将棋ジャーナル1986年1月号、今福栄さんの「今福栄の独断語」より。
まずは一般評
将棋ファンの皆さんには、少し面白くないことかもしれませんが、「将棋」のイメージについて、かんばしからざる一面のあることも否定できません。
碁・将棋とよく併記され将棋・碁とは決していわれない、碁とくらべてどうでしょうか。
碁は高級、将棋は低俗。
碁は金持ちの遊戯、将棋は庶民のなぐさみ。
碁は渋茶をすすりながら上品な老人が、掛軸を背にゆっくりとうち、将棋は尻っぱしょりした若い衆が、緑台でケンカゴシで指す。
あげくは、碁はむずかしく、将棋はやさしく誰でもできる………。
こんな対比が即座に浮かんできます。ある意味ではそういう要素もあるでしょう。まあ、碁はむずかしく将棋はカンタン、ともなると、バカバカしくて反論する気にもなれませんが。
いずれにせよ、碁と比較した将棋のイメージの低さは、いったいどこからくるのでしょうか。
まず第一に、将棋はとっつきやすいということ。ほとんどの家庭に、将棋の盤駒が備えられているということ。
将棋の駒の飛車角、王様はいうに及ばず、金、銀、桂、香、歩にいたるまで、いわゆる地口、軽口のたぐいが沢山あって、庶民の口の端にのぼることが多いこと。
将棋将棋指しを主人公にした小説は碁にくらべて圧倒的に多いこと。芝居か映画で、碁打ちが主人公のものは観たこともありません。浪曲や歌謡曲でも同じです。
すなわち、将棋は碁にくらべていちぢるしく日本人の生活に密着しているということです。
このことは、ひるがえってみれば、たいへんすばらしいこと、将棋こそ、日本人の知的ゲームの雄とさえ、いい切れると思います。
今上陛下のお写真で、皇家の方々が将棋盤を囲んでダンランされている図をかって拝見したこともあります。
すなわち、将棋は日本人の血液となっている、といっても過言ではないでしょう。
そうであるのになぜ、将棋は碁とくらべて一段低く見られがちなのでしょう。
家庭生活に親しすぎる、というのもひとつの理由ではありましょう。
しかし、それは、そうとも考えられるということで、生活に親いから低くみる、という論理構造は正しくありません。
だから、将棋のイメージが少しく低い、ということについては、将棋ファン全体の責任において、これを高めるつとめがありましょう。
いわれなき、中傷を払拭するのは、将棋ファンの責務である、というのが今福老の永年の考えです。
ギャルの将棋評
先立って、この今福老の身辺をなにくれとなく世話してくれる娘さんがおりまして、
「いつもダラダラとお酒ばかり飲んで将棋ばかり指していると、ますますじじくさくなるから(このいい方がまず将棋に対する差別ですが、それはともかく)若い女の子を集めてあげるから、ギャルたちとお酒でものみましょう」
とさそってくれました。それはたいへん結構な趣旨、ということでさっそく実現のはこびとなりました。この今福老、めったにない機会なので、よせばいいのに、将棋の話をし始めます。四人の若い女の子たちに将棋のイメージについて取材しようというコンタンです。
ギャルA「テレビの3チャンネルで日曜日やってるでしょう。お父さんが昼間っからビール飲みながそれを観てるの。私ワァ、そんなの観たくないんだけどォ、いや応なく目に入ってくるワケ。ケツコウ若い人もでていて、ワッ、ハンサムじゃない、と思える子もいるんだけど、なにあの服装の趣味。若いくせにドブネズミかリクルート。たまにハデ目のカッコの子もいるけど、これがひどいのね。ネクタイとシャツとジャケットの釣りあいがめちゃくちゃ。色彩感覚ゼロ。野球選手の服装の趣味が悪いのは有名だけど、あれはあれで悪趣味がファッションになっているのよ、体格がいいから。将棋やってるって子、ガリガリの貧弱か、デブでしょ。黄色いシャツに赤いネクタイなんて悲惨よ。それよか中年すぎた人たちの服装の方が全然まし。お金かけてるってわかるもの。テレビではあんまり見ないけど、高そうな和服着てるのってやっぱり渋いわよ。だから若い子も、どうせセンスないんだから、和服着たら。ウールでもなんでもいいから、和服で決めたほうが受けるんじゃない」
