将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2019年4月27日)

amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

羽生善治竜王(当時)「アッ!そうか」

将棋マガジン1990年7月号、先崎学四段(当時)の第2回IBM杯順位戦昇級者激突戦「参加することに意義がある」より。

IBM杯昇級者激突戦での羽生善治竜王(当時)。将棋マガジン1990年7月号、撮影は中野英伴さん。

12:10 朝が弱いぼくにしては珍しく早く連盟に来た。4月は旅行つづきだったので、連盟に来ると、ホッとする。エレベータに張ってあるポスターがはがれかかっていたりして、こういうところが、非常に将棋連盟らしく、ぼくは、そんな雰囲気が好きだ。

 今日は、順位戦の抽選が行われるらしく、朝からなにやら騒がしい。なんでも今年からコンピュータを使って抽選するらしく、5分くらいで表が出来るらしい。たったの5分間で1年が決まるのは味気ないが、それはそれで良いことであろう。

(中略)

 小野-屋敷戦が終わって少したつと羽生が投了した。鈴木は、対局中の沈黙がうそのように、躁状態になり、「ぼくの方には、悪手がないね。あるとすれば、序盤で端歩を突いた(△1四歩)手でしょう」

 と喋りまくる。

 羽生も人が良いので、笑って聞いている。宴たけなわになると、鈴木節はますます好調になり、

「どうです、深く読んでいるでしょう。なかなか並のプロではここまで読めないよ」

 などと言いだした。快勝してご機嫌である。それにしてもノッテル人の言うことは違う。

 ところが―検討も、もうそろそろ終わりかというとき、誰かが、9図で桂を打ったら、と言った。

 瞬間、羽生が「アッ!そうか」と叫んだ。

 9図では▲6七桂という手があった。これに対し、角を逃げるのでは、▲7二飛打でそれまで。角筋がそれてはひどい。かといってほかに手がない。ということは羽生が勝ちだった……。

 おかしい、のである。振り返るとたしかに鈴木には、悪手というべきものがない。それでいて逆転しているとは―将棋は難しい。

 それと、羽生が、こんな簡単な手をのがしたのもおかしい。不調か?

 思えば羽生は、四段に昇ったときから、周囲(取り巻き)に、強くなるように、スターになるように、育てられて来た。

 それが、竜王になり、羽生自身が一つの権威になった今、今まで味方だった人間は敵になり、彼が、さらに強くなろうとするのを邪魔するであろう。そのとき、彼が毅然とした態度をとれるかどうかに、彼の将来がかかっていると思う。

 最後に汚点はあったものの、本局は鈴木の会心譜だった。だが、これは、羽生が鈴木の力を引き出すような指し方(戦型)を選んだためであり、本番(順位戦)ならこうはなるまい。

 本番は、もうすぐ始まる。1年間また血みどろの戦いが繰り広げられることだろう。

 最後に、このIBM杯にふさわしい言葉を一つ。

「参加することに意義がある」

IBM杯昇級者激突戦での鈴木輝彦七段(当時)。将棋マガジン1990年7月号、撮影は中野英伴さん。

* * * * *

IBM杯順位戦昇級者激突戦という、順位戦での昇級者9名によるトーナメント戦が行われていた時期があった。

そういう意味でも、「参加することに意義がある」には深い意味が込められている。

* * * * *

「連盟に来ると、ホッとする。エレベータに張ってあるポスターがはがれかかっていたりして、こういうところが、非常に将棋連盟らしく、ぼくは、そんな雰囲気が好きだ」

このような気持ちは本当によくわかる。

* * * * *

細かい分析はしていないので断定はできないが、「アッ!そうか」は羽生善治九段の感想戦における口ぐせの一つかもしれない。

もっと驚いた時に、「アアッー、飛車!」と言っている事例もある。これは口ぐせではないと思う。

羽生善治四冠(当時)が「アアッー、飛車!」と驚いた村山聖七段(当時)指摘の一手

* * * * *

「思えば羽生は、四段に昇ったときから、周囲(取り巻き)に、強くなるように、スターになるように、育てられて来た。それが、竜王になり、羽生自身が一つの権威になった今、今まで味方だった人間は敵になり、彼が、さらに強くなろうとするのを邪魔するであろう。そのとき、彼が毅然とした態度をとれるかどうかに、彼の将来がかかっていると思う」

これは、嫌がらせなどをして邪魔をするのではなく、今まで気を遣って遊びなどには誘わなかった人たちが、どんどん将棋以外の面白いこと(例えば、飲む・打つ・買う)を誘ってくるようになる、という意味だと解釈した。

