将棋マガジン1985年3月号、「公式棋戦の動き 棋王戦」より。
「田中君が改名したって知ってる?」
おとそ気分を吹き飛ばすような、ビッグニュースが将マ編集部に飛び込んできた。
「ぼくは名人になる」
「あれくらいで名人になれる男もいる」
などと過激な発言をし、いつもガルルル…と牙をむいている田中に、どんな心境の変化が?
この情報を伝えてくれた某高段棋士(田中が尊敬するN原先生に後姿が似ていた)に、「本当ですか?」と恐る恐る尋ねてみると、
「あれ、知らないの。(編集部にしては情報が入るの)おそいんじゃない」
「本当に本当ですか!」
編集部のおじさん達のあまりの真剣なまなざしに、某高段棋士もニコッと破顔し、
「田中トラヒコから田中ホラヒコと改名したって、上で(編集部は3階、棋士のたまり場は4階)みんな騒いでいるよ」(笑)
――ンモーッ、あんまし驚かさないでください。
1図は勝浦八段戦の終盤。
ここからのホラヒコの寄せを、とくとごらんあれ。思わず「ウーン」とうなること請け合いです。
1図からの指し手
▲7七桂△6六歩▲6五桂△6七歩成▲5三桂成△同銀▲7五桂△同歩▲7四金△7三金▲6三歩△同金▲6一銀まで(2図)どうです。田中トラの強さが存分に現れた見事な寄せ。うまいもんですな。
”言うは易く、行うは難し”――重々承知の上であえて挑戦する田中トラの意気やよし。狼少年にならないようガンバレー。
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1図からの対局は棋王戦敗者復活戦。
2図に至るまで、まさに絵に描いたような見事な寄せ。
2図で△同玉は▲6三金、△同飛は▲8三金△8一玉▲6三金で、後手が受けきれない。
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この頃の田中寅彦八段(当時)の発言は決してホラではないが、トラヒコとホラヒコは音的に似ているので、このような流れとなったのだろう。
「この情報を伝えてくれた某高段棋士(田中が尊敬するN原先生に後姿が似ていた)」は、もちろん中原誠十六世名人。
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これは実際にあった話だが、「ゆかり」という名前の女性が、ある日、忘れ物をしたり、飲み物を服にこぼしてしまったり、失敗が集中してしまった時があった。彼女はそれ以来、親しい友人に「ぬかり」と呼ばれるようになってしまった。