近代将棋1988年10月号、甲斐栄次さんの第11回若獅子戦準決勝〔佐藤康光四段-羽生善治五段〕観戦記「10代ホープの腕くらべ」より。
「大宮そごう将棋まつり」の会場で、出演棋士の一人として来ていた羽生に会った。
ワイシャツにネクタイ姿は将棋会館で見かける時と同じで棋士が仕事に向かう常装だが、坊ちゃん刈りと大差ない無造作な髪型にあどけない表情が、いつもながらほほえましかった。
棋士は盤前に座れば大きく見えると言われるが、それなら盤から放れた時には小さく、いや幼く感じられる人がいてもよかろう。羽生の場合は9月27日が誕生日だからもうじき18歳になるはずで、あどけなさ幼さは年齢に相応しいと片付けてしまうこともできようが、盤前に座した姿、というよりこれまでに盤上に残した実績があまりに大きいためにかえって目につくのである。
「夏休みを利用してあちこち旅行にも出かけたいのだけれど、将棋祭りが5つに対局が4,5局、その他研究会もあって時間が取れません。それに、ぼくあまり泳げないし……」
8月の予定を聞かせてもらったのは「10面指し」を終えて控え室で憩うた時だったが、率直で多少のはにかみを含んだ声音が心地よく耳朶を打った。
「10面指し」の様子は私も遠くから拝見したが、輪形に並べられた10面の将棋盤に向かって10人のファンが腰掛け、羽生は内側で指し手の応接をしながら歩き廻る。その様子をひと目見ようと周囲は黒山の人だかり、おかげで本誌のカメラマンは椅子の上に立ち、上方から身を乗り出すようにしてシャッターを切っていた。C級1組・五段ながらA級棋士に勝るとも劣らぬ人気者である。
(以下略)
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この一局は佐藤康光四段(当時)が勝っている。
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「将棋祭りが5つに対局が4,5局、その他研究会もあって時間が取れません」
夏休み中、学校はないけれども、対局数はハイペースのままで、それに将棋祭りが加わるので、日程的に大変であることは、平時と変わらない。
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「それに、ぼくあまり泳げないし……」
しかし、羽生善治九段は、この数年後には水泳が趣味となっている。
体力を強化するのとリフレッシュが目的だったようだ。
必要と思えば苦手だったことを克服して趣味にまでしてしまう羽生九段。
超越した強さの背景には、このような努力も隠れているということがわかる。