近代将棋1990年2月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。
事実、私はことのほか恐怖映画が好きである。ただし、同じ恐怖でも残酷ものはイヤだ。
外国映画なら吸血鬼ものがいい。日本映画なら、番町皿屋敷や四谷怪談などが好きだ。
いつの頃からこんな映画が好きになったかといえば、自分の記憶による限り、どうやら物心がついた4,5歳のころからのようである。両親が寝静まったあと、こっそり起き出し、テレビの深夜番組の怪談シリーズを見ていた記憶があるのだ。
だから、私の恐怖映画好きは年季が入っている。ちょっとやそっとの恐怖映画では私を恐がらせることはできないだろう。
そんな私だが、果たして本物のお化け屋敷でも恐くないかというと、決してそんなことはない。ちょっとした暗がりだって恐いし、家の中でポツンと一人いるときなど恐くてたまらないのだ。本物のお化け屋敷へ一人で行けといわれても「そんなことできなーい!」と私は泣き叫ぶだろう。
現実と映画は根本的に違うのだ。映画のお化けには強くても現実のお化け屋敷にはからきし意気地のない私なのである。
ところが、ところが―
この私がついに本物のお化け屋敷に挑戦することになったのだ。
時は、平成元年12月21日。
場所は、新人王戦ヶ原にそびえる四段屋敷。
この屋敷は数々の強者が「われこそはお化けを退治してみせん」と出かけて行ったが、一人として帰ってきたものはないという恐い恐いところなのである。
そこへかよわき乙女が単身のり込むのである。帰って来れるはずがない。おそらくこの文が読者のみなさんの目に触れるころには、私は黒い星のかなたに飛ばされていることであろう。ああ、こんなときこそ白馬にまたがった王子サマ、出て来てくれないかなァ……。
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近代将棋1990年2月号、グラビア「史上最年少の挑戦者」より。
17歳、高校3年生にしてタイトル戦に登場してくるとは、まったくもって”お化け屋敷”である。「ええ」「まあ」「そうです」の三語しか喋らないというのはちょっとオーバーな噂だが、たしかに寡黙。ただし物腰はいたって柔らかく、非常に謙虚な人柄である。
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近代将棋1990年2月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。
今年も羽生に始まり羽生に暮れた1年だったなあと思っていたら、年末になって突然「屋敷四段棋聖戦の挑戦者に」という報が飛び込んできた。突然と思ったのは、棋聖トーナメントの進行が早かったのと、屋敷については王将リーグでの成績に注意がいっていたからである。新四段でいきなりの挑戦権獲得は無論初めてであり、羽生が作ったばかりの最年少記録をわずか3ヵ月で塗り替えてしまった。それ以前は加藤(一)八段と中原五段の持つ20歳3ヵ月が記録であったから、ここにきて将棋界の若年化にいよいよ拍車が掛かってきた印象がある。
高校生で初の挑戦者となった屋敷伸之四段は、昭和47年1月18日北海道札幌市の生まれ。中学生名人になった後、五十嵐豊一九段の門として奨励会に6級で入会し、わずか2年10ヵ月で四段になった俊才である。あまりの勝ちっぷりに、ついたあだ名が「おばけ屋敷」。晴れてプロ棋士になってからも勝ちまくり、勝率は常に8割近くで羽生と第1位争い。
それでもこれまでさほど目立たなかったのは、羽生の大活躍の影に隠れていたことのほかに、彼の棋風によることが大きいのだろう。プロ棋士は個性が売りものだから、序盤がうまいとか、終盤が強いだとか、何かしら特徴があるのだが、屋敷四段の将棋はこれといった特徴が見られないのである。序盤戦でさほど重要でない端歩を2手突いてみたり、決めに出るところを遠回りしてみたり、それでも勝つのだから、結局「とらえどころのない将棋」というのが、屋敷将棋を表する常套句になっている。言い換えると「特徴がないのが特徴」ということで、新人類と呼ばれる若者の代表であるといえなくもない。屋敷は我々が常識としてきたことを打ち破り、知らなかった将棋の新しい面をすでに覗いているのかもしれないのである。
中原棋聖との棋聖戦第1局は屋敷の勝ち。中原棋聖が、新人類の堀の深さを測ったという印象の一局だったが、短期シリーズなだけに、思わぬ結果を招くことも十分ある。
(中略)
