将棋世界1987年4月号、村山聖四段(当時)のA級VS新鋭四段・角落戦自戦記〔対 谷川浩司棋王〕「絶対勝たなくては」より。
対局3週間前、某六段との会話
村山「谷川先生は温厚な方だから、緩めて下さるだろう」
某六段「いや、谷川さんは鬼や、メチャクチャ勝負に辛い」
村山「嘘、谷川先生は物静かでおだやかな人ですよ」
某六段「ちがう、ちがう。大体そんなおとなしい人間が名人取る訳ないだろう」
村山「そうだったのか」
対局1週間前A四段との会話
村山「今度谷川先生に角落ちで教えてもらうんや、勝てるかなあ」
A四段「ビッシと負けるれェー。君が谷川先生に勝てる訳ないだろ」
村山「なんぼ僕が弱いゆうても勝つ確率60%はあるだろう」
A四段「そんな事は無い。勝つ確率は全くない。おたくは角落ちで負ける運命に決まっとる」
村山「ヒドイなあ」
有り難い先輩方を持ったものだ。
その他、色々な人から(将棋関係)必ず負けるよ。負けた方が面白い。などと言われました。
しかしこの一局に負けると10年、20年も、村山は角で負けたと言われるのが目に見えています。
公式戦ではないですが、奨励会以来初めて、絶対勝たなくてはならない将棋です。
中飛車
作戦は決まっていました。2月号の安西先生の様に6筋に位を取って指すつもりでした。
6筋に位を取って6六まで銀を進めた局面は平手の感覚で考えると下手必勝です。なぜかというと上手の駒組みを制約し、しかも唯一の弱点、角頭を守っているからです。
本局は谷川先生が△6四歩を早く突かれたので作戦変更で中飛車にしました。
(中略)
1図以下の指し手
△8四歩▲4八玉△7四歩▲3八玉△6二金▲2八玉△7三金▲7七角△9四歩▲9六歩△4二銀(2図)気合
取りあえず、玉の安全をと2八まで移動しましたが、今、冷静に見ると早めに▲5五歩と位を取り左銀でガッチリ確保して、それから玉を囲う方が良かった気がします。
▲7七角も△8五歩の時に指せばいいのだから、▲6八銀と上がるべきでした。
谷川先生の△9四歩は早い感じですが、後に△9五歩と伸ばされるのもシャクだと思い▲9六歩と受けました。
2図以下の指し手
▲5五歩△6五歩▲6八銀△6四金▲5七銀△7五歩▲同歩△同金▲5六銀△6二玉(3図)ジャブ
▲5五歩は危険な一手で、▲6六歩と突けば定跡通りです。
しかし▲5五歩と位を取っておけば、後の駒組みには困りません。
上手は△6五歩と戦いを求めてきました。
僕の左銀の活用が遅いのでチャンスとみたのでしょう。
僕はあわてて▲6八銀から▲5六銀と左銀を繰り出しました。
最終手△6二玉は意表の一手、しかし指されてみると嫌な手でした。入玉含みの構想です。
3図以下の指し手
▲5九角△7二飛▲4八角△7六歩▲7八飛△5二金▲6八金△8五歩(4図)準備
3図で▲5九角と引きましたが、▲6八角と引き▲4六角の含みを持たせた方が得でした。
▲7八飛では▲4五銀と中央突破を目指す事も考えましたが、△4四歩と突かれ▲同銀△7四飛で、うまくいきません。
谷川先生の△5二金に▲6八金と、金を上がりました。
この手は次に▲7七歩△同歩成▲同金△7六歩▲8六金と、金をぶつける順があります。
それを受けて△8五歩です。
4図以下▲3八銀△6四銀と駒組みをすれば、A図が想定され、下手はとても勝ちにくい将棋になります。
上手の7六歩が脅威の存在になってくる前に戦いを起こす一手。
4図以下の指し手
▲7七歩△8六歩▲同歩△同金▲8八飛△8二飛▲7六歩△8七歩▲7八飛△6四銀▲3八銀△6三金(5図)決戦
▲7七歩に△8六歩は意外でした。
△同歩成を予想し、桂で取るつもりでした。以下△6六歩▲6五桂△7六歩に▲6六角△同金▲同歩と指し、△8九角には▲6七銀(B図)と引いて優勢という読み筋です。
他にも下手の指し方はあるかもしれませんが、僕はこう指すつもりでした。
