近代将棋1982年6月号、福永望さんの初心者のための詰将棋入門「名作『死と乙女』鑑賞」より。
芸術としての諸将棋
今回は、芸術的香り高い詰将棋を紹介したいと思います。
詰将棋は、解く人にとっては、実戦の終盤に強くなるための一手段であり、また無聊を慰めてくれる良質のパズルです。が、これからご紹介する「死と乙女」を並べていただければ、詰将棋の別の面にも気づかれるかと思います。
先日、短篇詰将棋作家A氏が編集部を訪ねてくれました。色々話していて、話題が山田修司氏作の「死と乙女」に及んだ時、A氏は次のように語ってくれました
「あの作品を初めて見たのは昭和35年頃でした。古本屋で買った『詰将棋パラダイス』の一冊にのってました。解説を読み詰手順を並べた時は泣きそうになりましたネ。その時は多分、解説の方に感動したんだと思います。それから一年くらいたって、今度はあの作品を自力で解いてみたんです。解き終わって、あふれる涙を止めようがありませんでした。自分でもビックリしましたよ、諸将棋で泣いてしまったんですから……ウェルテルを読んで感激し、太宰治に熱中していた18歳でしたから、あの涙も、青春という得体の知れないもののせいなんでしょうね」
A氏のこの言葉がきっかけで。今回、「死と乙女」を紹介してみたくなったのです。世に「芸術」と呼ばざるを得ない詰将棋は他にもあります。たとえば伊藤看寿の図巧第一番とか北村研一氏の「槍襖」とか奥薗幸雄氏の「新扇詰」です。ここで、あえて山田修司氏作の「死と乙女」を選んだ理由は。この作品の易しさからです。易しさは優しさでもありましょうか。この作品は、2、3級の方でも解くことができます。では。さっそく語手順を追ってゆきます。
詰手順
なお、解説は名解説者といわれた故・土屋健氏のものを、「詰将棋パラダイス」昭和26年10月号より、そのまま引用させていただきました。
▲7四銀成△8二玉▲8一と△同玉▲7一と△同玉▲7三香△6一玉▲7二香成△5一玉▲6二成香△4一玉▲5二成香△3一玉▲4二成香△同玉▲4三銀△3一玉▲3二金△同金▲同銀成△同玉▲2四桂△4一玉▲3二桂成△5一玉▲4二成桂△6一玉▲5二成桂△7一玉▲6二成桂△8一玉▲7二成桂△同玉▲7三金△8一玉▲8二金打△同金▲同金△同玉▲9四桂△7一玉▲8二桂成△6一玉▲7二成桂△5一玉▲6二成桂△4一玉▲5二成桂△3一玉▲4二成桂△2一玉▲3二成桂△同玉▲3三銀△2三玉▲3五桂△同歩▲3四金△1二玉▲2四桂△1一玉▲2二銀成△同玉▲3三と△1一玉▲1二桂成△同玉▲2三金△1一玉▲2二金まで71手詰
『選者 何んと云ふ美しい旋律に満ちた作であろう、小さな駒が奏でる悲しい迄に麗しい調べは魂を揺り、見る者をして恍惚と酔はさずには置かない。手順が面白い、最初の駒配りに無理がない、詰上り亦美しい、二回注復する玉の画く軌跡を夫々妙手に見たい、など言ふ事は駄足である、まして平易であるの妙手が無いのと論ずるに至っては烏滸の沙汰である。現在迄に発表された山田君の数ある作中でも突兀として聳ゆる最高峰である、長さに於ても純然たる小駒図式(合駒に大駒を使用しない)としては日本新記録であろう。
が、より重視しなくてはならぬのは、この作が醸すアトモスフェアであり歌ふ詩である。予言者イザヤではないが、かつてこの事あるを予言した選者の言は適中した、山田君はまづそれを為した。小さな駒々が織りなす階調と色彩は永遠の栄光と生命を唱い尽る所を知らない。山田君が本作品に「小独楽」と題したのは、小駒作品である事と独り楽しむと言ふ点より名付けたものだが、楽しむ事は詰将棋の本質だ、然し本作は独り楽しむ境地を遙かに脱し、解く者総てに楽しみを与えずに置かない、その点不適当であると考え、図面に傍註しなかった。「死と乙女」これこそ題するとすれば最もふさはしくはないだろうか。選者はロマンチストではないが反射的にこの題が脳裡に閃めいた、と云ふより全身を以って感得したのである。「死と乙女」これはシューベルトのクワルテット(四重奏)であるが、セロは常に死の如く甘く、低く誘ひ、バイオリンは不協和音を以って、乙女の儚い抵抗をすすり泣く如く亦訴へるが如く救ひを求める、遂に死の勝利の円舞曲で終る。本図では香と桂が取れ取れと玉を誘惑する。取れば即ち死を意味する。右に左に救ひを願ふ玉の悲しい反抗も、勝利の円舞曲を表現する右側に於ける折衝で死の凱歌を以って終る。簡単な序曲より直ちに主題に入り軽快なワルツで幕となる本作品に陶酔したのは選者独りではあるまいと思ふ。近代詰将棋中のロマンスを代表する佳作である。某作家が本題に酔ひ軽い眩量を感じて、己が作品に思ひを致し、「止んぬる哉」の一言と共に駒を投じた、と言はれて居るが、選者は決してそれが誇張とは思へない。再び言ふ、この傑作を題して「死と乙女」』