そのような誘いをいかに毅然と断ることができるかどうか。

解釈として当たっているかもしれないし、当たっていないかもしれない。

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この羽生善治竜王-鈴木輝彦七段戦(タイトル・段位は当時)が終わった後の模様については、鈴木輝彦七段が翌月の将棋マガジンに書いている。

踊る先崎四段(当時)

 

林葉直子女流王将(当時)「私、植山さんにずっと嫉妬していたんですよ」

将棋マガジン1990年8月号、中井広恵女流王位(当時)の第1期女流王位戦五番勝負(対 林葉直子女流王将)第3局自戦記「彼女のこと……」より。

 それは、いつもとかわりない目覚めだった。朝の強い日差しに加え、長袖のチェックのパジャマは、もう暑すぎる。

”リリーン、リーン”

「もう、朝っぱらから、誰!!」

 眠い目をこすりながら電話に出る。

「おめでとう、よかったね」

 そうだ、タイトルを取ったんだと。

(中略)

 彼女は言う。

「私、広恵がうらやましい」と。

 きれいで、多才な彼女が、そう思ってくれてる事が一つあるらしい。それは何でもズバズバ言う性格。人にたのまれると”イヤ”と言えない彼女には、信じられない事なのかもしれない。

 何から何までまるっきりタイプの違う彼女と私。なのに10年間もつき合っていられるのは、今まで歩んできた道のりが似ているからだと思う。対局が終わってから、何もなかったかのように二人で遊んでいられるのも、彼女だからだろう。

(中略)

 トレンディーな街、神戸―。

 ガラス張りで、つけ根からポッキリ折れてしまいそうな位細い、新神戸オリエンタルホテルは”いかにも”という感じがする。フロントでキーをもらい、エレベータに乗ったまではいいのだが、さて困ってしまった。私の泊まる30階を押したが、ランプがつかないのだ。仕方なく、1階下の29階で降りて、聞いてみた。

「30階へ行きたいんですけど…」

「どういう御用ですが?お泊りの方とはロビーで…」

「あの、私今日、30階に泊まる事になっているんですけど」

「あっ、失礼しました。エレベータに乗られますと、左側にカギを差し込む所がありますので、お部屋のキーを使ってください」

 話を聞くと”30階、31階、37階”はVIPルームになっていて、部屋のキーを持っている人でないとその階には行けないらしい。

 もちろん彼女は31階に泊まった。

(中略)

 神戸での前夜祭は、いつになく賑やかだった。立会いの若松先生、内藤先生をはじめ、神戸の棋士の方々が盛り上げてくださったおかげと感謝している。谷川名人も”勉強に来ました”とジョークを言っていたが、名人戦の最中なのに来ていただき、うれしかった。

 この日は買い物をして、早く床についた。彼女はホテルのバーでカクテルを楽しんでいたようだ。部屋のカギは……と……。

 あれは第2局の福岡での対局の時だったろうか?前夜祭が終わり、外へ出たのだが、気がつくと部屋のカギがない。かなり捜したが見つからずフロントへ行った。

「中井様でございますね。カギがトイレに落ちていました」

「あっ、…すみません…」

 ハッキリ言って私はドジだ。家で”ドジ恵”と呼ばれるのも納得できる。そういう意味では、10年間のつき合いで、どうやら彼女も似た様な部分があるらしい。

「部屋のカギが―」

 と叫んでいるのを何度も聞いている様な気がする。

 彼女はこの袖飛車を愛用している。

「いつも同じ戦法であきないの?」

「あら、だったら勝ってみなさいョ」

 口には出さないが、こんな会話をしているように、お互い顔を見合わす。

 対策を立ててきたつもりが、すぐ作戦負けになってしまったのにはあきれた。もちろん勝ちたかったが、いい将棋を指そうと思っていたのに……。

 彼女はマティーニを3杯飲んで寝たという。

(中略)

 彼女は言う。

「第1局を負けたのが……」

 確かにそう思う。あの将棋をあのまま負けていたら、3連敗ということもあり得たと。さすがに感想戦でもいつもより言葉少なだった。が、夜には明るい彼女に戻り、薄野まで一緒にでかけた。みんなに気をつかい、明るくふるまってたと察するが、そんな気のやさしい彼女が好きである。

 薄野へは記録の高群さんと三人で行った。飲みに行く予定が、1時間歩き回った挙げ句、コーヒーに変わってしまった。

 札幌の夜はつかれた―。

(中略)

