEEDの4人の中で誰を一番に選んだか、など

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

最後は、中野さんのコメントを記事にさせていただいたもののまとめを。

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〔郷田真隆九段の奨励会時代〕

「ボクがこのまま四段に上がれなかったら、ボクの将棋は誰にも見てもらえなくなっちゃうんですね」

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〔郷田真隆六段(当時)がSPEEDの4人の中で誰を一番に選んだか〕

郷田真隆六段(当時)の選択

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〔羽生世代の雀風〕

先崎流麻雀、郷田流麻雀、森内流麻雀

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〔「弱いのは見てればいいんだぞ」という言葉が、森内俊之六段(当時)の得意のセリフなのか、郷田真隆王位(当時)の得意のセリフなのか、それとも二人とも得意なセリフなのか〕

こちらを先にご覧ください→「今、森内がウチに来てるんだよ。後から康光も来て、明日になれば郷ちゃんも来るんだけど」

その次にご覧ください→若手棋士が遊びに行った家

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〔森内俊之九段、中田宏樹八段の若い頃のあだ名の名付け親〕

「ウシ」「デビル」の名付け親、など

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〔森信雄七段の結婚、村山聖九段の麻雀〕

村山聖八段(当時)の麻雀など

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〔加藤一二三九段と三浦弘行九段の冷房と暖房〕

こちらを先にご覧ください→必死に笑いを噛み殺していた三浦弘行八段(当時)

その次にご覧ください→加藤一二三九段、真夏の嘆き

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〔スナックでの谷川浩司名人(当時)〕

谷川浩司名人(当時)「おーい谷川」

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〔広津久雄九段の日本中誰にも真似のできない飲み方〕

博多の谷川浩司名人(当時)

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〔普通では済まないスキー〕

棋士達のスキー場

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中野さん、ありがとうございました。

 

 

 

「自分の欠点をうまく育てないと、良い欠点にならない」

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

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米長邦雄永世棋聖逝去」への中野さんからのコメント。

米長流とは囲碁を二局教わったことがありました。手合いは確か五子であったかと思います。一局目は私めが三十半ばのころでしたか。こちらは石をたくさん置かせてもらって出だしに絶大な勢力差を誇っているはずなのに、なぜか最初っから攻められっぱなしでした。
何カ所かでこちらがさんざんな目にあって上手必勝の局面となったころに「君は、文章は面白いけど、碁はまったく面白くないね」と言われました。続けて「ま、よく言えば冷静なんだけどね」とも。
二局目は、将棋連盟より五段の免状をいただいたときでしたから、あれは六年ほど前のことになりましょうか。そのときは、もしかしたら免状差し上げ記念にゆるめてくれちゃうのかなと思ったのですが、これがとんだ素人のあさはかさでして、一局目のときよりさらにこっぴどい目にあってしまったのでした。ただ、私めが上手の好戦的態度に必死にあらがったのを見ていてくれたのか「面白い碁を打つようになったね」とのお言葉
を頂戴しました。
米長流には、碁は地を囲うものではなく石と石との戦いにある、ということを教えてもらいました。

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米長邦雄永世棋聖が亡くなられてから5年が経つ。

2012年12月16日(日)が衆議院議員総選挙で自民党が大勝、民主党が大敗。

17日が、私がNHK杯戦の観戦。

18日が米長永世棋聖が亡くなった日

ということで、本当に動きがある3日間だった。

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福崎文吾四段(当時)に起きたハプニング」への中野さんからのコメント。