土屋健氏の名筆ですべてがつくされています。つけ加えるべき一言もありません。編集子がすることは、変化手順に触れることくらいでしょう。
(中略)
終りに
作者の山田修司氏は昭和7年生まれ、北海道開発局勤務です。氏は、本作のほか、「禁じられた遊び」や四桂連続中合の名作などの傑作を数多く発表されました。いつの日か、氏が新作を発表され詰将棋界に戻ってこられるのを心から願うものです。
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この詰将棋の途中図と変化(中略の部分)は次の通り。
▲7四銀成△8二玉▲8一と(途中1図)
△8一同金なら▲9四桂△9一玉▲8二銀以下詰み。
(途中1図以下)
△同玉▲7一と△同玉▲7三香(途中2図)
△7二歩なら▲同香成△同玉▲7三銀△8一玉▲8二金で、作意の37手目に飛び、作意手順より20手以上短く、歩余りで詰む。
(途中2図以下)
△6一玉▲7二香成△5一玉▲6二成香△4一玉▲5二成香△3一玉▲4二成香(途中3図)
△2一玉は▲3二金△同金▲同成香△同玉▲3三銀△2三玉▲2二金△1四玉▲2四銀成の詰み。
(途中3図以下)
△同玉▲4三銀△3一玉▲3二金△同金▲同銀成△同玉▲2四桂△4一玉▲3二桂成△5一玉▲4二成桂△6一玉▲5二成桂△7一玉▲6二成桂△8一玉▲7二成桂(途中4図)
△9二玉なら▲8二金△同金▲同成桂△同玉▲7三金△9二玉▲8三金打以下詰み。
(途中4図以下)
△同玉▲7三金△8一玉▲8二金打△同金▲同金△同玉▲9四桂△7一玉▲8二桂成△6一玉▲7二成桂△5一玉▲6二成桂△4一玉▲5二成桂△3一玉▲4二成桂△2一玉▲3二成桂△同玉▲3三銀△2三玉▲3五桂△同歩▲3四金△1二玉▲2四桂△1一玉▲2二銀成△同玉▲3三と△1一玉▲1二桂成△同玉▲2三金△1一玉▲2二金(詰上がり図)まで71手詰
成香が左から右に、成桂が右から左に、別の成桂が左から右に、後手玉を追っていって、最後は1一で後手玉が詰む。
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作者の山田修司さんが「小独楽」と名付け、選者の土屋健さんが「死と乙女」と名付けた詰将棋。
この近代将棋の記事を見た時は、「小独楽」なら空中の細い紐の上を回転しながら左右に往復運動をする独楽が連想されてピッタリの作品名ではないか、「死と乙女」だと、じりじりと嫌がらせをされて最後は殺されてしまう少女を連想してしまい、味が極めて悪い、土屋健さんの解釈は、それは一つの偏った感じ方なのではないか、と思った。
念のため、シューベルトの「死と乙女」を調べてみると、「死と乙女」は歌曲で、Wikipediaによると、
病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。
と解説されている。
なるほど、シューベルトの「死と乙女」の世界観なら、この詰将棋を「死と乙女」と名付けるのも大いに納得ができる。
とはいえ、シューベルトの「死と乙女」を聴いて2分で寝てしまったほどの芸術性とは縁遠い私なので、「死と乙女」というタイトルはまだ自分の中では消化しきれていない。
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山田修司さんの詰将棋作品集『夢の華』は1998年の将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞を受賞している。
→夢の華
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