ギャルB「この前、新宿歌舞伎町のつぼ八で、女の子ばかり六人で飲んでたの。もう十二時をまわっていて、終電もまにあわないし、サワーでも飲んで、友達のところに泊ろうってダンドリ。そうしたら、タタミのとなりの席に、学生風の若い子たちが五、六人なだれこんできたの。かわいい子もいたし、いっしょに楽しく飲めるわって、皆で内心期待したのよ。男の子たち、私たちには当然気づいていて、話しかけようという気持ちはあるみたい。
私たちも、彼らが注文しているジャガバタなんか、
『わあ、私たちもジャガバタ』
とかいって、きっかけを作ってやろうと努力はしてみたの。ところが、チラチラ私たちの方を見るだけで、何も話しかけてこないのよ。そのうちにね。やれ、今年は慶応が強そうだとか、ワセダの全盛期はもうとっくに過ぎて回復はとうぶんできないとか、よく聞いてみると、将棋の話なの。そのうち、なかの二人が、7六歩、3四歩とかいって、ワケのわからない記号をしゃべりだして、(目かくし将棋らしい)ほかの子たちは、
『あっそこにはさっき成ったと金がいる』
とか、
『二歩でした』
とか、大声だして笑いころげているの。私たちは、もうシラーッとして、いわず語らず。
『もうやめとこ』
と内心あきれかえっちゃったわけ。将棋やってる若い子って、皆ああなのかしら」
ギャルC「私のおじさんが、将棋好きなの。なんでも四段だとかいうからけっこう強いみたい。朝から、新聞の将棋欄に目を通し、雑誌の詰め将棋を一心不乱に解いていたり、将棋の単行本や雑誌を残らず買って、スミからスミまで読んでるみたい。おばさんは、たいしてお金がかかるわけじゃないから、いい趣味だ、なんていってるけど。
この前の月曜日に、おじさんのところへ遊びにいったら、おじさん、沈みきってるの。なんでも、前の日に、武道館で将棋の大きな大会があって(職団戦らしい)、一回戦で負けたらしいのね。そのうち、焼酎のお湯わりなんかを飲みはじめるのよ。それで酔ってくると、将棋のことなんか、全然わからない私に、
『ちくしょう。あそこで、横田の奴、3三角成なんか指さなかったら、こっちのチームが勝っていたんだ。横田の奴、口は達者だけど、急所でいつもまちがえるんだ。職場じゃ、おれの上司で、いつも書類が遅い、納期にまにあわないなどと口うるさくていばりちらしてるけど、ああいう大切な局面でまちがえるようじゃ、これからの出世もおぼつかないよ』
なんて、全然関係ない話をはじめるわけ。たまに遊びにきた若い女の子にしゃべる話題じゃないわけよ。将棋で勝つとか負けるとか、そんな大切なことなの。自分一人の趣味が他人の趣味だとでも思ってるのかしら。私だってアルフィーとか、玉置浩二の話題なんか、おじさんには話さないくらいの気は使ってるのに。ねえ、今福おじいさんもそうなの」
つづいてギャルDが話しだしそうなのを、私は静かにおさえて、一人席を立ち、勘定を済ますと、蹌踉として夜の歌舞伎町にさまよい出、リスポンの玄関をあけて、沈みきってダラダラと酒をのみ、暗い真剣に朝までの時間をつなぐのでした。
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今福栄さんは講談社の村松卓さんのペンネームで、村松さんは『月刊現代』編集長時代に「プロアマ角落ち戦十番勝負」を誌上で企画している。
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今から32年前の若い女性からの将棋の思われ方。
これは誇張が入っているわけではなく、当時は本当にこのような世の中だった。
今からは考えられないような時代。
当時から考えれば、今は将棋界にとって夢のような時代ということになる。
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リスボンは歌舞伎町にあった、真剣師も集うような将棋酒場。
個人的には、リスボンへ行くよりも、そのまま4人のギャルと飲み続けているほうが楽しいと思うのだが、この辺はそれぞれの人によって価値観が異なってくるかもしれない。