福崎流の警備員に足止めされ事件。そいのがありましたね。懐かしいです。
その話を伝え聞いたとき、福崎流ならあるある、と思ったものです。
福崎流の対局姿を始めて目の当たりにしたのは彼が四段にあがってすぐのころだったでしょうか。まず、あれっと思ったのは、戦う人の雰囲気がまるでないなということでした。
肩で風斬る風もなく、相手を威圧する風はさらさらなく、ましてや殺気などみじんも感じられません。
これでは、テレビ東京のスタジオがある建物の入り口で、ガードマンさんに、ちょっとあなた何しに来られたのと呼び止められるのは必定であります。
極度の人見知り症福崎流は「はあ。あの。その。今日はあの。ボク大阪からですね。その。将棋の対局をですね・・・ふにゃふにゃ」と応えるのが精一杯だったのでしょう。これでは、ふにゃふにゃの部分は「やりにきた」ではなく「見に来た」ととられてもいたしかたありません。
ガードマンさんから直接聞いたわけではありませんが、福崎流がしどろもどろの中で大阪からと言ったのがガードマンさんの心を掴んだ絶妙の一手であって、大阪から来たのでは追い返すわけにもいかんなあと思ってもらえたのでしょう。なんとかかんとか対局にこぎ着けることができてよかったです。
きたろう

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テレビ東京の本社が東京タワーの麓にあった頃、局舎の入口近くまでは自由に立ち入ることができたので、歌番組の収録があるような時は、出入り待ちの女性ファンが大勢並んでいることが多かった。

1980年代前半、仕事でテレビ東京へ行った時のこと。

局舎前の道路でタクシーを降りて玄関に向かう途中、「エェー、今日は誰も連れて来ていないんですかー」と、芸能プロダクションのマネージャーに間違われたことがあった。

タレントには間違えてもらえなかったようだ。

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阪田三吉の憂鬱」への中野さんからのコメント。

棋士は、その真価もさることがなら働きぶりさえも認識してもらいずらいですからね。
三十年ほど前に、マージャンの井出洋介名人を看板にした、ファミリーコンピュータのマージャンゲームソフトが出まして、それをマージャン好きの滝誠一郎流に紹介しましたところ、一週間ほどして滝流がそのカメレオンのような目をかっと見開いて将棋世界編集部の私めのところに迫ってきました。ひやーっつ、オレまた何かやっちゃったかな、と亀のように首をすくめていますと、滝さんはいきなり私めの手を取って「なかのっさん。ありがっとう。初めて子供たちに尊敬されました」と言ったのです。
聞けば、息子さんが手こずっていたマージャンソフトの中に出てくるキャラクターを、滝さんがことごとく撃破して見せた、のだとか。
そのころの滝さんはB級2組に昇っていたと思いますから、家庭を支える父として十分な働きをしていた、にもかかわらず子供さんたちからは冷たい目とまではいかなくとも残念ながら尊敬はしてもらえていなかったんですね。
これは、内藤流がどこかで書いていたことですが、「将棋指しが家にいて何もせずじっと考えているときが、棋士として非常に重要な仕事をしているまさにそのときなのだが、傍目からは何もしていないようにみえてしまうところが辛いところである」と。
家で盤に向かう三吉が子供たちから面罵を浴びせられていたなんて。寂しかっただろうなあ。涙が出てくるようなはなしです。
西の空に向かい黙祷。現代の一流棋士はあなたの残した棋譜を見て、力戦を得意としながら受けの渋い好手がよく見られる将棋、と認識しています。

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このファミコンソフトは1987年にカプコンから発売された『井出洋介名人の実戦麻雀』。

調べてみると「勝てば実力。負ければベンキョー」がキャッチコピーだったということだが、これは十分に将棋でも使える言葉だだ。

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真部一男八段(当時)「中原・米長それぞれの羽生世代対抗作戦」への中野さんからのコメント。

河口流の論評は、とても興味深いです。
そういえば、阿佐田哲也が「自分の欠点をうまく育てないと、良い欠点にならない」というようなことを言っていましたですね。
私めはつい最近まで、欠点とは直すべきものと思っていましたが、還暦を過ぎた頃からですかねえ、たまーに、欠点を育てるってのも大事なんだなあと実感できるようになりました。

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長所の裏返しが短所、短所の裏返しが長所。

「自分の欠点をうまく育てないと、良い欠点にならない」は非常に良い言葉だと思う。

 

 

