森内俊之四段(当時)の非常に謙虚な自戦記

将棋世界1989年4月号、森内俊之四段(当時)の第7回全日本プロトーナメント決勝〔対 谷川浩司名人〕第1局自戦記「勉強になった一局」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

 昨年の暮れから今年のかけてどん底状態、順位戦も昇級の望みがなくなり、新聞棋戦でも負け続け。しかしそんな状態の中、このトーナメントだけは幸運が続き、ここまで勝ち残る事ができた。

 こういった舞台にでるにはまだ早いと思ったが、回はいろいろと勉強の意味で、とても嬉しく思っている。

 特に相手が谷川名人なので、将棋はもちろん、対局態度や、和服の事などいろいろ学べるし、勝負にこだわらずに指せるので良かったと思っている。

(中略)

対局前夜

 前日の5時半頃、連盟から対局場である羽沢ガーデンに入った。やはりこういった場所で指すのは初めてという事もあり、けっこう緊張していた。

 特に前夜祭では、新聞社の偉い方が見えていて、何か場違いな所にいるような気がしていた。

 私のような子供に対し、こんなにいろいろとしてもらって、明日はいい将棋を指さなくては申し訳がたたないと強く感じた。

 午後9時頃に前夜祭も終わり、12時に床についたが、対局前の緊張か、前日に寝すぎのためか、なかなか寝つかれなかった。

 谷川名人がホテルに戻ったのに、家が近い私だけここに泊めてもらって悪かったかなあという気もしていた。

 いろいろな事を考えていると、いつのまにか眠っていた。最後に時計を見たのが2時だったから、それからすぐに寝てしまったのだろう。

(中略)

対局前

 対局当日は7時半に目覚まし時計の音で目が覚めた。外を見ると、どんより曇った空で少し雨が降っていた。谷川名人に大敗する夢は見るし、天気も悪いし、初めから縁起が悪いと思ったが、人に見られて恥ずかしくないような接戦の将棋を指せれば満足だと思っていたので、気にしないようにした。

 今回は和服を着る事にしたのだが、初めてという事もあり、着方もよくわからないし、わからない事だらけだった。

 仲居さんに着せてもらったが、どうもお腹のところが少し苦しかったし、慣れないので落ち着かない感じだった。

 10時少し前に対局室に入り開始時間を待ったが、こういうところにいられるだけで幸せな気分だった。

(中略)

対局開始

 10時ジャストに立会人加藤一二三九段の合図で対局が始まった。振り駒で後手番になったが、これは良かったと思った。初手は写真撮影があるので、谷川名人の指すのを見ておきたかったし、1局目を負けた時に、次に先手番なら少しは気が楽だからだ。

 将棋の方は2図までの進行はある程度予想していたので、早く進める事ができた。

(中略)

観戦者

 この対局に伴い、何人か観戦に見えた方がいらっしゃった。

 午前中に島竜王と一緒に見えた講談の神田紅さん、歌手の谷山浩子さん。(このお二人は谷川名人の応援だったかもしれませんが)

 あと私が奨励会の級の頃からお世話になっている方で、青森の村上さん、鈴木さんも見にこられた。

 わざわざ将棋を見に、遠い所から来て下さる方がいらっしゃるというのは非常に有り難い事だが、もっとオープンな形で将棋というものができればもっと良いのではないかという事も感じた。

(中略)

 相手は谷川名人なのでひょっとしたら飛車を逃げないで攻めてくる事もあるのではないかと思っていると案の定そういう展開になった。

 ▲6五銀に対する次の一手は?

6図以下の指し手
△2八馬▲5四銀△同歩▲3四桂△1三玉▲8一飛成△1二金▲6三と△同金▲2二銀(7図)

名人の貫禄

 △5五銀と立つ手が正解手。私も△2八馬と飛車を取る時は嫌な予感がしたのだが……。

 △5五銀と立つと▲3四桂△1三玉▲8一飛成と手順良く攻められて、飛車と角と両方取れる状態なだけにすごく嫌だった。取れるのに嫌だというのは、矛盾していると思われる方もいらっしゃるだろうが、駒というのは取られる前の状態が一番働いていると教わっているので、本能がそれを避けた。

