「よし!これから彼女に会って望みどおり話をこわそうじゃないか」

将棋マガジン1984年7月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

5月1日

 記者室に前田が来たので、結婚披露宴の通知がとどき、出席することをいうと、前田は「ちょっと待ってください」と妙な返事である。そして、宮田が終わった後でみんなで酒でも飲みながら話しましょうと、私と永作を引き止めた。

 そんなわけで、10時過ぎまで待ったが、なんと森安-宮田戦は持将棋。これはたまらんと、三人で会館を出た。前田の話は、思っていた通りの、おのろけだった。

将棋マガジン1984年8月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

5月18日

 対局はあらかた終わっている。青野と前田が食事でもしましょうと誘った。

(中略)

 さて、近くのレストランに入り、とりあえずビールを一杯あければ、さっそく前田のおのろけが始まる。このところ聞かされっぱなしである。おのろけといっても、

「女は生意気でしゃくにさわる。あんまりなので破談にしようと思ってるんです。いやホントですよ。熊本の結婚式には来るな、といったんです」

 といった調子である。これが前田流で、真に受けたらえらいことになる。

 新婦は新進の漫画家で、最近著書も出た。スラリとして色白の、日本人ばなれした美人である。だいたい「人の女房と自分の書いた文章はよく見える」というくらいだから、私と青野はうらやましくてならない。なのに、しつっこくのろけるものだから、青野もとうとう色をなして、

「よし!これから彼女に会って望みどおり話をこわそうじゃないか」

 そういって席を立つと「いやっ、それだけはごかんべんを」

 と前田がテーブルに両手をついた。将棋指しの酒の席はこんなものである。やりとりを見ていて、さて、いつの日か青野ののろけ話を聞かされることがあるだろうか、と思った。

(以下略)

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前田祐司八段は非常にユーモラスで愛嬌のある雰囲気。

「お、前田君、披露宴の返事、出しておいたよ。出席させていただくよ」

と河口俊彦五段(当時)が言ったのだと思うが、

「ちょっと待ってください」

という返事なのだから、一見、挙動不審だ。

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「人の女房と自分の書いた文章はよく見える」

河口俊彦五段が考えだした言葉だと考えられるが、人の女房……は別としても、至言だと思う。

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「一盗二婢三妓四妾五妻」という古来の言葉がある。

一番の「盗」は人妻のことで、五番の「妻」は自分の妻のこと。

人妻が一番魅力的な存在で、自分の妻はどうでもいい、という非常に乱暴な意味なのだが、「人の女房はよく見える」はこの言葉が起源になっているのだろう。

自分にとって最下位の位置付けの妻も、他の男性から見ると一番上位に来てしまうわけで、「妻」はボラティリティが高い。

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前田祐司七段(当時)の面白いエッセイ

上座を譲られたのが祟った対局