谷川浩司九段の歯に衣着せぬ棋譜解説

将棋マガジン1987年8月号、谷川浩司九段の「谷川浩司が見た 中原、米長の名人戦 善悪を超越した戦い」より。

将棋マガジン1987年10月号グラビア、第28期王位戦第2局の時の谷川浩司九段。撮影は中野英伴さん。

 この文が読者の目に触れる頃には名人戦は既に終わっているはずである。

 中原名人対米長九段、という現棋界では最高の対決であるはずの、この七番勝負。

 だが両者とも、福崎十段、中村王将という20代棋士に負けた後だけに、どうも最強者決定戦という雰囲気に欠けるのである。

 内容的にも、全局大熱戦ではあるのだが、ややミスが目立つ。やはり本調子ではないようだ。

 ここでは、私が対局場まで出向いた第4局を中心に、中原名人、米長九段の不調の原因を、力不足ではあるが私なりに掘り下げてみたいと思う。

失われたブランド

 中原名人と米長九段が、前よりも勝てなくなった理由の一つに、ブランドの喪失が挙げられる。

 中原-米長のタイトル戦といえば、控え室でいくら研究しても、結局は対局者の読み筋が正しい、という結論で収まったものであった。

 それが最近は、そうとは思えなくなってきた。大阪の連盟で研究していてあまり当たらないので、呆れて帰ってしまったこともある。

 過去、中原名人に12勝20敗、米長九段に10勝20敗と、若手棋士の中では両先生の強さを良く知っている方の私としては、このような状況にはイライラさせられるのである。

 一度失った信用を取りもどすには、その倍を勝たなければならない。大変なことである。

終盤のミス

 自慢するわけではないが、私も「光速の寄せ」の連載をしているぐらいだから、終盤には自信がある。

 七段の頃は、終盤だけなら誰にも負けない、の自負を持っていたこともある。

 だが、八段になってA級棋士と多く対戦するにつれて、その自信は揺らいでいった。

 中原名人と米長九段には、優勢な将棋も逆転されてしまうのである。

 特に、優勢な将棋を確実な寄せで勝ち切る中原名人。劣勢な将棋を一流の勝負手で逆転勝ちを収める米長九段。強い人は、どの分野でも強いんだなと思ったものだった。

 ところが、最近は―。

 この名人戦第4局の終盤戦を例にとってみよう。

 101手目▲8八同玉の1図。

 102手目△4四角では、△4八飛成▲7八歩△7七金などの順で後手勝ちだった。

 113手目▲2二歩(2図)では、これでも良いのだが、▲3三角成△同金▲2二歩がわかりやすい勝ち方。

 119手目▲6六角(3図)では、▲2五桂△2四玉▲1五銀△同香▲3三角△2五玉▲2六金△同玉▲3七金△同竜▲1五角成以下、非常に難解だが即詰み。

 123手目▲3三銀(4図)では、▲4四角で△同歩も△同竜も詰み。

 124手目△3三同角では、△2五玉▲4四銀成の時、△8八銀▲9六玉△9五金▲同玉△9四金▲9六玉△8四桂▲8七玉△7七銀成▲同角△7六歩の好手順で、米長九段の逆転勝ちだった。

 もちろん、2日目の既に午後9時を過ぎ、残り時間も、中原名人が18分、米長九段が4分、という厳しい状況は考慮に入れなければいけないが、読み切れる局面でのミス、というのが気になるところである。

 特に、102手目は△4八飛成、113手目は▲3三角成、124手目は△2五玉。こう指すのが第一感で、そして最善手なのに―。

雄大な中原将棋

 では、私との対戦から、両対局者の強さを探ってみたい。中原名人との一局は、1年半程前の第33期王座戦第3局である。

(中略)

豪快な米長将棋

 米長九段との一局は、3年近く前の第44期棋聖戦第2局である。

(中略)

力戦矢倉

 では、第4局を振り返ってみたい。

 先番、中原名人の飛先不突矢倉に対して、米長九段が早い動きを見せる。

(中略)

やはりライバル

 原稿を書きながら、ずっと考えていたことがある。

 本局は果たして名局まのであろうか―。

 もちろん、個々の指し手を見ればミスはある。だが、終わりそうに思えて実は延々と続く、というパターンは、第1局からの共通の流れである。

 やはり、中原名人と米長九段は波長が合うのだろう。

 そして、忘れてはならないのは、中原名人と米長九段の指し手には、その人の意志、もっと突っ込んで言えば、人間が反映されているのである。

 ライバル同士の一戦は、充分に満足させてくれた。本局は、やはり名局といえるだろう。

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「一度失った信用を取りもどすには、その倍を勝たなければならない」

倍を勝って取り戻せるのならまだ安いもので、実際にはもっと大変かもしれない。

一般社会や実生活にも通じる言葉だと思う。

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名局の定義は難しいが、谷川浩司九段が書いている通り、双方に悪手があったとしても見ている人が満足できれば、それが名局と言えるだろう。

最初から最後まで最善手の応酬が続いたとしても、面白い将棋になるとは限らない。