 この第3局を勝てた原因は、いろんな意味で気分がハイだったという事もあるが、なんといっても神戸新聞社の方のイキなはからいのおかげである。

「対局中、二度のおやつの差し入れがありますが、何がいいですか?」

私…「メロンとメロンジュース」

彼女…「私も同じので」

「2時の方は?」

彼女…「イチゴを」

私…「あの…メロンとメロンジュースを…」

 私は世界中のどんな食べ物よりもメロンが好きという人間である。こんなぜいたくも1年に1回しかできないと思い、わがままを言わせてもらった。小さい頃から”本物のメロン”なんて食べた事がなかった。本物のメロンとは、いわゆるシワのついているマスクメロンの事。普段はプリンスメロンばかりだった。

 二度のメロンとメロンジュースのおかげで、すっかり気分を良くした私は、何ともゲンキンなやつだ。

 対局中に出たのは、もちろん”本物”のメロンだった。

(中略)

 彼女の外人好きは有名である。おまけにミーハー。まあ、ミーハーという部分では私もどうやら人の事を言えないようだが……。今年の初めクイーンエリザベス二世号で香港まで将棋の旅をしたのだが、エリザベス号での彼女のはしゃぎぶりを想像していただけると思う。どうりで日本人男性には見向きもしない訳だ。

 彼女には早くステキな彼を見つけてほしい半面、いつまでもみんなのアイドルでいてほしいという気もする。かといって、

「私の恋人は女流王将です」

 などと言われて、9年間も独占されても、また困るのだが……。私も何度か恋路のジャマをしていたのだが、5回も失敗してしまった。女流王将と彼女の結婚式は私が仲人をしたい位だ。

 私と彼女は、スキな男性のタイプは全く違うが、スキな棋士のタイプは似ている。つまり、条件が同じなのである。一番好きなのは将棋を教えてくれる人、二番目はごちそうしてくれる人だ。

 ただ、棋士は紳士が多いので、私達が一応払おうとしても、女性にお金を出させてくれないのである。こんな事ばかり言ってるから最近お誘いが少ないのか……。

(中略)

 奨励会を今年の4月で退会する事になった。在籍6年半―。いろんな事があった。2級までしか上がれなかったのは本当に残念だが、一時8級に落ちてからよく頑張ったと自分自身でも思う。

 やめる時に奨励会員の友達にあいさつしたが、みんな、

「もう少しがんばらせてあげればいいのに……」と言ってくれたのがうれしかった。逆にその分、みんなに四段になってほしいと思う。

(中略)

 先日、私のだんな様から聞いたのだが、彼女が、

「私、植山さんにずっと嫉妬していたんですよ」

 と言っていた。男ができると、デートばかり。女の友情なんて儚いんだと思ったにちがいない。でも、こんなうれしい事を言ってくれるのは彼女だけだ。彼女とは、いつまでもこんなつき合いを続けて行きたいと思う。

 ああ……また一日がすぎた。いつもと何の変わりもなく……

将棋マガジン同じ号より。

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第1期女流王位戦五番勝負第3局、中井広恵女流王位(当時)が初代女流王位を獲得の一局の自戦記は、棋譜と図面はあるものの、棋譜の解説のない非常にユニークなものだった。

大親友でありライバルの林葉直子女流王将(当時)への思いが鮮やかに描かれている。

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将棋マガジン同じ号の西村みどりさんの「盤側から……」には、

感想戦の後、やっと緊張がほぐれた笑顔を見せて、手をつけるのも忘れていたメロンをほおばった中井さん。”第4局が行われる予定の徳島では、大好物のメロンを用意して待ってますと言って下さってますが、私はここで決めてしまいたい”という前夜祭の言葉を思い出した。

と書かれている。

非常な激闘であったことがうかがえる。

* * * * *

中井広恵女流六段はキュウリが苦手。

私もメロンは大好きでキュウリは大の苦手。スイカは問題なく食べられるけれども、それほど好きではない。

メロンやキュウリやスイカなどのような瓜系の香りなら、メロンのような味であるべき、という思いが根底で強いのだと思う。

* * * * *

メロンジュースを初めて飲んだのは、大学2年の時、銀座の資生堂パーラーでのことだった。もちろんメロン100%のジュース。

ところが、女子大生と一緒だったので、極度の緊張感から、味がほとんど感じられなかったという記憶がある。

対局中の食事と背景は全く異なるが、似たような現象。

* * * * *

大学4年の夏休み、伊豆半島のとある街の喫茶店(夜はスナックになるような店だった)でメロンジュースを頼んだのが、人生2度目のメロンジュース。

ところが出てきたのは、かき氷のメロン色のシロップを水で溶かしただけのもの。クリームソーダをアイスクリーム抜きにして、炭酸を水に変えたようなもの、と思えば間違いない。