△8六歩以下、▲8八飛までは必然です。ここで△8五歩なら▲6五銀と出て△7七歩成に▲同金△同金▲8五飛で優勢です。△8七歩は▲7八飛で、次の攻めがありません。
▲7六歩で次に▲8三歩があるので△8七歩は仕方ありません。
△6四銀に▲3八銀と上がりました。▲2八玉から数えて33手目です。
ここでは優勢だと思っていました。
5図以下の指し手
▲7七金△同金▲同桂△8八歩成▲8三歩△7二飛▲8八飛△7六飛▲8二歩成△8六歩▲6五銀△7七飛成(6図)一気
▲7七金は一気に勝ちに行った手ですが、▲6六歩と突き△同歩なら▲6五歩△7三銀▲6六角と、ゆっくり指す方が良かったかもしれません。▲6六歩に△8八歩成▲同飛△8七金と飛車を殺すのは▲8三歩△同飛▲8四歩△同飛▲6五歩が決まります。
本譜は一手間違えば負けという勝負になってしまいました。
角落ちの差が出たので結果は幸いしましたが、ここはもう少し時間を使って考えるべきでした。
実は上手玉は薄いし、と金は出来るしと思い、本譜は楽勝と速断してしまったのです。
▲6六歩も見えていたのですが、▲7七金の方が勝ちが早いと思い、すぐ指してしまいました。反省すべき点です。
▲8三歩に△同飛は▲8四歩△7三飛▲8五桂、あるいは▲8四金△8二飛▲8八飛でも優勢です。
△8六歩で△7七飛成は▲8三飛成△7三金打▲7二とで勝勢。
本譜は必然です。
6図以下の指し手
▲6六角△6七竜▲8六飛△6五銀▲6四歩△同金▲8三飛成△6三銀▲8四角△7三歩(7図)幸運
楽勝と速断していた理由は▲6六角△6七竜の局面は▲7七金で竜が死ぬ。
だから▲6六角に△7九竜の一手、以下▲6四銀△同金▲8六飛で勝ち。これが僕のシナリオでした。だが▲7七金には6九の地点に竜を逃げられます。この事実にはビックリしました。
何故こんな錯覚をしたのだろう、自分が自分で信じられませんでした。
▲6六角では▲6四銀△8八竜▲8四角(C図)で勝ちだったのに、何をやってるんだ。
負けにしたと思いました。バカな奴だとも思いました。
しかしとりあえず、指さなくてはなりません。
▲6四銀は△6六竜で負けなので▲8六飛と出ました。
しかし、悪運の強いことに、まだ下手が残っている様です。
▲8六飛に△8五歩は▲6四銀と銀を取り、△同金は▲8四角△7三合▲6六飛。△8六歩も▲7一銀△5二玉▲6三銀成以下、いずれも勝っています。
△6五銀で負けだと思っていましたが、▲6四歩とたたき、結構難しい。
オッまだ残っていたか、顔がニヤけてきて押さえるのに大変でした。
▲6四歩は△6六銀▲6三歩成△同玉で足りないと最初読んでいましたが、△6六銀は、▲8三飛成で△7三金に▲7二と△同金▲6三金で寄っています。
金を取らない▲8三飛成が好手でした。
▲6四歩に辛い手ですが△7四銀打と頑張る手は▲8四角△7三歩▲7二金△5二玉▲6三歩成△同玉▲8一と△7二玉▲6四金で寄っています。
やっている時は△7四銀打と指される手を気にしていましたが、なんとか勝ち切れる様です。
▲6四歩が思いのほか厳しかったみたいです。
△同金と取れば7図まで必然です。
7図の次の一手で、この将棋は勝ったと思いました。
7図以下の指し手
▲7一と△5四歩▲8一竜△7四金▲4五桂△5二玉▲7二と△5一金▲5三金(投了図)
まで、78手で村山の勝ち辛勝
▲7一とを△同玉は▲7三角成△同桂▲同竜△7二歩▲8三桂△6一玉▲6二金で詰みです。
最終手▲5三金を△同銀は▲5一竜△同玉▲5三桂成以下一手一手です。
この将棋は棋譜だけ見ると下手の完勝に見えますが、実際は下手見落としだらけで、全然読みの裏付けがありません。
特に終盤、竜が死んでいるという錯覚はとてもプロとは思えません。
ツキだけの勝利の様な気がします。それに角落ちの差が大きかったのでしょう。
