将棋マガジン1986年10月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
順位戦は序盤を終わったところだが、一番の話題は、新四段羽生の活躍だろう。
2戦2勝、その内容たるや、一つは中盤で金損。一つは終盤で詰みを逃れる、といった強運ぶりで、みんなをあきれさせた。
そもそも羽生は奨励会時代から天才の評判が高く、だからデビュー戦を本欄で紹介したのだが、正直いって、あのときは本当に大物なのかな、の疑問もほんのすこしだがあった。
それから半年あまり、また強くなったようである。ここが肝心なところで、いつもいうように、四段になってグンと強くならないようでは将来も知れているのである。そして、将棋の内容、勝ち方がいい。と書くと、拾い勝ちがいいのか、と言われそうだが、それがいいのである。
この日は、B1順位戦の模様をお伝えするのだが、そんなわけで、まず、数日前に行われた、羽生が詰みを逃れた一局を紹介することにしよう。
1図はすでに羽生が不利。とはいえ、▲5三桂成や▲9四歩など、逆転の仕掛けだけはちゃんと用意されている。
本間についてくわしいことは知らない。1図までの指し方をみると、振り飛車党らしく、軽いさばきを好む、筋のよい将棋のようである。7月まで3勝7敗と星はよくないが、新人王戦ではかなりの所まで勝ち進んでいるし、新四段が弱いはずがない。
1図からの指し手
△9七歩成▲同角△8五桂▲5三角成△8八歩▲同金△7九銀▲7八金右(2図)本間の筋のよさが判る。それが△9七歩成から△8五桂の手順である。普通は△8五桂▲9六銀△7六金だが、本間の指した手の方がずっとよい。
桂をさばいて△8八歩も手筋。羽生も敵のいうなりになるしかない。そうして2図だが、ここをよく見ていただきたい。いや、よく見るまでもなく、終わっていることが判るだろう。
2図から、△8八銀成▲同金△9七歩▲同桂△8八角成▲同玉△7七金▲9八玉△8八金打まで詰み。
手順中▲9七同桂で▲9七同馬は、などは論外。馬を取られるぐらいなら、詰まされた方がまだましだ。というわけで2図から△8八銀成▲同金△9七歩で羽生投了、となるはずだった。
ところが、本間は2図で48分も考え、△9四香と走ってしまう。すかさず▲9七歩と急所をうめられ、これからは混戦である。以後のゴチャゴチャとした手順や、最後の典型的な逆転劇など、非常におもしろいが、この暑い時期には不適当なので割愛する。
(以下略)
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絶望的な局面からの生還、そして逆転。
特に後年の羽生マジックのような手が指されたわけではないけれども、展開がまさに羽生マジック。
相手を間違わせてしまうオーラがこの頃から自然と放たれていたと考えられる。