期待を大きく裏切られたが、飲んでみると、これがかなり飲みづらい(あまり美味しくないということ)。

メロンソーダ、あるいはクリームソーダは、長年の試行錯誤の末にできた素晴らしい飲み物なのだと理解できた。

* * * * *

その後の人生でビックリしたのが、札幌で食べた夕張メロンの美味しさ。

今までの人生でその美味しさに衝撃を受けた食べ物は、小学生の時のサラミソーセージと生クリームの入ったシュークリーム、中学生の時のハンバーガー、そして社会人になって5年ほどした時の夕張メロンと夕張メロンゼリーだった。

よくよく考えてみると、子供が好きなものばかりだが……

中井広恵女流四段(当時)「恋人のいない人なんかに負けるわけにはいかないわ」

将棋マガジン1990年7月号、高林譲司さんの第1期女流王位戦五番勝負第2局観戦記「中井四段、一気に二連勝」より。

 女流棋界の三強はさすがに強い。紅組リーグは林葉直子女流王将が全勝優勝。白組は中井広恵四段と清水市代女流名人の決戦となり、中井さんが1敗堅持で優勝。4ヵ月のリーグ戦を終えてみれば、出るべき人がしっかり出てきた。

 直子アンド広恵。初代女流王位を手にするチャンスはたった一度だけ。メモリアル第1期の五番勝負には、この二つのビックネームがやはり一番ふさわしいだろう。

「第1期はやはり林葉直子だったといわれたいですね」と林葉さん。女流王将戦V9と、スゲエことをやってのけた直後だけに、大きな瞳はキラキラと自身たっぷりだ。

「恋人のいない人なんかに負けるわけにはいかないわ」と、新婚の中井さんも一歩も引かない。

 この二人、普段はムチャクチャ仲がいいけれど、きつい勝負を何度となく戦い抜いて来ただけに、内に秘めたライバル意識は相当なものがある。

 第1局は4月26日、札幌市の札幌パークホテルにて。東京より1ヵ月遅れの桜の開花宣言があり、青春真っ只中の二人の女流棋士が千歳空港に降り立って、北海道はいよいよ本格的な春。対局室の窓から見下ろす中島公園の緑も目に鮮やかだ。

 立会人は女流棋士会長の蛸島彰子五段で、女流棋士初。記録も高群佐知子初段が担当し、まさに女流一色。第1期の第1局にふさわしい華やかな開幕となった。お目付け役、大盤解説もお願いした二上達也会長も終始、和やかな笑みを浮かべていた。

(中略)

 第2局の立会人は塚田泰明八段。福岡市内、ショッパーズダイエーで行われた大盤解説は中村修七段が担当。若いスター棋士がコンビで同行してくれた。記録係はこれまた元気いっぱいの鹿野圭生1級。林葉、中井に加えてこれだけ美男美女がそろえば、盛り上がらないわけがない。

 女流王位戦は正式に立会人が付き、対局規定も明確に文書化。対局も全国を巡り、主催紙の取材方法、記事掲載の形も男の王位戦とまったく同じ。北から北海道新聞、東京新聞、中日新聞、神戸新聞、徳島新聞、西日本新聞と、日本列島をまたにかけてデカデカと報道される。勝者予想の懸賞を行った新聞もあるほどで、関心度は第1期から上々だ。

(以下略)

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今年で第30期を迎える女流王位戦の第1期。

五番勝負第1局が中井広恵女流四段(当時)の出身地の北海道(北海道新聞)、第2局が林葉直子女流王将(当時)の地元の福岡(西日本新聞)と、両対局者と対局場と主催紙がピッタリ重なった第1期だった。

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「恋人のいない人なんかに負けるわけにはいかないわ」

親友かつライバル同士だからこそ言える言葉。

そうではない相手に言ったら、最高の盛り上がりを見せることになるだろうが、これはこれで大変なことになる。

もちろん、「恋人がいる人になら負けても構わない」と同義ではない。

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この第1期は、中井女流四段の宣言通り、中井女流四段が3勝0敗で勝って、初代女流王位に就くことになる。

第1期女流王位就位式の時。将棋マガジン1990年9月号。

 

