将棋マガジン1987年5月号、コラム「棋士達の話」より。
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ある時知能指数が話題になった。桐谷五段が「私は145あります」といったところ真部七段が「君でもその数値なら僕は170だ」森九段も「それなら僕は180」と数が上がる。板谷八段はそれを聞いて「あいつらは知能指数と血圧と間違っとる」
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棋士にはいろいろな特技を持つ者がいるが広津九段の駒積みも有名。歩を一枚逆に立て、その上にすべての駒を乗せるのだがバランスが難しい。ある時マスコミが取材に来たが、広津九段は断って曰く「私は将棋指しで将棋立てではありません」
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棋士は連盟販売部発売の扇子を持つ者が多いようですが全く違う内容も見られます。東六段が東京での対局に扇子を忘れ、他人に借りましたが、開いてビックリ。そこには「実は私はスケベなんです」と書いてありました。やはり借り物はダメ。
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故・塚田正夫名誉十段は伸縮自在の棋風でよく”屈伸戦法”といわれていました。ところがある時に”屈折戦法”と誤記されて怒ったそうです。「だって君、屈して折れたら全くいいところがないじゃないか」とはなるほどごもっともです。
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この知能指数と血圧の話は、2003年の将棋世界で河口俊彦七段(当時)が「新・対局日誌」に取り上げている。細部で数値が異なるが、この1987年のリアルタイムでのコラムの数値が正しいだろう。
→板谷進八段(当時)「150、180だと!?そりゃ血圧の話だろう」
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廣津久雄九段の駒積み。逆さに立てた歩の上に残りの39枚の駒を乗せるのだから想像を絶する。
テレビに出てほしかった。
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野球の長嶋茂雄選手はよく自分のバットを忘れることがあって、その時は他の選手にバットを借りることになるのだが、その際の打率が通常よりも高かったという話がある。
しかし、棋士の扇子の場合はそうもいかないようだ。
「実は私はスケベなんです」は、本来は自分で使うつもりで書かれたものだろう。対局相手はこれを見たらかなり調子を狂わしてしまうかもしれない。
高度な盤外戦術用だったとも考えられる。
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「屈折」は屈折望遠鏡など光学用語としては全く問題ない言葉だが、人間に使われるととても微妙になる。
しかし屈折戦法という名は、それはそれで不気味で恐ろしそうな戦法に感じられる。