森安秀光九段「ぼくちゃんの将棋はね。引き角にされて△2二飛と受けたことはないんです。今日の将棋もそうだったでしょ」

今年の5月29日に亡くなられた元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんから、このブログのコメント欄に寄せられた数々の棋士のエピソードより。

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朝から闘志が充満している対局室」への中野さんからのコメント。

大五郎流の盤前クラウチングスタート姿勢は何度か見たことがあります。初めて見たときは、ウオッ! ナニッ!? (@0@;)とびっくらこけました。
ある日、と金部屋で、大五郎流を真似する奨励会員が居て、皆でゲラゲラ笑っていたら、なんとご本人が入ってきて、シーンと固まる皆を見渡し「君。そんな格好で将棋指してちゃ駄目だよ」と言ったときは、笑いをこらえるのが大変でした。

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佐藤大五郎九段本人が入ってきたのだから、控え室は一瞬で凍りついたはずだ。

それなのに、「君。そんな格好で将棋指してちゃ駄目だよ」と全く予期しないことを言われてしまっては、相当な精神力を持っていなければ、笑いをこらえることはできなかっただろう。

私にはとても無理そうだ。

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広い東京でただひとり、泣いているよな夜がくる」への中野さんからのコメント。

森安流とは、なんと、デュエットしたことがあります。
あれは、もう二十年以上前になりますか、将棋会館で行われた二上ー森安戦の感想戦の後だったと思います。帰ろかなと、4階のエレベータホールにてカゴ待ちをしていましたら、二上流が、「新宿に出ようと思っているんだけど、どうかね」と、近くにいた森安流に声をかけ、その声に思わず、待ってましたあという顔で振り向いた私めにも、優しく「君もどうかね」と言ってくださったのでした。
風林会館近くにある「ポトス」に入りますと、二上流は森安流に奥の上席を勧め、私めには「君が真ん中に座って」と言って、ご自分は出入り口に近い席に腰をおろしました。
さっそく歌の時間とありなりまして、どんどん歌ったのですが、森安流が提案した「さささ、順番で歌いましょうね。まずは前座で私が歌いますから、次はあなたが歌って、真打ちへとね。そこからは今の順番を戻ってあなた、私、とね。行ったり来たりでいいでしょう」という通りにしていましたら、これって私が二回に一回のハイペースで歌うことになってしまうのに気がつきました。
行ったり来たりを4、5回繰り返したあたりで私めが「マドンナたちのララバイ」をリクエストしまして、そのイントロが流れ出したときのことです。
「あっ、この歌、ぼくちゃん大好きなんです。一緒に歌っていいですか」
「いいですかもなにも。どうぞ、先生が歌ってください」
「いや、あなたも歌ってください」
「そ、それでは」
ということで森安流とデュエットしてしまったのでありました。
あのとき、酔っぱらった森安流が「ぼくちゃんの将棋はね。引き角にされて△2二飛と受けたことはないんです。今日の将棋もそうだったでしょ」と胸を張って言い放ったのを今でもよく覚えています。

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二上達也九段、森安秀光九段、中野さんの様子が目に浮かぶようだ。

「引き角にされて△2二飛と受けない」は、引き角からの▲2四歩△同歩▲同角を事前に△2二飛と受けるのではなく、▲2四歩△同歩▲同角とされてから△2二飛と回る、という意味。

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深浦康市七段(当時)にとっての、将棋の世界に入らなければ会えなかったタイプの人」への中野さんからのコメント。

森下流が割り箸を紙切れ一枚で割ろうとしたのも、電話帳をふんぬとばかり腕力で裂こうとしたのも、両方とも私めも食っています。
割り箸のときは、おそらく振り下ろす瞬間に指を素早く一本立てて、それで割るんだろうと思ったところ、本当にマジで紙で割ろうとしているのを知って驚愕しました。
確か一度、電話帳ではなく少年ジャンプだったかと思いますが、見事にまっぷたつにしちゃったのを見せてもらいました。
それまでは森下流はちょっと線が細いかなという感じを持っていましたが、なかなかどうして大したやっちゃと思い直したものです。

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増田康宏四段もやられたかどうかは興味深いところ。