将棋マガジン1987年6月号、コラム「棋士達の話」より。
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あたり前のことをあたり前に出来る者が強くなる要素です。と大山十五世名人はよく言う。あるタイトル戦の話。大山十五世は自分でワイシャツを洗い、麻雀をやりながら時々席を立ってシワが寄らないように伸ばした。ウーム内弟子修行のたまものか。
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あるファンが石田和雄八段の著書を持って本人にサインを求めた。親切な石田八段は喜んで書いたが、その頭に思わず”謹呈”と加えた。ファンは首をかしげていたが、やがておそるおそる「あのー、この本は私が買ったものですが……」
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棋士達は地方によく出張に行くが、一番ガッカリする質問は「先生方は将棋もお強いようですがお勤めはどちらですか」というもの。最近は少なくなったが、まだ将棋が職業として成り立つ、ということが知れ渡っていない面も残っている。
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故・塚田名誉十段は寡黙で知られていた。晩年に「人さまのことに気がつかない性格だった。今、いろんな事に気づくようになった。将棋が弱くなった」と言った。激務である将棋連盟の会長職を務めるようになる少し前の言葉だったようだ。
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石田和雄九段らしい微笑ましいエピソード。
サイン会などではなく、突然のタイミングでの自著へのサインなので、思わず”謹呈”と書いてしまった気持ちはとても理解できる。
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石田和雄九段の新刊「棋士という生き方」が5月10日に発売される。
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「あたり前のことをあたり前に出来る者が強くなる要素です」と「人さまのことに気がつかない性格だった。今、いろんな事に気づくようになった。将棋が弱くなった」は一見すると矛盾しているようにも思えるが、両方とも正しい、ということになるのだろう。
しかし、「弘法筆を選ばず」と「弘法も筆の誤り」が並んだ時に(弘法は筆を選ばなかったから筆を誤ったのではないか)とついつい考えてしまう煩悩が深い私は、大山康晴十五世名人の言葉と塚田正夫名誉十段の言葉の整合性をいまだに見つけられないでいる。