将棋マガジン1984年11月号グラビア「九段昇段を祝う会」より。
一番最初の提唱者は米長三冠王。そのため随分とシャレッ気というか茶目っ気の多い会になり、終始笑いが絶えなかった。
まずは設定からふるっている。日にちは無論9月9日。となれば、ところは当然九段会館だ。会費は棋士が九千円で記者は九百円と九づくめなのである。そしてどういうわけか令夫人同伴は「一万円」という具合。この辺までは誰でも思いつきそうだが、谷川名人も出席すると知るや「名人一期で確か九段だったよな」と谷川名人を前の席に押し出したり、もうちょっとで九段昇段の勝ち星に到着しそうな広津、桐山両八段を”見習い九段”として司会者に紹介させるなど、三冠王のヒラメキはいや増すのだった。
これには「拍手係のつもりで来た」谷川名人も、無理やり(?)あいさつに立たされた桐山八段も苦笑するばかり。こんな和やかな雰囲気が最後まで続いた。なお、南口九段は病気のため、小堀九段は所用で欠席。
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この年の4月1日、勝数規定が新設されて(八段昇段後公式戦250勝)、五十嵐豊一八段、小堀清一八段、南口繁一八段、加藤博二八段、芹沢博文八段、関根茂八段、大内延介八段の7人が九段となった。
また、谷川浩司名人も名人獲得1期で同日付で九段になっている。
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九段会館は、1934年に竣工されており、戦前は軍人会館という名称。「二・二六事件」の時には、戒厳司令部が九段会館内に設置されている。
歴史的な建物だったが、2011年の東日本大震災で天井が崩落し2人が亡くなり、廃業となった。
国有地となっていたが、2017年に東急不動産が落札。2022年度中に、九段会館の建築様式を残しつつ、地上17階建ての複合ビルに生まれ変わる予定だ。
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「九段」という土地名の由来は九段坂と呼ばれた坂にあり、なぜ九段坂と呼ばれるようになったかについては、九段になった長屋があった、急な坂で九つの段があった、など諸説ある。
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九段会館の最寄駅は東京メトロ「九段下」駅。
九段の下なので駅は八段だ。