先崎学四段(当時)「笑いすぎて疲れてしまったので、別室で羽生とバックギャモンをする。大勝。羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる」

将棋マガジン1990年7月号、グラビア「第48期名人戦第3局 中原強攻突破、地元で再びリード」より。

 第48期名人戦第3局は、5月8日、9日、宮城県松島町の「松島センチュリーホテル」で行われたが、挑戦者の中原誠棋聖が谷川浩司名人を降し、2勝1敗と再びリードを奪った。

 相掛かり戦から中原が新趣向を見せたが、これが不発。2日目午前中には、早くも谷川優勢と控え室。

 しかし「中原さんは、きっとそんなに不利だとは思ってないよ」は、立会人の森雞二九段、青野照市八段の意見。局後、その点を問われた中原は「そう?悪いの?」と答え、一同大爆笑。

 ともあれ、中原の頑張りは凄まじく、エビ・カニと同じくらい谷川が大嫌いな入玉をちらつかせ、遂に逆転勝ちを収めたのであった。

将棋マガジン同じ号のグラビアより。大盤解説の島朗前竜王から「この局面から、君達が谷川名人の方を持って指したら、持ち時間が何分あったら勝てますか?」と聞かれているシーンと思われる。撮影は弦巻勝さん。
将棋マガジン同じ号のグラビアより。感想戦。撮影は弦巻勝さん。

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将棋世界1990年7月号、先崎学四段(当時)の第48期名人戦第3局現地レポート「敗因が分からない」より。

 名人戦を見に行こう、と思いたったのは、中原が挑戦者に決まったときだった。

 最近充実著しい中原の、生涯でもっとも成熟した時期の指し回しをこの目で見届けたかった。

(中略)

 観戦旅行の目的はというと(当然将棋の勉強が主なのだが、それだけではツマラナイでしょう)、バックギャモンをすることである。

(中略)

 一日目の夜は両対局者ともリラックスムードだった。二人とも僕らがやっているヘボな麻雀を眺めていた。絶対に自分ではやらないところがおもしろい(当然か)。

 二日目の控え室では、陽気なメンバーが揃ったため騒々しい。森、青野の両立会人は、昔、この二人に米長先生を加えて阿佐ヶ谷躁病連盟と名乗っていたことがある。この二人にカメラマンの弦巻さんや羽生、先崎などが加わり、いやはやうるせえうるせえ。酒がないだけで、ほとんど温泉旅行での宴会である。

 昼食を食べると、突然外が晴れていることに気づく。部屋のなかにずっといるため、そんなことに気が回らなかった。まったく不健康である。

 そこでせっかく松島まで来たのだから、少し外を散歩しようと話がまとまり、森、羽生、先崎、弦巻、『将棋マガジン』の中島さんの5人で、近くの島を一周する。

 島はなかなか大きく、ちょっとしたハイキングだった。ああ、外はこんなにいい天気だったのか―当たり前のことに感動する。たまりにたまったストレスが毛穴から抜けていくようだ。それに比べ対局室はストレスのかたまり。こんな日に将棋を指す手はない。ざまあみろ(でも名人戦には出たいな)。

 ハイキングから帰ると、バカに谷川のほうが優勢になっている。控え室は無責任のかたまりのため、いいたい放題。

「中原さん気でも狂ったんじゃない」

 などなど、バカなこといってみんなで笑いころげている。笑いすぎて疲れてしまったので、別室で羽生とバックギャモンをする。大勝。羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる。愉快愉快。寿命が少しのびたような気がした。

(以下略)

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羽生善治竜王(当時)は将棋マガジンからの依頼で観戦記の仕事、先崎学四段(当時)と森内俊之四段(当時)はプライベートの旅行で宮城県・松島へ行っている。

立会人がギャンブル好きな森雞二九段であったことも、渡りに船だったろう。

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「中原さんは、きっとそんなに不利だとは思ってないよ」

中原誠十六世名人が、自分の形勢について非常に楽観的であることは有名な話。

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二番目の写真にあるように、羽生竜王が観戦記者として感想戦を間近で聞いているわけで、両対局者も内心はいろいろな意味で気になって仕方がなかったのではないかと思う。

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「羽生が顔をしかめ、眉をつり上げて口惜しがる」

羽生竜王が、将棋だけは感情を表情に出さないけれども、もともとは負けず嫌い、ということがわかる。

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この時の羽生竜王による観戦記など。

羽生善治竜王(当時)の観戦記(前編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(中編)

羽生善治竜王(当時)の観戦記(後編)

棋士による棋士の物真似