とりあえず今は、良かった、良かったと胸をなでおろしています。
今回は幸いしましたが、谷川先生と10番角落ちを指すと、1番は負ける様な気がします。
今後、誰が負けようと、その人が弱いのではなく、その人が貧乏くじを引いただけだと思います(モチロン100番やって1局も負けない人もいるでしょう)。
油断、プレッシャーなどがうまく重なった時、下手が負けるでしょう。
でも多分、下手が全勝すると思います。
* * * * *
将棋世界1987年4月号、谷川浩司棋王(当時)のA級棋士VS新鋭四段角落戦に寄せて「やはり無理だった」より。
駒を並べ終えて、「失礼します」と言って角を外す時、予想していた通りの違和感に捉われた。
角落ち戦第4局。私の相手は村山聖四段である。新四段だが、ここまで公式戦は3戦3勝。その中には、小林八段に勝った星も含まれている。A級八段に勝つ男に、同じA級の私が角を落とせるわけがない、と。
作戦は特に考えなかった。研究すればする程、絶望的なのは目に見えていたからである。ただ、上手に勝つチャンスがあるとすれば、「それは入玉狙い」だと思った。だから、下手が振り飛車でくれば、6~8筋に金銀を集中させるつもりだった。
位を取って、それを維持することができるか、それともうまくとがめられて空中分解してしまうか、結果は後者と出たわけだが、これは仕方がない。予定だからである。
ポイントとなる局面は参考図。ここでは一応私の描いていたような形になっている。
稽古将棋なら、ここから下手は美濃囲いに組んでくれて、その間に上手も△6四銀~△6三金~△4四歩~4三銀と好形に組めるのだが、やはりそんなに甘くない。
▲6八金~▲7七歩が好着想で、7筋が保てなくなってしまった。
以下はご覧の通り、思う存分に捌かれて完敗である。全然面白くない将棋だった。
ただし、このような勝ち方は強くないとできない。下手の序盤作戦は、読者の皆さん方にはお勧めできないもので、やはり、位を取らせない指し方が無難だと思う。
この角落ち戦、指すまでは、1年間続ければ上手が1~2番勝つのでは、と思っていたのだが、完璧に負かされて予想が変わった。
上手、一番も入らないのではないか。やはり、大駒一枚の差は大きい。
最後に村山君。君は将棋は強いけど、爪は切っておいた方がいいよ。
* * * * *
「A級VS新鋭四段・角落戦」は、新鋭四段が角落ちでA級棋士と戦う企画で、行われた対局は次の通り。(将棋世界1987年1月号~1987年11月号)
加藤一二三九段-日浦市郎四段
森雞二九段-安西勝一四段
小林健二八段-中田功四段
谷川浩司棋王-村山聖四段
桐山清澄棋聖-長沼洋四段
大山康晴十五世名人-小林宏四段
青野照市八段-中田宏樹四段
南芳一八段-達正光四段
有吉道夫九段-神崎健二四段
内藤國雄九段-佐藤康光四段
中原誠名人-櫛田陽一四段
戦績は新鋭四段陣の10勝1敗だった。(A級棋士では大山十五世名人のみが勝った)
新鋭四段にとっても、(辛さの性質は異なるが)A級棋士にとっても辛い企画。
* * * * *
角落ち戦にしては、非常にダイナミックな下手の駒捌き。とても面白い将棋になっている。
村山聖四段(当時)に見落としがあったとはいっても、当然と言えば当然だが、下手とは思えないような指し方だ。
* * * * *
この頃の関西の六段と四段は次の通り。
○某六段候補
脇謙二六段
児玉孝一六段
東和男六段
坪内利幸六段
木下昇六段
若松政和六段
○A四段候補
井上慶太四段
神吉宏充四段
浦野真彦四段
伊藤博文四段
本間博四段
阿部隆四段
神崎健二四段
某六段が誰かは難しいが、A四段がイニシャル通りならば阿部隆四段(当時)、「ビッシと負けるれェー。君が谷川先生に勝てる訳ないだろ」という言葉から判断すると、谷川浩司九段の弟弟子であり谷川浩司九段に心酔している井上慶太四段という可能性もある。