将棋マガジン1990年10月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ 何でも書きまっせ!!」より。
Q.私は中村修七段の大ファンです。最近、テレビの解説で見ましたが、元気がなく悩まれておられるように思います。それは私の勘違いでしょうか?王将の頃の「当たりませんね」という明るさを一日も早く取り戻し頑張ってほしいのですが。(名古屋市 Kさん)
A.本人の弁でどうぞ
ふんふん、元気がねえ……それにしても「当たりませんね」と呟いているところの中村先生が明るいんでっか?そんなんやったら、一緒に飲んどる時の明るさは1万ワットぐらいですわ。
さて、ホンマに中村先生は元気がないのでしょうか。ということで、さっそく本人に聞いてみた。
「ハア? あのですね……暖かいお便りは嬉しいんですが、私は以前と変わっていないつもりです。近況ですか。8月1日から9日まで先崎・郷田両君と函館へ行ってきました。途中で青森のねぶた祭りを見たり、結構楽しかったですよ。函館には競馬が目的で行ったんですが、ボロボロでした。シュン」
最近あんまり競馬の調子がよくないらしく、それで元気がないように見えたんかもしれまへんなあ。
* * * * *
ファンとはありがたいものである。
ちなみに名古屋市のKさんは男性だ。
* * * * *
「8月1日から9日まで先崎・郷田両君と函館へ行ってきました」
これはまさしく、「点のある・ない論争」があった旅行。
点があったので、中村修七段(当時)に元気がなかったと考えることもできるが、Kさんがテレビを見たのは、その前の可能性が高い。
もともと中村修九段は落ち着いた雰囲気なので、元気の有無を判断することは難しいと思う。
* * * * *
将棋マガジン1990年8月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
中村は困ったと思われるが、△3二銀と屈して受ける。局後私が「よく受ける気になったね」と言ったら「しょうがないですよ」と全然気にしてなかった。昔の姿に戻ったみたいである。
あらためて書くのもどうかと思うが、中村には、王将位2期、棋聖戦挑戦の実績がある。それほどの男が昇級も出来ずにいるのはどうしたことか。中村にかぎらず「花の55年組」の失速は私にとって謎であった。人生上の悩みもなさそうだし、棋風を変えようの試みも、本質には関わるまい。スランプの理由が判らない。
そんな中で塚田が元に戻った。次は中村の番のような気がする。人生は明るく、将棋は暗くが、中村流だろう。
* * * * *
「将棋は暗く」は辛抱して受けることを苦にしないということ。
人生は明るく、将棋は暗く
なかなか良い言葉だと思う。