将棋マガジン1985年2月号、塚田泰明五段(当時)第45期棋聖戦五番勝負〔米長邦雄棋聖-中村修六段〕第1局観戦レポート「さっそう中村、緒戦を飾る!三冠王相手に堂々たる指しっぷり」より。
中村さんが棋聖戦挑戦者に―。
この事は谷川さんが名人を取った時より、高橋さんが王位を取った時よりもショックだった。
決勝戦に出た時点でも、何となく中村勝ちのイメージは浮かんで来なかった。(もっとも神谷、島両五段は準決勝あたりから中村挑戦を読み切っていたようだが)
案外僕は保守的な人間なのかもしれない。
しかし、時は流れている。今まではこうだったからと言って、今からもこうだという事は必ずしも言い切れない。それを谷川さん、高橋さん、そして今度は中村さんが証明しようとしている。
では、第1局の模様をレポートしてみたい。
(中略)
タイトル戦を見に行くというのは、実のところ初めてで、どんなものなのかと非常に楽しみだった。
前夜祭、これは関係者のみの軽い宴で、この席で中村さんはあまりしゃべらず、緊張気味なのかな、と思ったが食事の方はしっかりとったらしく、
「お腹ジャーナルといえよう」
などと内輪でしか分からない事を言いながら御自慢のお腹をさすっていたのを見て、まあ大丈夫と思った。
この日は午後9時頃まで2人で雑談をして僕は帰った。
対局当日、中村さんは家紋の入った和服で登場した。
和服なんて着た事あるはずがないと思ったので、自分で着たのか聞いてみると、
「立ってるだーけー」
という返事。つまりほとんど福田家の方にやっていただいたらしい。
さて、局面の方は予想通り相矢倉となった。
(中略)
6図以後、ずっと辛抱を続けていた中村さんだが、▲4三歩に△8五銀と反撃に出た。中村将棋は受けと思われがちだが、それは表面上であって、シャープでタイミングの良い攻めには定評があり、要注意である。
(中略)
△7七歩成から△8八銀が素朴な決め方。銀を渡しても後手の玉は詰まない。△7六角と出て米長先生の投了となった。
ところで、投了前米長先生は4分考えている。
局後の感想によると△7六角をうっかりしていたそうだ。中終盤に関しては抜群の強さを見せる人だけに、やはり対局過多がたたっているのでは、というのは気のせいだろうか。
中村さんは勝った。内容的にもいいものだったと思う。
昔から勝負強さはあったが、大きい将棋になればなるほど力の出るタイプなのかもしれない。
僕個人としては、中村さんに勝って欲しい気もするし、勝って欲しくない気もするという複雑な気持ちでいる。まあ静かに見守っていたい。
感想戦を終え、立ち上がった中村さんのハカマがくしゃくしゃになっていたのが、今何故か印象に残っている。
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自分はまだタイトル挑戦経験のない時の仲の良い同期ライバルのタイトル戦初挑戦、「勝って欲しい気もするし、勝って欲しくない気もするという複雑な気持ち」が、よくぞ本音を言ってくれた、と称賛したいほどの言葉。
一般的には「勝ってほしくない」「勝ってほしい気もするし、勝ってほしくない気もする」「気にしていたらキリがないので気にしないようにしている」のいずれかになるのが正直なところなのではないだろうか。
もちろん、これが自分が一度でもタイトルを獲得した後であれば、同期ライバルのタイトル戦での勝利を心から喜べるようになるのだと思う。
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「局後の感想によると△7六角をうっかりしていたそうだ」とあるが、この中村修六段(当時)の△7六角が気がつきにくい、不思議流の面目躍如と言って良い一手。
1図は先手が後手の8七の歩を取った局面。
ここで△7六角(2図)が指された。
次の一手に出てくるような、もの凄い絶妙手であることがわかる。
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「お腹ジャーナルといえよう」の意味は、わからない。