谷川名人が将棋日本シリーズの決勝で島竜王を破り優勝した。続く1週間後の天王戦の決勝では中原棋聖を破り、2週連続で優勝を決めた。さらに本日、王将リーグの最終局でトップの米長九段を破り、谷川、中原、米長の三者同率決戦に持ち込むなど、絶好調である。
控えめな谷川名人をして「調子は大変いいです」と言わしめるのだから、その好調さは私などがいまさら言うまでもない。
その谷川名人が雑誌のインタビューに答えて曰く「しばらくは追う立場でいられると思っていたのですけれど、こんなに早く追われる立場になるとは思ってもみませんでした」たしかにその通りで、勝ちまくる少年達、いわゆるチャイルドブランドの勢いには目を見張るものがある。
- 羽生善治六段 42勝10敗 .808
- 佐藤康光五段 29勝12敗 .707
- 村山聖五段 22勝14敗 .611
- 先崎学四段 20勝11敗 .645
- 森内俊之四段 20勝12敗 .625
- 屋敷伸之四段 37勝12敗 .755
これが本年度のチャイルドブランドの成績。27歳の青年名人に追われる心配をさせるに足る勝ちっぷりで、まるでプロ棋界の勝ち星を10代だけで独り占めしてしまったかのようである。
10代が強いのは今に限ったことではなく、木村十四世名人、大山十五世名人、加藤(一)九段、近くは谷川名人など、超一流になった棋士は皆10代で頭角を現している。将棋の才能は比較的早熟だから、注目が集まるにつれ、それを目指す者が増え、その結果少年達が団体で登場しただけのことなのである。ではこのまま時計の針が進むように、一気に少年達がプロ棋界を席巻するのか?これが羽生に明け、屋敷に暮れた平成元年の総括であるようだ。
さて平成2年、少年達は引き続いて成長するものの、私の希望的観測では今年はベテラン勢が巻き返しを図ってくるとみている。中年の星・中原棋聖・王座はいまだに勉強のための連盟詣でを続け、研究会をも主宰しているが、この将棋への真摯な取り組みを多くの一流棋士が真似をし始めたからである。
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羽生善治六段(当時)が竜王戦で挑戦をしている最中に、屋敷伸之四段(当時)が棋聖戦での挑戦を決め、五番勝負第1局で中原誠棋聖に勝っている。
この時点(1989年12月中旬)では、まだ10代棋士がタイトルを獲得していたわけではないが(12月末に羽生六段が竜王位を獲得する)、将棋界にとっては非常に大きなインパクトだった。
屋敷四段がタイトルを奪取するのは、この半年後の棋聖戦でのこと。
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「まるでプロ棋界の勝ち星を10代だけで独り占めしてしまったかのようである」
さらにこの後、1990年4月に郷田真隆四段、丸山忠久四段、1991年4月に藤井猛四段と、羽生世代の棋士が登場するわけで、いかに凄い時代だったかがわかる。
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「外国映画なら吸血鬼ものがいい。日本映画なら、番町皿屋敷や四谷怪談などが好きだ」
里見香奈女流五冠はジャパニーズ・ホラーが好き。
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昔の日本の怪談は、因果応報、悪いことをやった人にのみ幽霊が祟るという流れだったが、ジャパニーズ・ホラーや外国映画の幽霊などは、誰にでも祟るというのが大きな違いかもしれない。
吸血鬼ものならクリストファー・リーとピーター・カッシングが出演している『ドラキュラ』系、異色なところでは『フライトナイト』。ヨーロッパ的な美しさを味わうなら『サスペリア』、不吉な怖さの『シャイニング』が、個人的に好きな映画だ。
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ホラー映画中のホラー映画『フェノミナ』を1985年にリアルタイムで観た。
かなり怖い映画だったが、最近初めて観た『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で少女時代のデボラを演じていたジェニファー・コネリーが『フェノミナ』の主演だったと知って、自分の中では新鮮な驚きに包まれている。
全く関係ないけれども、ジェニファー・コネリーも学年的に羽生世代だ。
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