将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。
ところで、この日は事件が起こった。大内-小林戦で、大内が不戦敗となったのである。なんでも、大内は対局場が大阪なのに、東京と勘違いして、こちらへ来てしまったらしい。これも大事な一番で小林は安全圏に逃げ、大内は、残る2局のうち、1局は勝たないと危ないという事態になってしまった。当人の不注意にはちがいないが、気の毒でいうべき言葉もない。
さて、大広間の中央は真部-福崎戦。奥の間は丸田-有吉戦と二上-石田戦。こう全体を見渡して気がついたが、この1組の人々は、将棋指しの、あらゆる面での水準を表しているように思われる。だから、中の一人の物の考え方を語れば、棋士はだいたい同じように考えているともいえるわけだ。
たとえばこんな話がある。
ある日、真部は知人の家を訪問した。すでに何回か訪れていたのだが、この時は降りる駅を間違えてしまった。駅前に出た彼は周囲を見回していわく「半年の間に景色が全部変わってしまったな」
このように、棋士という人種は、自分が誤ったとは、決して思わないのである。
「才能のある人は違う」と感心した人もいるが、見方が自己中心的だともいえよう。棋士全員に、地球が回っているか、太陽が回っているか、と問えば、90パーセントは、天が回っているに決まっている、と答えるだろう。
(以下略)
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棋士が、普通のサラリーマンと同じような行動パターンだったり思考方法だったとしたら、これは本当につまらない。
天動説を信じているかどうかは別として、やはり棋士は、ユニークなキャラクターでいてほしい。
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昨日、電車に乗っていて外を見ていると、並行している国道で渋滞が起きていた。
車が止まったまま。しかし、車間は結構あいている。
不思議な渋滞だな、と思いながら見ていると、電車と車がほとんど同じスピードで走っているからそのように見えているということにようやく気がついた。
国道は全く渋滞はしていなかったのだ。
天動説を笑ってはいられない。