 谷川名人が相手でなかったら、△5五銀と指せたかもしれない。谷川名人の落ち着きはらった態度を前に、残り5分ではそうは指せなかった。

 そして△2八馬と飛車を取り、最後のトイレに立った。 

 私は残り5分、谷川名人は残り22分、当然局面は進んでいると思っていた。谷川名人の指す手は決まっているはずである。

 しかしトイレから戻っても局面は動いていなかった。

 私は慣れない和服だし、結構時間がかかるのはわかっていたはずである。

 私が席を外した時に谷川名人が手を進めた事があったかな、という気持ちがちらっと頭をかすめ、名人の貫禄、余裕というものを感じた。

 ▲5四銀の考慮時間2分。残り5分と3分の差は大きかったか。

ピンチ脱出

 私としては仕方なく7図の局面を迎えた。▲2二銀と打ち込まれたが、1分将棋では寄っているのかどうか全然わからなかった。

 結果的にはどちらで取っても寄っていたようだが、次の一手は指がいい方に行った。

(中略)

責任を果たす

 △3五玉と逃げ、△1三桂と打った時に勝利を確信した。以下なんとかゴールインに成功した。

 終局後、塚田八段から袴は広げて座るように、と教えていただいたが、塚田八段が初めてのタイトル戦の時に私が記録係で高柳先生に注意されていた事を思い出し、ちょっとおかしかった。

 今回は何から何まで初めての体験で、関係者の方には相当迷惑をかけたと思うが、私自身ずいぶん勉強になった。

 特に谷川名人の対局態度には、とても感心した。

 これで一応3局目まで行く事になり、私としては責任を果たせたと思っている。

 こういう舞台で指せる事はめったにないだろうから、あと2局思いっきり楽しんで指したい。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

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この対局は、谷川浩司名人(当時)が寄せを誤って、森内俊之四段(当時)が勝っている。

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「特に前夜祭では、新聞社の偉い方が見えていて、何か場違いな所にいるような気がしていた」「私のような子供に対し、こんなにいろいろとしてもらって、明日はいい将棋を指さなくては申し訳がたたないと強く感じた」「谷川名人がホテルに戻ったのに、家が近い私だけここに泊めてもらって悪かったかなあという気もしていた」など、これは森内俊之九段の四段時代の自戦記の特徴だが、非常に初々しさが溢れている。

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「谷川名人に大敗する夢は見るし」

夢は意外と逆夢になることが多い。

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「振り駒で後手番になったが、これは良かったと思った。初手は写真撮影があるので、谷川名人の指すのを見ておきたかったし、1局目を負けた時に、次に先手番なら少しは気が楽だからだ」

この考え方がユニークで面白い。

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「飛車と角と両方取れる状態なだけにすごく嫌だった。取れるのに嫌だというのは、矛盾していると思われる方もいらっしゃるだろうが、駒というのは取られる前の状態が一番働いていると教わっているので、本能がそれを避けた」

”駒というのは取られる前の状態が一番働いている”は有名な言葉だが、自ら敵の複数の駒を取られる前の状態にするのは危険と、本能的に感じたということだ。

結果的に本譜では、そのようにする方が良かったわけだが、この感覚も参考になる。

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「私が席を外した時に谷川名人が手を進めた事があったかな、という気持ちがちらっと頭をかすめ、名人の貫禄、余裕というものを感じた」

当然と思われた6図から2手目の▲5四銀を、森内四段がトイレから戻るまで指さなかった谷川名人。谷川流の作法だ。

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「これで一応3局目まで行く事になり、私としては責任を果たせたと思っている。こういう舞台で指せる事はめったにないだろうから、あと2局思いっきり楽しんで指したい」

この時点で森内四段の1勝。三番勝負なのであと1勝すれば優勝ななのに、”あと2局思いっきり楽しんで指したい”と、この上ない謙虚な抱負だ。

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結果は、森内四段が2勝1敗で優勝している。

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この対局の時、升田幸三実力制第四代名人が羽沢ガーデンに訪れている。

下の写真は、立会人の加藤一二三九段との控え室での光景。

「名人がC級2組に負けちゃいかん」の一言を残し帰っていったという。

谷川浩司名人(当時)の隣に座った受験生の少女

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

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終局後、谷川名人は、塚田泰明八段(当時)、応援に来ていた谷山浩子さんと3人で新宿に飲みに行っている。

「羽生君や森内君をやっつけるには、もう女性で人生を狂わせるしかないよ」

 

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