将棋マガジン1987年4月号、コラム「棋士達の話」より。
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故・花村元司九段はあの風貌からは想像しにくいが、酒は全くダメ。それでも最初の乾杯は付き合うが、その一口で席上の酒を全部飲んだほどに真っ赤になる。そして頭が熱くなるのかよくおしぼりを頭に乗せた。そんな事もファンの人望を集めていた。
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森安八段がある時泥酔して、東京の将棋会館の階段をころげ落ちて動けなくなった。何人かで助けおこして自室に運んだが、その時の記憶だけうっすらと残っていたらしく、次の日「君が僕を突き落としたんだろう」と怒った。助っ人氏後でぼやくぼやく。
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佐瀬八段は酒があまり好きではない。このためビールにサイダーを割って飲むのが好きだった。ある呑兵衛氏も付き合ったが、意外と口当たりが良いので感心、しかし当然いつまでたっても酔わない。そこである事に気付いた。これは酒じゃない。
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豪快な酒で知られたのが故・松浦卓造八段。雄偉な体格だけ会って一升瓶2~3本は飲んだ。朝から飲んで、よく昼寝する姿が見られた。でも気弱い面もあり、御本人は「ワシャ不眠症じゃ」と嘆いていたが周囲の声「あれだけ昼寝すれば」
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酒癖の悪い棋士もいる。故・本間爽悦八段も有名でトラ箱のご厄介になった事もあるそうだ。当然そこに入るのが不愉快で「ここにワシの両桂を勝てる者がおるか」と怒鳴った。普段は優しい先生ほど癖は悪いものか、と周囲は話していた。
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修行中は暗い気分になる事も多い。某奨励会員は酒に酔って道の真中を歩き「ひけるものならひいてみろ」と叫んだ。ところが本当にひかれ、足を骨折。相手がびっくりして慰謝料を払ったが当の奨励会員「もうかった」と一言。どちらが被害者。
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大山十五世名人は健啖家で知られた。某雑誌の取材に答え「私は食事です」それではと撮影に入ったが、形作りでご飯が超大盛り。終了後係が片付けようとしたところ「もったいないから」といって全部平らげた。ウン将棋界にヤラセはない。
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棋界一の大食漢は何といっても関西の神吉四段だろう。その体重110kgが示すように、いくら食べてもまだ満腹を経験した事がない、というからすごい。その神吉四段の大敵は減量。つまりせっかく特注した洋服が着られなくなる、というわけ。
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9年ほど前にも書いているが、いかにも酒豪に見えるのに全く酒を飲めないのが、
東映任侠路線では、故・高倉健さん、故・若山富三郎さん。
強面政治家では故・浜田幸一さん(ハマコー)。
ハードボイルド系では舘ひろしさん、宇崎竜童さん。
演歌系では北島三郎さん。
女優では梶芽衣子さん、瀬戸朝香さん。
野球系では故・星野仙一監督、江夏豊さん
歴史系では西郷隆盛、山本五十六。
そして将棋界では
故・花村元司九段と山田久美女流四段。
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故・松浦卓造八段は天守閣美濃の考案者で、力士のような体格だった。
当然のことながら、きちんとした武勇伝が残っている。
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「ウン将棋界にヤラセはない」
これは、この記事が書かれた数ヶ月前に、ある民放のワイドショーでヤラセが発覚したことから、このようなオチとなっている。