「きょうは負けたので、もう一晩世話になるよ」

近代将棋1984年3月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。

風の三晩

 わが千葉県には、政治倫理の腐敗、トルコ風呂のほかに、ギャンブルという名物もある。

 ざっと近辺を見渡すと、中山競馬場に船橋競馬場、競輪は千葉と松戸にちょっと川を越えて取手、さらには江戸川競艇もある。

 勝負師である将棋指しにはギャンブルファンが多い。いつだったか、米長さんが何かに「競馬は、酒呑みの酒と同じ。金をつかって楽しめばよいのだ」というようなことを書いていたが、この程度の健康なファンが多いのである。

 しかし、芹沢さんとなるとちょっとばっかり病的。五、六年ほど前の話だ。千葉で競輪の日本選手権が開かれた。大きなレースなら琵琶湖でも、小倉でも……という芹沢さんが、これを見逃がすはずはない。だが、芹沢さんの家から競輪場までは二時間近くかかる。「おう、そうだ、能智クンは千葉に住んでんだな。こんど千葉でダービーがある。一晩泊めてくれないかなあ」ときた。

 狭い家だが、そんなことはお安いこ用。第一、ひと晩寝ずにワイワイ酒が呑めるのもいい。すぐに「いいとも」である。

 しかし女房は「あんな有名人を、このボロ家に泊めるの?なにをめし上がるのかしら」と数日前から大騒ぎ。「あの人は呑んでるだけで、喰わないよ」といっても、三日間ずっと同じことをくり返しているのだ。

 さて前日、芹沢さんは弟子の佐藤義則六段を連れて堂々と現れた。サトチャンの実家も津田沼にある。三人、バカをいいながらガンガン呑んで、サトチャンは「じゃあまたあした」といって深夜帰っていった。

 翌朝、芹沢さんは勇躍千葉へ。わたしは仕事があるので会社へ、は無粋だ。

 ところが、仕事を終えて帰ってみると、「よう、お帰り!」と芹沢さんの出迎え。「きょうは負けたので、もう一晩世話になるよ」というのだ。またしたたか呑んだ。

 次の日、わたしは会社を休んでしまうことになる。といっても酒のせいではない。

 朝、二人いっしょに家を出たのがいけなかった。「オレも行ってみるか!」となって、西へ向くはずの足が東へ。おく手のわたしにとって、これが初体験で少々ビビッていたのだが、競輪場に着いてみると、知った連中がいるわいるわ。

 勝浦修八段、佐藤庄平八段、山口英夫六段にサトチャン、碁打ち五、六人はいた。「初体験か」といって手とり足とり教えてくれたのだが、さっぱり当たらなかった。

 そしてまた帰りにヤケ酒。こんどはわたしが「もうひと晩泊っていきなよ」と誘って、芹沢さんは三日目の朝を迎えることになる。

 心配していた女房もけっこう楽しそう。「パパと同じでなんにも作らなくていいのね」と三日目には、台所へも立たずに酔談を聞いてゲラゲラ笑いこけている。

 ようやく嵐は去った。だが、いま考えてもおかしい。酒で会社を休んだことのないわたしが、初体験のバクチでいとも簡単に休んでしまった。「でも、これも交際、仕事のうちさ」と自分に弁解するから、将棋記者とは気ままなものだ。

いるわいるわ

 書く枚数がいっぱいになってきた。しかしこれを書いておかないと、千葉が将棋天国である証にはならない。急いでフィニッシュだ。

 関根さんが「千葉県は、近代将棋の発祥の地」といってくれたが、関宿町には関根十三世名人のほかに大長考の渡辺東一名誉九段も生まれているし、大正期の三派の一つ「東京将棋研究会」の領袖・故大崎熊雄九段 晩年は市川に住んでいた。

 あと黄色い電車を一気に走らせると、市川に「市川市市川の市川一郎さんで満貫」の故市川一郎八段はじめ、藤代三郎五段、寺崎紀子二段が住み、八幡には松田茂役九段、船橋には毎日の井口昭夫氏と関口勝男五段、西船には「将棋世界」の元・前編集長の太期喬也氏、清水孝晏氏、沼春雄五段が”将棋部落”を作っており、大内延介八段も以前ここに住んでいた。

 津田沼周辺は松下八段、佐藤義六段、金井厚氏のほか、故山田道美九段、朝日の東公平氏がいたし、最近は「二十回目ぐらいの転居」で引っ越し魔の西村一義七段が腰を落ち着けた。

 黄色い電車の終点・千葉には、御大の佐瀬さんと幹事長格の長谷部さん。その佐瀬さんの家には中井広恵二段が内デンをしており、長谷部さんの師の故大和久彪八段も千葉市の出。五年前に急逝した高田丈資七段も津田沼と千葉の間の検見川に住んでいた。

 さらに内房線に乗りかえ南に進めば、木更津には浅沼一五段いて、観戦記者の大長老・関本三猿子氏が「ことし米寿なんですよ」と元気いっぱい。逆に外房線を下ると関屋喜代作六段の故郷・茂原があり、その先の一の宮は故京須行男八段、天津は故金高清吉八段の生まれたところ。また西の銚子方向には吉田六彦七段が住み、八十三歳になる観戦記者の日色恵氏もこの近くの出身だ。

 一方、利根川沿いを走る常盤線には平野広吉六段がいまも住み、ちょっと入った白井駅前には北村昌男八段が立派な家を建て「千葉は住みいいよ」といいながら、ときどき深夜に一万円のタクシー代をはり込んでいる。

 そしてことしの年賀状、やはり千葉市に住んでいる囲碁のチョウチクン棋聖名人からは「千葉県バンザイ」。独身貴族の桐谷広人五段はいつも何か書いてくる。ことしは「わたしも結婚して、津田沼あたりに住もうかな!」―あてにしないで待っていますよ!

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「競馬は、酒飲みの酒と同じ。金を使って楽しめばよいのだ」

酒飲みの人でも、何の変哲もない居酒屋で1人1万円請求されたら、それまでの楽しさが一気に吹っ飛んでしまう。

ギャンブルについても、負けても楽しめる金額(これ以上負けると楽しめなくなる金額)がそれぞれの人や状況によって変わってくるのだろう。

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千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園したのが、この前年の4月15日。

能智さんのこのエッセイでは東京ディズニーランドについて触れられていないが、まだエピソードの方が追いついていないというか、この頃の将棋界は東京ディズニーランドの雰囲気とは対極の世界にあったと言っても良い。

そのようなイメージが変わるのが、1995年からの羽生善治六冠・七冠フィーバーの頃から。