将棋マガジン1984年12月号、吐苦迷棋坊さんの「第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦」より。
今期リーグ戦の行方をかけた大事な一番、米長王将対中原十段戦。不調不調と言われがちな中原ではあるが、序盤巧者の米長(?)が相手ということもあり、1図では早くも策戦勝ちをおもわせた。
ここで△6五歩と歩を交換し△7三桂の形にすればはっきり策戦勝ちと控え室の声。ところが、中原の指した手は△8三飛。これを見ていた奨励会員などは「香にひもをつけ次に△6五歩から△7三桂を含みにしたすばらしい手だ」などと感心して見ていたのだが、すかさず米長に▲4五歩と仕掛けられ△6五歩から△7三桂が指せなくなってしまった。
この辺を同じ奨励会員に聞いたところ「△8三飛のような手は本来非常にあぶない手なのですよ。中原先生もこんな手を指すようでは調子がおかしいですね」この変わり様。なんてお調子者なんだ。
そして2図。
△2八歩と一本打つか、もう二つ歩を打ってから、取らねばならなかった桂をすぐに取った為、▲4六歩以降一方的にやられてしまった。強く読みの正確であった中原はどこへいってしまったのか。
* * * * *
中原誠十六世名人が絶不調の時期。
十段と王座の二冠を保持していて不調と言われていたのだから、中原十六世名人がいかに凄かったかがわかる。
* * * * *
吐苦迷棋坊さんに「お調子者」と書かれた奨励会員が、14歳の先崎学1級(当時)だったら、らしくて面白い。
しかし、この当時は個性派奨励会員が揃っていたので、この奨励会員が先崎1級ではない可能性も高い。
* * * * *
あることがきっかけで中原誠十六世名人は不調を脱する。
それはこの2ヵ月ほど先のこと。
そのことについては、また数日先に。