近代将棋1983年5月号、松田茂役九段の「質問箱」より。
右香落の定跡はないのか
Q.拝啓、昔は右香落ちが指されていましたが、現在はなぜ指されなくなったのですか。また他の駒落ちは、ある程度まで定跡化されていますが、右香落ちの定跡はないのですか、ありましたら手順等よろしくお願いいたします。(宇都宮市 Nさん)
A.右香落は、地味な一本道のいつも同型になりやすい将棋に展開するので玄人好みはしたが、一般受けしなかった。
同じ香落でも左香落の方はすごく面白い変化が続出するので、一般ファンに喜ばれました。その為に次第に左香落の影に隠れて、ついに忘れられたのです。
右香落の定跡としては、天野宗歩(天保弘化のころの名棋士)のあらわした将棋精選に
右香落下手方▲6六角上がり
△8四歩▲7六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△6二銀▲9六歩(4図)と紹介されています(現代風に書き直しました)。
4図以下の指し手
△4四歩▲9五歩△8四飛▲6六角△5四飛▲7七銀△6四歩▲5六歩△同飛▲5八飛△同飛成▲同金右(5図)となって「飛の打ある故下手方甚よろし」と13字だけ解説されています。
現代の将棋本と違って昔の本は手順のみで簡単な解説でした。
尚、天野宗歩は角交換して6図のように展開したら、▲9四歩△同歩▲6一角と打って、以下「下手方少々手落ありても持将棋には慥かになる」と解説しています。
「たしかになる」というのは負けのない将棋だという意味かと思います。
大橋宗英(天野宗歩クラスの幕末の天才)の書いた将棋早指南という棋書にも
△8四歩▲7六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△4四歩▲9六歩△6二銀▲9五歩△8四飛▲6六角△7四飛▲7七銀△6四歩▲8六歩△同歩▲8八飛△6五歩▲7五角△7二金▲8六飛△8三歩▲9四歩△同歩▲9二歩(7図)となって、「下手方よろし」と5字で講評しています。
明治時代に新聞将棋が始まったとき、新聞社としては有名大家同士の平手戦を要求したわけですが、棋士が少なかった為に駒落も掲載され、そうなると、香落は面白い左香で十分間に合い右香落はますます影が薄くなりました。
以来、左香のみもてはやされたわけで、有段者のあいだでは、まず左香落を指して、上手が負けたら平手を指すという”香落次第”というのが通例でした。
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「同じ香落でも左香落の方はすごく面白い変化が続出するので、一般ファンに喜ばれました」
左香落上手は振り飛車。多くの場合は居飛車対振り飛車の対抗形、関西では相振り飛車も指されていた。
昔から、アマチュアには振り飛車が好まれる傾向があったということになるのだろう。
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「飛の打ある故下手方甚よろし」
「下手方少々手落ありても持将棋には慥かになる」
江戸時代の解説もなかなか味がある。