将棋世界1987年8月号、内藤國雄九段の「自在流スラスラ上達塾」より。
手元にある画集を観ている。
特に絵に興味があるわけではないが、美しい絵を観るのは楽しいものである。
中にはわけの分からない絵もあるが、それはそれなりに楽しませてくれる。
画家の手記を読むと「筆をもっている間は夢中になって時を忘れる」とある。
一瞬、羨ましい世界だなあと思った。
そこには美しいこと、楽しいことだけがあって相手を倒そうという将棋のような争いがない。我々とはまるで別世界である。
しかしと私は考え直した。ゴッホのことが浮かんできたのである。
最近この人の絵の一枚を数十億円も出して日本の企業が買ったという事が世界の話題を呼んだ。しかしゴッホその人の生前の生活は経済的にはまるで恵まれなかった。
どんなに実力があっても、どんなに立派な絵を描いても世間に認められなければその画家は浮かばれない。
勝敗のはっきりしない世界の問題点がそこにある。亡くなってから「実はあなたが勝ってました」と教えてくれても何もならない。既に時遅しである。
その点将棋ははっきりしている。勝敗がその場で分かる。そしてとにかく勝てばいいのである。勝ち進めば、収入がそれに伴いタイトルや名誉も一緒にやってくる。
マジメな話、今は子供が絵や音楽の途に進みたいと云えば大抵の親は反対するが、棋士になりたいというと反対しない―そういう世の中だという。
絵も楽しいばかりではあるまい。
将棋も苦しいことばかりではない。
プロ入りを奨められた時、こんな楽しい事をやって一生が過ごせるなんてと思ったものだ。初心忘るべからずとはこういう時の言葉ではあるまいか。
(以下略)
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プロの将棋の世界は非常に厳しいが、たしかにこのような視点に立つと、厳しい中にも救いが出てくる。
とにかく、リアルタイムで白黒がはっきりとつくので、わかりやすい。
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ゴッホの絵画については、この頃、安田火災海上保険(現・損保ジャパン日本興亜)が「ひまわり」を53億円で落札していた。
→フィンセント・ファン・ゴッホ(損保ジャパン日本興亜美術館)
この「ひまわり」の購入により、損保ジャパン日本興亜美術館の前身である東郷青児美術館の入場者数は、1986年の3万人から1987年は24万人に上がったという。
「ひまわり」の落札額を当時の契約者数で割ると、1件あたり400円。400円を契約者に戻すのではなく、文化遺産に生かすという考え方で購入されたようだ。
メセナ(企業の文化支援)が盛り上がりを見せていた時代だ。
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ゴッホの生涯をWikipediaで見てみると、かなり波乱の人生を送ったようで、読んでいるうちに、やや心が沈んできそうになる。
ゴッホの絵は、その後も海外で、これ以上の金額で落札されている。
諸説はあるが、ゴッホの生前、売れた絵は1枚だけで400フランだったと伝えられている。
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しかし、よく考えてみると、情報が素早く広範に行き渡る現代においては、死後に評価が急上昇する事例は、少なくなっているのかもしれない。
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芸能界や芸術などのような勝敗のはっきりしない世界、実力が結果に直接的に結びつかない世界に比べれば、勝負の世界はわかりやすい、というのが古来から変わらない結論になるのだろう。